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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

OBS手始め

2022-02-07 07:36:00 | 音楽
きのうは
初めてOBSという
動画編集ソフトを
無料ダウンロードして、
リバーブ・アプリを
プラグイン(内臓)させるという
作業に半日を費やした。




前夜にスマホで
簡単録画した
リュート演奏に
リバーブ効果をつけようと
試行錯誤をして、
やっとのこと
満足のいくレベルにまで
編集できた。





収録曲は、
スペインの作曲家で
ビウエラの名手
ルイス・デ・ナルバエス
(Luis de Narváez/1500-1560)の
最も有名な
『Guardame las vacas
 ガルダメ・ラス・ヴェカス
 (牝牛を見張れ)』

これは、ギター曲にもなっていて
『「牛を見張れ」の変奏曲』ともいう。

16世紀に初めて登場した
「ディフェレンシアス
(歌謡主題に基づく変奏曲)」
という、「変奏曲」の元祖である。

ナルバエスは
カルロス1世、フェリペ2世らに仕えた
宮廷音楽家である。

ナルバエスの
ジョスカンのシャンソン
《千々の悲しみ(Mille regretz)》
に基づくディフェレンシアス
『皇帝の歌
(La Canción del Emperador)』
も名高い佳曲である。

彼の作品群ほ発掘して
世に知らしめたのが
ギタリストのエミリオ・プジョールである。

セゴビアやイエペスも
レコード時代に録音を
残している。










第4世代のSNRI(抗うつ剤)
『イフェクサー』について
薬理作用を調べていたら、
精神疾患に関係の深い
ドパミン、セロトニン、
ノルアドレナリンと
精神状態との
興味深い便図を見つけた。

これなら、
子どもたちの
心理教育に使えそうな
イラストなので、
モノクロ印刷して
カウンセリング室に
置こうかと思っている。







ダイソーに
韓国料理で使われるような
金属製の浅いボールがあったので
ガラスのチェスボードとコーデして
『ムース・ド・ポティロン』
(カボチャのムース)
をドレッセしてみた。




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明日は節分・・・

2022-02-02 09:23:00 | 音楽
昨年の暮れに
孫の帰省を歓迎するのに
白いアルストロメリアを
玄関室礼に飾ったが、
厳冬の寒さなのだろう、
ひと月たっても
未だに凛として
微塵も崩れていないから
驚きである。

互い違いにした敷き板は
元旦のお節で用いた
カマボコの板である(笑)。

もう二枚あった
正目の板には、
ナッちゃんと彼女さんの名前を
勘亭流毛筆体で揮毫して
「ニャンコ落款」と共に
それぞれにお土産にあげた。

「別れたら、川に投げてね」
と言ったら
洒落の解るアキちゃんに
受けていた。






明日は節分なので、
今日には、
掛け軸を「鬼の面」に
変えようかと思っている。

折衷で
「福」という焼き印のある
豆を入れた一合升を
とりあえず飾っていた。









正月の二日に、
元旦にケガをさせた
リク坊ちゃんの事を
Tちゃん先生の教会に参拝し、
至らなかった「お詫び」
大難を小難に奉り替え頂いた「お礼」
ケガが早く癒え傷跡が残らないように
「お願い」をさせて頂いた。

その折、
碧水先生の「御歌」の色紙を
お下げ頂いた。

 たのしんで
  なし得るまでになるまでの
   はるかなる道の起伏をおもふ

味わいのある
意味深長なお歌である。

単に芸事のような事だけでなく、
人生そのものにも
当てはまりそうな箴言である。

我がライフモットーである
【人生を遊ぶ】も
こうでありたい。






茶室の室礼は
元同僚の石塚岳泉先生の
『一期一会』を掛けた。









オミクロン株で
"マンボー"や県内で
緊急事態宣言が発令されているので、
できるだけ不要不急の外出は控えて、
先週のオフ日は、
風邪ひきもあって
金・土・日・月と
一歩も外にでなかった。

今日は、
夕食当番のオフ日なので、
ずいぶんと久方ぶりに
近所の「いちい」に
でかけてきた。

そして、
しばらくぶりで
ツタヤ・ブラウジングもしてきたが、
なんと、昨年暮れに続いて、
またまた中古CDの5割引きセールを
やってたので、
乏しい在庫の中から目ぼしいものを
3種買ってきた。

市独自のコロナ対策クーポン券が
1500円分来てたので、
4枚組セットを入れた6枚で
504円で買えた。

新刊コーナーには
愛読していた『チェーザレ』の
最新刊にして最終巻が詰まれてたので
これも500円クーポンで安く買えて
ラッキーだった。

カミさんが、
「おばあちゃんの分もあげる」
と、ホームで寝たきり老母の分も
1500円分くれたので
有り難く使わせてもらうことにする。







ネックが外れて
接着修復した折に、
内部の魂柱が倒れたので、
専用の「魂柱立て」はないものの
なんとか手持ちの治具で
立て直した。








年々、年賀状を減らしてるので、
今年は例年に比べて
やや少なめだったが、
それでも30枚ばかり頂いて、
そのうちの1枚が
年賀切手に当たってたので、
通勤路にある郵便局に
わざわざ寄って交換してきた。

たかだか
額面147円の1シートだが
女性局員から
「おめでとうございました」
と言われて
なんだか面映ゆい気がした(笑)。




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音楽史勉強

2021-12-27 08:21:00 | 音楽
ゆんべから
今朝方まで
雪が降り続き、
隣家の屋根の積もり具合では
20㎝くらいのように見える。





瞬時の晴れ間で
目映いほどの明るさになり
庭木のディテールが
くっきりと見えるようである。








この寒さで、
オシリ痛とウデ痛の
両神経痛が疼くので、
運動せねばと
雪道を散歩にでかけた。

近所にあるツタヤに
半額セール中のCDを
毎日エサとして
自分を散歩へと釣り出している(笑)。

なので、
一日ひとつと決めている。

きのうは、
パーセルのオペラ
『ディドーとエネアス』を
買ってきた。

皆川 達夫先生の
ガイドブックでは
『ダイドーとイーニアス』
という表記になっていた。

モチーフとなった
ギリシア神話を知らなかったので、
ウィキで調べてみた。





よく自販機で見る
「ダイドー」も
この女神名が由来なのか
気になって調べてみたら、
「大同薬品工業」の“大同”であり、
「ダイナミック(Dynamic)」に
チャレンジを「行う=ドゥ(Do)」
という企業姿勢を表して
「DyDo」としたという。

なーんだ、である(笑)。

   ┐(´ー`)┌  

***

皆川先生が
オススメの
『嘆きのアリア』を
真っ先に聴いてみたが、
なるほど、心に迫る
名曲であった。

まだまだ、
バロック音楽にも
知らない曲が山とあり、
寿命尽きるまで
勉強のネタに困ることは
なさそうである。

勉強は「インプット作業」なので、
「アウトプット作業」としては、
ピアノやチェンバロ、
ギター、リュート、チェロなどで
演奏という表現を研究している。

こちらも
音楽の深淵さで
その研究は死ぬまで
尽きることがないだろう。






ツタヤ・ブラウジングの
楽しみの一つに
アタリ本の"背取り"がある。

きのうも
10分ほどかけて
110円コミック・コーナーを
つぶさに見て廻ったら、
「三浦みつる」の稀覯本を発見した。

『かぼちゃワイン』での
可愛いエルちゃんとは対照的な
クールな調香師のヒロイン物である。

帰宅して
アマゾンで検索したら
2000円の値が付いていた。

ヤフオクが始まった頃に、
こうやって転売をして
月商10万くらいの
小遣い稼ぎをやっていたことがある。

なので、今でも、
"背取り"の勘は
鈍っていないようである。








きのうは
カウンセリングの当日予約で
S先生が来られ、
文明堂のお土産を頂戴した。

箱を開けるまで、
てっきりカステラかと思ってたら
プリンの詰め合わせで
意表をつかれた。

屋号の『文明堂』が
いい具合の行書体なので、
切り抜いて
書室での臨書手本用に
スクラップした。

「堂」の連綿は
どうも楷書の書き順とは違い、
一筆書きのようになっており、
さっそくその運筆を
真似てみたいと思った。







『コスミック・フロント』で
日本の女性科学者の嚆矢
「猿橋 勝子」のバイオグラフィーを
興味深く視聴した。

ビキニ環礁での
水爆実験での海洋汚染を分析し、
アメリカの世界的権威を
屈服させたという
「分析の鬼」のような
エキスパートだった。

その研究業績により、
米ロに核軍縮条約を提携させた
という偉業を残した。

旧気象庁の退職金を元に
「猿橋賞」を設立し、
日本の女性科学者の応援に
力を注いだ女傑でもある。




















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狐狸庵センセイ幻の作品

2021-12-20 09:18:00 | 音楽
昨晩のNHKニュースで、
狐狸庵先生の未発表作発見
というのが報じられ、
全巻を読んできたファンとしては
驚きと喜びを感じた。

2月頃、
出版されるというので、
その日を楽しみにしている。






1955年頃に
地方新聞に連載された
『稔と犬』という小編だが、
後の代表作『沈黙』に通ずる
モチーフが見られるという。

隠れキリシタンや司祭が捕縛され、
踏み絵をふまねば
凄惨な拷問死に処せられる
という極限場面で、
踏み絵のキリストが語りかける。

「踏むがいい。
 お前の足の痛さを
 この私が一番よく知っている。

 踏むがいい。
 私はお前たちに踏まれるため、
 この世に生れ、
 お前たちの痛さを分つため
 十字架を背負ったのだ」

この感動的な部分には、
キリスト教学者のあいだで
ずいぶんと物議を醸し、
あからさまに批判された事もある。

こたびの新発見小説には、
主人公のミノルが
悪童にそそのかされて、
聖なる対象を空気銃で撃てるか、
というシーンがあるらしい。










きのうは雪解け道を
散歩&ツタヤ・ブラウジング
に出向いてきた。

中古外盤コーナーで
3枚組817円の
『ジュスティーニのピアノソナタ』
を買ってきた。

1700年頃、
クリストーフォリが
チェンバロのプレクトラム(爪)に
代えてハンマーを使用した
ピアノの元型「アルピシェンバロ」を
発明する。

後に、それは
「ピアノフォルテ」と
呼ばれるようになるが、
その語源はピアノ(弱音)も
フォルテ(強音)も出せる、
という意味である。

実際にチェンバロを弾いてみても
実感することだが、
鍵盤のタッチ如何に関らず
プレクトラムが弦を弾くのは
一定の強さなので
この楽器には音の強弱がつけられない。

その欠点を解消したのが
ハンマーの導入なのである。

ここにおいて、
管弦楽器のように
鍵盤楽器にも
繊細な強弱の表現が
可能になったのである。







ジュスティーニを調べてたら、
バッハとスカルラッティと
同じ生まれ日で、
しかも、バッハもスカルラッティも
フォルテピアノの演奏をしている、
というのを知って驚いた。










着道楽の教科書である
『王様の仕立て屋』の
最新刊が出ていた。

今号では、
アスコットタイが出てきて、
まだ、それを持っていないので
アマゾンでこれから
注文しようと思っている。









ウィキってみたら、
イギリスのアスコット競馬場が
名前の由来らしく、
当時の紳士が棒状にしたり
リボン状にして
装っていたという
フォーマルスタイルだが、
現今では専ら
インフォーマルスタイルと
されている。













ブックオフでも
未読コミックの"背取り"
(面白そうな物の試し買い)
をしてきたが、
半分はB級以下の内容だった。

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命を削る

2021-08-21 04:46:00 | 音楽
いよいよ
来週から学校仕事が
始まるが、
ここのところの
寒暖差で体調がイマイチである。

東京のアキも
調子が悪いというので、
Tちゃん先生の教会へ
お参りし、
「ご新米」をお下げ頂いた。

カミさんが
さっそく
東京に送ってくれるという。

東京もフクシマも
感染爆発状態で、
コロナっても
自宅療養を余儀なくされる。






生まれてきた以上、
死ぬのは必定なので、
3.11で生き残って来、
いつ死んでもいいように
「覚悟」だけは決めて
「今月今日、今ここ」を
一心に懸命に味わって生きてきた。

コロナ禍も出来事だが、
実は「わたし」という
「実存感」も
ひとつの出来事であり
現象でもある。

宮沢賢治の
『春と修羅』の「序」には
それが詩的に描かれている。

 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です

 風景やみんなといつしよに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です







台所は
自分にとっては、
創造の場でもあり、
いくつかの素材を組み合わせて、
ひとつの総合的なものを
創出する。

きうのも
冷蔵庫の8素材から
「それ/it」を
出現せしめた。









ステイ・ホームが
推奨されるこの時季、
料理を趣味としていると、
創って、味わって…と、
"ひとり遊び"を満喫させてくれる。














ピアノの前には
ショパン、モーツァルト、
ベートーヴェンという
三人の楽聖の肖像画が
飾ってある。

それぞれの曲を
気分に応じて弾くとき、
必ずやその肖像を拝してから
作曲家の人間性を
感じるようにしている。

この夏休みは、
ショパンの『幻想即興曲』と
真剣に取り組んだ。

そのたびごとに、
「ショパン大明神様。
どうぞ、この曲を
弾かさせて下さい」
と大仰に柏手を打って(笑)
肖像に祈願した。





大学一年の頃、
盲腸手術で入院したベッドで
退屈しのぎに初めて譜読みして来、
40年も時々に関わってきた曲だが、
いまだに暗譜もできず、
ひと様に聴かせられるレベルには
達していない。

この夏、
ようやく暗譜を8割がたして、
いくつかの難所練習を
毎日、真剣に反復練習した。

そのたびごとに、
指が強張り、
背中がバリバリになった。



いつぞやだったか、
自らは楽器をやらない知人から
「クラシックやってる人は、
何処か一本芯が入ってる感じがする」
と言われた事がある。

なるほどと思わされたが、
カラオケ親爺と比較すると、
よく解かるような気がする。

いくら歌が好きだから
といっても、
同じ曲を40年も
数千回も練習するのは
稀であろう。

ギターの
『アルハンブラの思い出』
なぞは、
小6頃から初めて
50年以上もやっており、
公開演奏に至るまでは、
レッスンを受けながら
万単位の練習をしている。

なので、
白譜を渡されたら
スラスラと全曲筆記できるし、
エニータイム演奏できる。

『禁じられた遊び』然り、
『花祭り』『さくら変奏曲』
『コーヒールンバ』…
というオハコのレパートリーも
そうである。

数千回の演奏は
当たり前の世界なので、
それゆえに知人の
「一本芯」説なのかもしれない。

別の知人からは、
「同じ曲を弾いてて飽きませんか」
と言われたこともあるが、
「飽きることは飽きるけど、
演奏は毎回一回こっきりなので、
その時は、新鮮で、
しかも、なかなかパーフェクトには
弾けないものですよ」
と応えたことがある。

そうなのである。

聴き手を
感動させることは出来ても、
自分では納得できないことも
多々あり、ましてや、
ミューズ(音楽の女神)に
賞賛されたことなぞ
未だかつて覚えがない。

それでも、
"命を削る"ようにして
やり遂げた6回もの
音楽堂リサイタルでは、
あの「場」で
ミューズが降りてきたような、
ゾーンに入ったような…
「壇上没我」になった瞬間は
幾度かあった。

弾いてるのは自分なのか、
ギターが歌っているのか、
「人馬一体」のような感覚になる。

そして、
「永遠の一回性」という
閉じた「曲」の時空・宇宙に
まさしく「それ/it」が
現れるのである。

ただし、
そこに至るまでは、
数千、数万の鍛錬、稽古、
リサイタルやコンクールでの
試練を経ないと
達し得ないのである。

必然、生身の肉体は
疲弊し壊れることもある。

ヘバーデン結節で
関節が曲がり、
生涯、慢性的な痛みと共に
暮らさねばならなくなる。

それと引き換えの
「美の創出」なのである。

それを端的に言えば
"命を削って"
と言うより他に知らない。







晩夏の庭は
花枯れで、
沢山の緑より
他にない。

なので
サクラの斑入りを
一枝手折って
露を打って
花入に活けた。



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