【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

あなたには詩が見えますか?

2011-08-01 15:41:15 | 心の宝石箱




「この冬いつか詩を読んでなさるのを
聞きましたっけが ―― テニスン の詩でしたかな。
あれを暗誦出来なさるなら、
もう1度聞かせて欲しいですわい」
吹き入る潮風を2人は受けながら、
アンは静かな澄んだ声で テニスン の素晴らしい
最後の詩 ―― 『境界を越えて』 ――
の美しい詩を暗誦した。
老船長は筋張った手でそっと拍子を合わせていた。
                   【「アンの夢の家」 第35章】


   今日も蝉の啼き声で目覚めました。
  けたたましい啼き声ですが、それこそ全身全霊をかけて啼いている姿には、
  “今を生きる” そのもののような気がして胸を打たれます。

   この蝉こそ、何年もの間、地中で過ごし、漸(ようや)く脱皮して啼けるように
  なっても僅か数日しか生きられないのですものね。

   恥ずかしい事に私などは、全身全霊からは遥か遠い所にいます。
  全身全霊は無理としても、せめてひたむきさは失いたくないものです。


【「境界(砂州)を越えて」 ~テニスン・英文】   


   さて、今日から8月。
  私はブログを始めたのが8月という事もあり、
  この季節は特別に感慨深いものがあります。
  
   同時に私のバイブル的存在である、『赤毛のアン』(全10巻)も読み直してみたり。
  それが名作の名作たる所以(ゆえん)なのでしょうが、読む年齢によっても
  着眼点が違うものですから、いつも新しい発見があります。

   今日は詩にスポットを当ててみました。
  引用文もそうですが、『アンの世界』 では、
  生活に詩が入り込んでいるのが良く分かります。

   普段の会話に テニスンミルトン などが当たり前のように出て来る・・。
  随分、高尚だな・・と思いながら、その昔、日本でも万葉集などに始まって、
  例えば乃木大将の詩など・・詩を詠む事が一般的だった時代に思いを馳せます。

   最後に。こちらは、ジム船長が感じ入ったという、
  テニスンの詩(日本語訳)です。今年は津波や何やかやで海の印象が強烈ですものね。

砂州を越えて~辞世の詩      A・テニスン

陽は沈み夜空には星
澄んだ声がわたしを呼ぶ!
わたしが海へ踏み出すとき
砂州に呻きのないことを。

果てのない深みより寄せ来る波が
再び元へ戻るとき、
潮は満ちて音も泡もなく
眠るような動きであってほしい。

黄昏と晩鐘の響き
その後は暗い闇 !
わたしが船出するとき
別れの悲しみのないように。

時と処の境を超えて
流れがわたしを彼方へ運ぼうとも
わたしが砂州を越えるとき
案内人に顔を合わせたい。
           


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