先日、地元新聞社の方からオイラの過去記事にある「粟石」について教えて欲しいと連絡がありました。そこには海岸の岩を切り出した跡を粟石の切り出した跡と書いているのですが、もしかしたらビーチロックを切り出した跡なんじゃないか?とも思っていて、以前から何度か現場に見に行ってるんですが、どうもビーチロックとは岩肌と言うか岩質が違います。だからその記事はあえてそのままにしておきました(今回少し訂正済み)。今回は新聞社の人にも、もしかしたらあれはビーチロックかも知れないと伝へ、話を終えました。
では自信をもって「これは粟石を切り出し跡だよ!」と言える場所はまだ石垣島に残っているんでしょうか?以前から古い写真で石切場の画像を見てはいたんですが、それはどこなのか?今回改めて調べて見ました。
モノクロの画像2点は、
Geology of Ishigaki-shima, Ryukyu-retto
Professional Paper 399-A
By: HELEN L. FOSTER
より。
FIGURE 46. Quarry In Ryukyu Limestone. This is a typical quarry in
sandy Ryukyu Limestone about 2.7 kilometers north of Ohama.
Quarrying is done entirely by hand tools. 1956.
図46.琉球石灰岩の採石場
これは典型的な採石場です。大浜の北約2.7キロにある琉球石灰砂岩(粟石)。
採石は全て手工具で行われます。1956年。
粟石を調べていると必ず行き着く画像です。戦後、ヘレン・F・フォスターさん率いる調査団が調べた和訳題名「琉球列島 石垣島の地質」からなんですが、1枚目の場所は現在の最終処分場の一部です。現在では建物が建ち、多少場所が前後しているのとレンズの違いでピッタリとは一致はしませんが、右上の小山見たいのとか見ると、まぁそんなに間違ってもいないかな?と思います。
この画像右後ろに行くと池のようなのがあり、おそらく採掘していていた穴に水が溜まったんでしょう。近所で工場を営んでる方に聞いて見ると「そのカーブの辺りから奥がそうだよ。持ち主は最終処分場にするから土地を譲って欲しいと言われ譲ったらしい。」との事で、場所も一致します。また斜面を見ると下の方が石灰質混じりの地質になっていました。
2枚目は地元(石垣島)の方が粟石を使ってお墓を作っている画像です。
FIGURE 47. Construction with Ryukyu Limestone. Sandy Ryukyu
Limestone is quarried, allowed to harden, and used in the construction
of native tombs, walls of buildings, and retaining walls. The tomb
in the picture is being constructed of blocks of sandy Ryukyu Limestone
locally called awalshi. October 1956.
図47.琉球石灰岩による建設
琉球石灰砂岩は採石され、硬化し、建設に使用されます。昔ながらの墓、建物の壁、擁壁。 写真の墓は琉球石灰砂岩のブロックで構成されています。地元ではawalshi(粟石)と呼ばれています。 1956年10月。
現在でも住宅地に行くと、粟石を使った塀の家が沢山あります。粟石はノコギリで切れるので加工もしやすく、古墓の飾り屋根などにも良く使われているのが見れます。
自分で運んで来た石灰岩を積んで作った石垣の塀と比べ、粟石はお金を払って買わないと手に入りません。石切場から切り出して運んで貰って施工するのでお金がかかっている分お金持ちの家が多く、今でも粟石の塀が残っているお宅を見ると敷地が広く立派な家が多いです。ただ馬車を持ってる方は自分で石切場に買いに行き、施工も仲間内でやったという話もあります。また過去の地震の時、ブロック塀へ倒れたけど粟石の塀は倒れなかった、と言う証言もあります。繋ぎは漆喰です。
オイラ的にはこっちの眺めの方が好きですけどね(笑)。
ところで、粟石とビーチロックの違いはご存じですか? 粟石は海底で貝殻やサンゴ、有孔虫などの殻が堆積して出来た堆積層です。ビーチロックは文字通り海岸に溜まったやはり粟石と同じような炭酸カルシウムを持った物の残骸が雨や地下水などで溶けて固まった岩です。河川のように表面的に水が流れている場所ではなく、砂の中をジワ~と淡水が流れているような場所に良く出来てます。
今回調べていて、他にも前勢岳のマキラ側や裏石垣にも一か所あったと言う事が分かりまいた。その中で確実にココだ!、と分かった場所がもう一か所見つかったので紹介しておきます。
場所は宮良川のそばで、右上に昔の製糖工場の2本煙突が見える辺りです。現在は草地になっていて、この隣で畑をやっている大浜のMさん89歳(1933年生)にお話を伺いました。
土地改良前まではあった様な気がする。この辺りは1mも掘れば粟石が出て来る。現在の持ち主は牛をやってる人で草地として使っている。戦時中は掘った穴を壕に使ったりもしていた。直ぐそばが大浜集落の第二避難所で、当時はこの辺りに高射砲?大砲?が6台くらいあったよ。元々はそんなに悪くない土だったっけど、粟石取らなくなって土地改良で埋める時に他所から持って来た土が混ざってる。僕の土地から勝手に土を持って行こうとしたので怒ったよ(笑)。
との事でした。地元のある程度の年齢の方に聞くと結構覚えている方もいて、それなりにお話をお聞きする事が出来ました。しかしオイラと変わらないような現役世代の方に話を聞くと地元の方なのに皆知らない、と言うか話が通じませんでした(笑)。粟石自体が何だか分からないのです。ただ畑で工事をやっていた方は普段から地面と関わっているので詳しかったです。「粟石はココよりもうチョッと低い場所だよ」とか経験からご存じでした。
今回はここまでです。お話をうかがった皆さん、ありがとうございました。
資料や情報等いつも協力下さるAさん、山の先生でもあるMさん、そして何より当時のお話や情報を教えて下さるM先生と、当時実際にヘレン・F・フォスターさんを案内していたS子さん。貴重なお話しありがとうございました。このお二人がいなければ今回分かった2か所には辿り着かなかったと思います。お金では買えられない、こういう人との繋がりがオイラの一番の財産です。
#リフトアップ石垣島エコツアー #粟石 #HELEN L. FOSTER
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