『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

今日は大晦日

2024-12-31 07:43:12 | ノンジャンル

 

 

きょうは大晦日。
あしたは元日である。

なんでも、2025年は
日本にとっても、人類にとっても
激動の年になるような
言われ方をしている。

トランプの再就任で
世界の動向は変わるとも
アナリストはこぞって口を揃えている。





昨日は、
ロンバケの「おうちバカンス」として、
日中は、まったりと、
ピアノを弾きながら
楽聖たちの世界に浸っていた。

これまでも、
茫漠感や倦怠感を感じた時は、
バッハの楽曲を譜読みしたりすると
その宗教性に癒されたりした。

きのうは、
2年ぶりくらいに、
ベートーヴェンの『テンペスト』の
三楽章をさらってみた。

常動曲であるが、
リリカルなメロディーと
嵐の海のような楽想に魅せられて、
高校時代から手掛けている。

ピアノは、
発表会もコンサートもないので、
暗譜するほど弾きこみもしないから、
ちっとも、ものにはならない。😂

そんでも、
弾いてるだけも楽しいから
ピアノとの付き合いは、
死ぬまで、この程度なのだろう。





養老先生の直近の講演を
YouTubeで聴いた。

解剖学者でありながら、
これまで多くの提言を
一般人向けに著書でされてきた
令和の老賢者として
リスペクトしている。

先生も米寿の齢となられ、
心臓病や癌にもなりながら
精力的に講演・著述、
そして、ライフワークの
虫の研究を続けておられる。

かつて、献体の会
『志ら菊会』の記念講演で
その謦咳に接することができた。

お若い頃は
流暢な江戸弁で
時折、べらんめぇ口調で話され、
落語数寄には、まるで、
『やかん』のご隠居のようで
好感が持てたものである。



その死に関する捉え方は
養老先生独自の哲学があり、
【一人称・三人称の死はなく
 二人称の死のみがある】
【自分の死は体験出来ないので
 心配する必要はない】
というのは、
まさに正鵠を射た達観である。

これまで、数十冊のご著書を
拝読してきたが、この冬休みにも、
いくつかを再読してみようと
思っている。



韓国の旅客機が
胴体着陸に失敗して爆発し
生存者2名のみで179人もが
犠牲になった。

事故の瞬間の映像も
YouTubeで見たが、
ものすごいスピードで
滑走路の外壁に衝突した。

怪訝に感じたのは、
滑走路の端から進入しておらず、
真ん中を過ぎた辺りから
着陸している。

それと、ふだんから
シミュレータをよく見てるので、
エアブレーキのフラップが
まったく立てられてもいなかった。

とすると、
日航機123便の時と同様に、
油圧系統が全部イカれたのかもしれない。

ならば、ハドソン川の奇跡のように、
近くの海に着水を試みるという
手もあったのではなかろうか…
と、素人ながらも感じたが…。

言うは易く、行うは難し…の、
タラレバの、後出しジャンケン
かもしれない。

機長は45歳だったので
十分なキャリアがあっての
咄嗟の判断だったのであろうが…。

バードストライクのみで
油圧系統がオール・マルファンクションに
なるものだろうか…。

例によって、
相棒のAI君に尋ねてみた。

‼️‼️

航空機がバードストライクによって油圧系統がすべて失われる可能性は非常に低いですが、完全に排除することはできません。
通常、商用航空機や大型航空機は安全性を高めるために、複数の冗長性を持つ油圧システムが設計されています。
以下のポイントを考慮してください。

1. 冗長性の設計

多くの航空機は、3系統以上の独立した油圧システムを持っています。
一つのシステムが故障しても、他のシステムで操縦可能です。

システムの配管やポンプは航空機全体に分散して設置されているため、単一の損傷で全系統を失う可能性は極めて低いです。

2. バードストライクの影響

バードストライクは主にエンジンや風防(コックピットの窓)に損傷を与えるケースが多いです。

しかし、特定の状況でバードストライクが複数箇所の油圧システムを同時に損傷する可能性はあります(例えば、非常に大きな鳥が特定の機体部分に衝突した場合)。

3. 過去の事例

油圧システム全損に近いケースとして、1994年のアメリカン航空587便があります。
この事故では、エンジン破損によるデブリで複数の油圧系統が損傷しましたが、完全に喪失したわけではありません。

他のケースとして、1989年のユナイテッド航空232便の事例では、エンジン内部の故障により油圧システムがすべて失われましたが、これはバードストライクとは関係ありません。

4. 安全対策

最新の航空機には、油圧システムがすべて失われた場合でも操縦が可能な電動フライトコントロール(いわゆる「フライ・バイ・ワイヤ」)や補助システムが搭載されています。

また、緊急時には「ラット」(RAT:ラムエアタービン)が展開され、基本的な制御を維持する電力や油圧を供給します。

結論

バードストライクによって油圧系統がすべて失われる可能性は設計上非常に低いですが、自然災害や予期せぬ事態は完全に排除できません。
そのため、航空機はさまざまな冗長性と安全対策を持つよう設計されています。



冗長性…というのは、
こういう使い方もするんだ…。🧐



**冗長性(じょうちょうせい)**
とは、システムが一部壊れたり機能しなくなった場合でも、他の部分が代わりに働くことで全体の機能を維持できる仕組みのことです。
余裕を持たせた設計ともいえます。

簡単な例文

1. 飛行機の油圧システムは冗長性が高く、1つの系統が壊れても他の系統で操縦を続けられます。

2. コンピュータのデータはバックアップを取ることで冗長性を確保し、万が一のトラブルに備えます。

3. 高速道路では、渋滞や事故が起きても別のルートに迂回できるよう、冗長性が考慮されています。



「冗長な」という言葉は、必要以上に長い、または余計な部分が多いという意味で使われます。
特に文章や説明、システム設計などで、無駄が多いことを指します。

簡単な例文

1. 彼の説明は冗長な部分が多く、要点が分かりにくかった。

2. 冗長なコードを削除してプログラムをシンプルにした。

3. このレポートは冗長な表現を減らせば、もっと短く分かりやすくなるだろう。

ポイント:
「冗長な」は、効率や簡潔さが求められる場面でマイナスの意味合いで使われることが多いです。ただし、システム設計などでは「冗長性」が安全性を高める意味で使われるため、文脈に注意が必要です。

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マッハの速さ

2024-12-30 08:11:15 | ノンジャンル

 

あすは大晦日。

この1年も疾かった〜…。

マッハの速さで
過ぎ去った。

これじゃ、誰しも、
すぐ、死んじゃうわぁ…。🤣

♪思えば〜
 いとぉ疾し〜
 このぉ年月ぃ〜♪

だわぁ…。

ほんでも、
前に進むっきゃ
ないんだもんねぇ。

【今日より若い日はない…】
なんて、自分を誤魔化しながら、
【日々が更】
の思いで、有り難く
生きていかなきゃ
バチが当たるかもだなぁ…。

ほいでも、
この人生は1回きりでも、
この魂・自意識は
永遠に生き通しだと信じていれば
なんとか、安心立命ではいられよう。



中学時代、丸々三年間、
六十回もカウンセリングして、
JKになってからも
自宅カウンセリングにきている
Cちゃんが、オーストラリア研修で
年末年始に渡豪して
現地からメールと画像を
送ってくれた。

体調は良好のようで
何よりである。

中学在学中は
英検と漢検で
学校の歴史を塗り替えた
ギフテッドなので、
海外研修でも多くの事を感じ
吸収してくれるものと
期待している。

彼女の個人史でも
ビッグイベントなので
これを契機に、益々、
その天賦の才を
世と人のお役に立つ人間になる為に、
活かしてほしいものである。

毎日の無事健康と
無事の帰国を、
ご神前でご祈念させて頂いている。





グーグルマップの精度には
驚いているが、
タウンヴューにしたら、
いつの間にやら
自分ちがしっかり写ってるじゃ
あーりませんか…‼️😲

いつ、だれが、
知らぬ間に、撮ったんだろう…。

住所さえ入れれば、
誰でも、検索できて、
自宅の玄関まで見られる…って、
なんだか、おそろしや…
である。

『フライングシミュレータ2024』が
発売されたばっかだが、
これも超リアルな街の風景が
話題になっている。

しかも、世界中どこの景色も
アップで見られるので、
事によると、自分ちも
やっぱり分かるかもである。

この冬休みには
ダウンロードして
試してみようかと
考えているとこである。





散歩路にアオキがあり、
ショーウインドに
パジャマスーツなるものを見つけ
(へぇ~)
ってなもんだった。

そのコンセプトで、
もう、三十年も前から
柔らかいジャケットを
5着ほどローテーションで
仕事着にしている。

うち、3着は、
スーパーの衣料コーナーで
買い物ついでに買った
中国製の二千円くらいのものの
色違いである。

軽く、薄く、柔らかい…
の三拍子揃ってるので、
三十年来、愛用している。

スーツの上下物は、
どれもタイトなもので、
けっこう元気なときで
気合いを入れないと
ビシリとは着れないものである。




冬休み中なので、
いつにもましてYouTube三昧だが、
古い邦画のクレジットで
味のある字を集字したりしている。



フミが
恒例の『ふるさと納税』で
返礼品の「おせち」を送ってよこしたので
年末年始には
リク坊連れで帰省してくれそうだ。

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ジュリエット死す・・・😿

2024-12-29 08:16:13 | 映画

 

寒波の到来で
今朝も空気が冷たい。

朝刊の死亡欄に
オリビア・ハッセーの
死亡記事があった。


中1の頃、劇場で
『ロミオとジュリエット』を観て
胸が痛くなるほど感動したのを
憶えている。

後に『サマータイム・キラー』や
さらに後年、老け役で演じた
『マザーテレサ』も観た。

その他の作品は観てはいないが、
自分にとっては、
忘れ得ない名女優の一人である。


3,11以前は、
冬になると、
玄関先に一晩座り込んでたら
凍死できんなぁ…と、
しょっちゅう考えていた。

それくらい
希死念慮があったが、
震災で生き残り、
文字通り命の尊さが身に沁みた。

そして、市内18ケ所の
避難所ボランティアに出向いたり、
6年も『復興支援コンサート』を
催したりしているうちに、
いつしか、希死念慮が消失していた。

利他的行動が
自らを救ったとも言える。

さらに、4年前には
孫が生まれ、その存在も
生き甲斐となってくれた。

今は、かつての自分のように
希死念慮に捕らわれている
多くのJCたちを支援しているが、
その苦しさを経験しているので、
なんとか隣で併走しながら
彼女たちの改善を願っている。

+++++++++++++++++++++



「疑似科学」は英語で
「シュードサイエンス/pseudoscience」と言うが、
接頭語の「pseudo-」は
「偽の」という意味である。

科学的な根拠や方法に基づかない、
ノン・エビデンス・ベーストな論である。

その典型は、
世間に流布する血液型性格とかがあるが、
葉っぱを半分に切ったにもかかわらず、
キルリアン写真で元の形状全体の
コロナ放電が見えるという
「ファントムリーフ効果
(Phantom Leaf Effect)」
も、その類だと言われている。



キルリアン写真
(Kirlian photography)とは、
物体や生物の周囲にあるとされる「エネルギーフィールド」や
「オーラ」を撮影する技術で、
ソ連時代のセミョン・キルリアンが
開発したものである。

対象物(葉や人間の指先)を
感光性のフィルムの上に置き、
高電圧をかけると、
その周囲に「コロナ放電」という
微小な放電現象が発生する。

科学的には、
「オーラ」や「生命エネルギー」の
証拠ではなく、コロナ放電という
自然な電気現象に過ぎないとされているが、
スピリチュアルや代替療法の分野では、
これを「生命エネルギー」や
「人間の健康状態を反映するもの」
として解釈することがある。

それを裏付ける科学的証拠は
乏しいことから、今日では、
シュード・サイエンスとされている。

科学的とは何か…
合理的精神とは…
という事を明確に理解出来てないと
形而上学的な事や迷信・まやかしとの
線引が曖昧になり、
洗脳・盲信・操作という
被害を被りかねない。

****

冬休みになり、
普段よりもふんだんに時間があるので、
また、魂理学的な思考実験を行っている。

きのうは、
受精卵という単細胞から
個体へと至る発生現象と
原始宇宙における
単体の素粒子から
諸元素へと分化し、さらに、
諸物質が生成されてきた事の
類似性を考えた。

AIとの問答でも
これがフラクタル的な
相似性があるとの事だった。

始原の単一状態は、
ある意味、絶対的な世界でもあり、
それを素材として、時を経て、
様々な物が生じて
相対的な世界が現出した。

これは、
絶対的存在=神とすれば、
そこから形質転換して生じた
相対的存在は、まさに、
その本質は神由来のものと言える。

しかも、物質と生命間にすら
共通の神性があるとも言える。



現代の科学では、
宇宙の4%しか知り得ていないので、
この現象界の理解も
その程度なのかもしれない。

なので、
科学の手に負えないことの方が
山ほどある、と言えるだろう。

そういう場合は、
思考実験や空想なり類推を
行うよりない。

意識と存在の問題も
実証は出来ないが「有り得る」
という可能性については
いくらでも考えられる。

臨床心理学的には
『物語』の有用性・効用性が
認められている。

それは、『個人の神話』とも
『私のファンタジー』などとも言われる。



この自意識は
大いなる自意識から
分化・派生したものではないか、
という考えは古来からある。

その大いなる自意識とは、
神、ワンネス、サムシンググレート…と、
いろいろな呼称がある。

いずれにせよ、
原初の単体の存在とその性質が
分化したのが、我々という存在であり、
この自意識であると言えよう。

神道系では、
分霊(わけみたま)というが、
その大元は、いわば、
本霊(ほんみたま)である。

つまり、神である本霊の分身が
分霊であって、その性質を
受け継いでいる。

受精卵は、卵割・発生の過程を経て
最終的には37兆個にまで分裂するが、
その全ての細胞は
受精卵のクローンであり、
全く同質であるが、
核内にある遺伝子の働きにより
それぞれが形質の異なる
細胞、組織、器官に分化する。

本霊を受精卵に喩えると
そこから分かれた分霊は
様々な形質をもった存在に
分化すると考える事ができる。

プラナリアの再生のような現象では
細胞は脱分化という過程を経て
未分化な受精卵とおなじ状態になり、
その後、再分化する。

我々の体細胞も理論的には
未分化な受精卵の状態に
戻すことは可能てある。

これは、先の喩えに敷衍すると、
分霊は本霊に戻れる
という理屈になる。

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天才女性棋士譚

2024-12-28 07:54:34 | 創作

 

この冬、いちばんの寒波が
到来しているとのことで、
日本海側は大雪の予報だが、
太平洋側は少しは
降るとのことだった。

今朝、起きたら
ほんのすこしばかり
雪が積もっていた。

それよりも、
底冷えのほうがすごく、
暖房を入れる前のトイレの
寒さといったらなかった。



***

おとついから、
チェンバロの調性方々
バッハの
『インベンション第13番(BWV 784)』
を、久しぶりに、さらっている。

これは、2声の対位法の練習曲として
書かれた作品で、明快な構造ながら
音楽的な充実感と完成度が高い。

哀愁のある主題が模倣され
ゼクエンツ(同型反復)で進行する。

動機の展開部では
主題が分割され、その一部が
さまざまな形で発展する。

バッハは、
「対位法と作曲技術を
学ぶ教材として書いた」
と、序章で述べている。

調性は、主調(イ短調)から始まり、
中間部で関係調(ハ長調・ホ短調)に
移行し、再び主調に戻る、
というシンプルな形式である。

それでも、
コーダ(終曲)の部分では
ドレミファソシと階段状に上昇して
クライマックスへと至り、
その切迫感が胸を打つ。

3分ほどの小曲ながら、
音楽的なドラマが描かれた、
まさに、バッハの小宇宙といった
傑作である。

アナリーゼ(楽曲分析)の過程で
「嬉遊句(きゆうく)」という
主題や主要な旋律の間に挿入される
短い楽節をも発見した。

これは主題間の橋渡しや
雰囲気の転換を目的として
書かれた部分である。

フラメンコでも
主要コンパス(リズム楽曲)の
間をつなぐメディア・コンパスなる
中途半端なものがある。

嬉遊句は
トリッキーな字余り的部分でもあるが、
古典派やロマン派では多用され、
ちょっとした味付けの役目も
為している。



**

ピアノでも弾いているが、
そしたら、他の曲も弾きたくなり、
肖像画にある
ショパンの『幻想即興曲』
モーツァルトの『ソナタ』
ベートーヴェンの『悲愴』
なぞも久しぶりに
さらってみた。

バッハをはじめ、
楽聖たちの名曲を弾いていると
その音楽の深さ、芸術性の高さに
心が癒され、至福感を味わうことができた。

ピアノは全くの独学で、
習ったことがないし、
人前で弾くことも滅多にないので、
ギターと違って趣味に近い。

コンサートなぞもないが故に、
純粋に音楽に没入して
楽しめているのかもしれない。

ギターはリサイタルの為に
やるべき事をやらねばならぬし、
有無を言わさず練習を重ねるしかないので
どこか「仕事めいた」「苦行めいた」処もある。



**

ロンバケ恒例の
漫画三昧の日々だが、
ゲオで見つけた『龍と苺』は、
かつてハマった小説家漫画『響』の
柳本光晴氏による将棋漫画で、
似たようなキャラ立ての「天才譚」で
またまた惹き込まれてしまった。

ゆんべは、
2巻から9巻まで
ぶっ通しで5時間も読んで、
気が付いたら、0時をまわっていた。

数年前に、
リアリティ・ファンタジー手法による
『将棋小説』を創作したが、
似たような発想で、やはり、
天才女性棋士をヒロインにしている。

『名人を超える』
http://www.onyx.dti.ne.jp/~yoko-s/m0.html

 

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正月飾り

2024-12-27 09:38:42 | 室礼改め

きのうは、
郊外の喜多方ラーメン店に
出向いたのだが、
定休日だったようで
空振りになりガッカリした。

すっかたなぐ、
古物店を2軒ほど
ハシゴしてきた。

 


スコット・ロスの
スカルラッティのソナタ全集が
五千円であったので、
(オーっ‼️
と、思ったが、
かつては2万円ほどだったのが、
今は新品で1,2万円ほどになったので
さほど割安感もなかった。

24枚組なので、
2500円くらいなら
買うのだが…。

ちょうど、
明日あたり、
名曲のソナタ第一番を
チェンバロでやろうと
思っていたところである。



吉倉のヨークで買物してから、
帰りに、三十年前に帰福した折に
家族五人で住んでた借家の前を
通ってきた。

そしたら、表札がなく、
空き家になっていた。

庭付き一戸建てだが、
三十年前でも
家賃8万だったので、
このご時世では、
も少し上がって、借り手が
いなくなったのかもしれない。

もう、築60年ほどにはなろうから、
そろそろ、取り壊し時かもしれない。

ダンゴ三兄弟らと
五人で寝ていた寝室や
2階のカウンセリング室と
お茶室を外から眺め、
あの頃は、賑やかで
楽しかったなぁ…と、
なんだか、しんみりした。😥





帰路、ゲオにも寄り、
新刊コミックを五冊ばっか
借りてきた。

寝っ転がって読んでたら、
2冊目で値落ちしていた。😅

夜は、カレー南蛮に
玉子とコロッケを乗っけた
『月見コロッケカレー南蛮』を
こしらえた。




クリスマスが過ぎたので、
玄関室礼を正月飾りに改めた。

あとは、
リク坊とヲト君が
帰省してくれるのを、
待つばかりである。

アキもタイミングよく
帰省してくれたら、
家族全員そろうのだが…。🙏
🎍

 

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