【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

生への迷宮

2011-12-24 16:27:16 | 心の宝石箱


   ちょっぴり寝坊して起床した
  今朝は、こんな幻想的な
  光景に出会う事に。
  ちょっとした高原の朝気分。

   クリスマス寒波との事で
  最低気温を連日更新して
  いますが、日光を出し惜しみ
  していませんので、
  大層助かっています。

   昨日、今日と何と1日中。
  有り難い事です。

   ところで今日は、クリスマスイブ。
  今年も残すところ後、1週間なのですね。
  
   最近、心が時の経過のスピードについて行けなくなっています。
  そうは言っても時は確実に流れていてある意味、残酷。困ったものです。





   さて、今頃になって本当に
  お恥ずかしいのですが、やっと
  三島由紀夫作 【「暁の寺」~
  「豊饒の海第3巻」】 を読了。

   それにしても何と長い事、
  放っていたのでしょう。

   そもそもつまずきのきっかけは、
  インド仏教の件(くだり)。

   この第3巻は、裁判官から弁護士に
  なった本多が主人公なのですが、
  小乗仏教、大乗仏教、
  マヌの法典などに至っては・・。
  ほとんど興味はありません。

   全編を読んだ今では、
  それが重要な伏線となっている事が、
  よく分かるのですが、その時は・・。

   そんな私にとって退屈極まりない、
  興味のない事が全編の半分近くを
  占めているのです。

   そんな本を夜、読もうとするのですから
  当然の事ながら、ついうとうとと・・。

   その上、この本の事が頭の片隅にあるものですから、
  他の本も読む気にならず・・といった悪循環。
  今年ばかりは、とんだ読書の秋となりました。

   読み終わった今は、何とも重苦しい気分です。
  主人公の本多は三島由紀夫自身の投影だったのですね。
  
   インド仏教も彼の宗教観、死生観だったのでしょう。
  天才ならではの心の慟哭が、この本から聞こえて来るようです。
  
   それでも上記のような三島文学の美学があちこちに散りばめられています。
  一方、こちらは強く心に残った 「マヌの法典」 です。

「マヌの法典」 が告げる輪廻のダルマは、
およそ人の転生を三種に分って、
一切衆生しゅじょうの肉体を支配する三つのさがのうち、
喜ばしく、静寂で、又清く輝く感情に満たされた智
(サットヴァ)の性は、転生して となり、企業を好み、
優柔不断、正しからざるし仕事に従事し、又常に
感覚的享楽に耽る無知(ラジャス)の性は、
人間 に生まれ変わり、放逸懶惰らんだ、無気力、残忍、
無信仰、邪悪な生活を営むタマスの性は、
畜生 に生まれ変わると説いていた。
 


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