『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

備前が好き

2021-04-25 07:02:00 | 音楽
どうも
凝り性なとこがあって、
それが、今月の
プチ・マイブームの
「カツ丼」試食探訪になっている。

土曜の朝方、
漱石の『夢十夜』の
分析を仕事部屋でしてると、
フッと、今日は何処に行くべぇか
と新たな候補地を
探索したくなるので、
病膏肓に入る・・・と、
ひとり苦笑している。

でも、
「○○したい」
という衝動的な欲動は、
反社会的なものでなければ、
個体に備わった本能的な
ノベルティ・シーキング
(新奇探索)欲求なので
出来るだけそれを
満足させてやりたいとは思って
行動に移している。

そうでないと、
人生、何も始まらないし
何も終わらないという
ツマラン事になってまう。

でも、
いつもいつも、
その新奇探索が
いい結果になるとも
限らない。

酷い目に遭うことも
しばしばありがちなのである(笑)。

でも、
それでも、
それをやめないのは、
それが「生きる」という事であるからだ。





・・・てなわけで(笑)、
手仕事を中断して、
そそくさと
「カツ丼探検隊」に
出発した。

目指すは、
爺ちゃん・婆ちゃんの営む
昭和オンボロぼろぼろ食堂である(笑)。

行き付けの
『亀寿司』の裏通りにある
『天山』には、
これまで、ラーメンや
チャーハンで
二度赴いている。

いよいよ、
三度目はカツ丼である。

その威容は
見事なもので、
味の甘辛加減も
ご飯の炊き加減も
まずまずの及第点であった。

ただ・・・
最後の一口になって、
ウッ…ときた。

箸が進まない。

これは、
天丼・カツ丼で
稀にある現象で、
原因はとっくに
究明済みである。

揚げ油の劣化なのである。

大衆食堂では
天婦羅専門店のようには
頻繁に油を換えることをしないので、
厨房をのぞくと
真っ黒なタールのような油で
揚げ物を作っている処が
少なくない。

定期的には
換えてはいるのだろうが、
それに怠りがあると、
揚げ物のクドさ重さに反映されて、
いわゆる「わりーアブラ」に
成り果てるのである。

いつもの
勿体ない精神で、
エーイッと
最後の一口を放り込んだが、
案の定、帰りの車中で、
胃もたれと軽いムカツキを覚えた。

これを
「湯あたり」を捩って
「油あたり」と称している。

帰宅後も
鳩尾(みぞおち)の違和感が
続いたので、
仕方なくナウゼリンを呑んだ。

カツ丼喰って
吐き気止めを呑んだのは、
今月、6店目で
初めてである。

いい味、
いい具合のカツ丼だったが、
油だけが合わなかった。

常連であれば、
「爺ちゃん、たまには
揚げ油とっかえなよー」
と言ってもやりたいが、
なんせ
ヴィジターでしかないから、
ま、しゃーないなー・・・
ってなもんである。

でも、
くどいが
美味しい部類の
カツ丼だったので、
返す返すも
残念である。







前回の二割引きセールで
100円のクーポンをもらったので、
古物店の『オーディン』に寄って
目を付けてた備前の小鉢を
100円引きの230円で買ってきた。

作風から
作家物には違いなさそうだが、
少々、手取りが重く無骨なのと、
緋色が上手く発色しておらず、
ギリ売れる際物に近いかもしれない。

でも、
使いようによっては、
懐石の先付けや
向こう皿として
白身の鯛のお造りなどを
際立たせてくれそうに見えた。

なにより、
手作りの備前が
230円なぞでは
タダ同然である。

水を潜らせてみたら、
見込み(真ん中)には
ちゃんと櫛目と窯変があり、
高台には緋襷(ひだすき)が
走っているので、
鑑賞にも値する。

緑色の胡瓜のお新香なぞも
きっと映えるに違いない。

それをアテに、
備前の徳利とぐい呑みで
吟醸酒をやるのも
いい趣向である。







教え子ピアニストの
イマダケちゃんが、
先日、献呈した曲を
さらっての感想を送ってくれた。

気に入ってくれたようで
何よりであった。

自分も、
今週から始まるY中の
体育館ピアノの"悦ちゃん"で
試し弾きしてみたいと
思っている。

自分で創っといて、
まだ暗譜できずにいるので、
なんだか可笑しく思った。

楽聖とは比較にもならないが、
ショパンがサロン演奏会で
自作自演をする時に


「難しくて弾けないや…」
って、リストに言った事がある、
というのを『音楽史こぼれ話』で
読んだことがあり、
それも何だか可笑しかった。





居間にある
クマの縫いぐるみを見て、
なんで可愛いのかと
よくよく見てみると、
三頭身だからかぁ…と、
今さらのように気付いた(笑)。

リク坊ちゃんの
裸ん坊の姿も
四頭身なので
カワイイのだろう。

"お人形さんみたい"
とは、よく言ったものである。







毎週、朝刊の
日曜版には書評が載るので、
いつもそれを参考にしている。

今回は、
知らない評論家の
『哲学漫想』なる書のコメントが
目を引いた。

3.11では
『3.11を生きる』
『震災を生きる』
『学校臨床の実際』
という三部作を
上梓して、販売もし、
各学校の図書館に
寄贈もした。

そしたら、
今度はまた数百年に一度の
未曾有の世界的感染症の時代に
遭遇した。

これについても、
これから、総括して
これまでのように
ネットで発表するなり、
一書なりとも纏めようと
画策して資料を読み漁っている。

今、毎日の車中で、
東洋哲学の碩学・
中村先生の仏教学の
連続講義のテープ10巻を
何度も繰り返し聴いている。

やはり、
その中心には
「無常」という概念があり、
この現実に対し
「空」の概念を
どうアプリケートされるか
ということに腐心している。

涅槃経では、
「一切衆生 悉有仏性」
(いっさいしゅじょう
しつうぶっしょう)
というのがある。

生きとし生けるものは、
すべて生まれながらにして、
仏となりうる素質をもつ
ということである。

金光教にも、
誰もが神の氏子であり、
生神になれる…
という教祖の言葉がある。

比較宗教学をやっていると、
人類共通の「理法」というのが
最大公約数的にあることが解かり、
それが「真善美聖」という
四文字に収斂される。

その反語が
「偽悪醜邪」である。

共産主義では
宗教を徹底的に
弾圧した歴史があるが、
それは理念・理法に生きよう
という人間は、途轍もなく
強い力を発揮するから、
それを恐れたのである。




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カツ丼月

2021-04-24 05:03:00 | 食物・飲物
高原の僻地にあるY中が
今年から勤務時間が
半分に減らされたので
月一くらいになり、
毎週金曜も完オフ日になった。

そしたら、
きのうは早朝にブログを書いて
寝室にもどって
マンガを読んでたら
二度寝してしまい
11時くらいに目が覚めた(笑)。

朝っぱらから
こんなに眠れるのは
体調がいまひとつなのか、
「春眠」なのか・・・。

たしかに、ここ数日、
風邪っぽさを感じながら
勤務してたので、
休みともなると
気が緩んで眠れたのだろう。




42の厄年に
うつ病を発症して来、
家元に書いてもらった
【暇が出来たら寝てること】
という箴言を
養生訓として
寝室にかけてある。

主治医からは
【明日できることを今日するな】
と戒められた。

元来、
A型性格(アグレッシヴ・タイプ)なので、
若い頃から
「生き急ぎ」の傾向があった。

ミッドエイジ・クライシスとして
うつ病になったことで、
その生き方を
否が応でも改変させられた。

そして、
3.11とコロナ体験で、
ますます、
【人生ぼちぼち参ろうか】
と、おじゃる丸みたいな
メンタリティーになってきた。




眠気が覚めないので、
いくらでも
寝ていられそうだったが、
丸一日寝そうな気がしたので、
なかば無理くり起きて着替えた。

そんでも、
これから、いったいどーすべぇ・・・
と思案にくれた(笑)。

ちょうど、
昼時分だったので、
こーいう時は
「飯っ喰い」に限る。

糖質制限食餌療法も
近頃、とんと、
グダクダになってきた(笑)。

どーいうわけか、
今月は「カツ丼」マンスのようで、
「あらい食堂」に始まり、
「みなふく食堂」「玉井食堂」
「吉倉食堂」・・・と、
カツ丼行脚している(笑)。

なので、
そのテーマに沿って、
ターゲットを絞ってみたら、
「もりなが食堂」に
白羽の矢が立った。

オフィス街にあるので、
正午にでもなったら、
満員札止めになってしまうので、
あわてて家を出た。

11時開店なので、
もうすでに開いてるはずだった。

すっ飛ばして行くと
11時半頃に到着した。

有料駐車場の隣が
お店なので
歩いて10秒もかからない。

狭い5席のカウンターには
すでに一席ずつ空けて
3人が陣取っていたが、
二人掛けテーブルは
幸い空いていた。

『食べログ』で
前もってリサーチしたら、
ここのは
ソース味を玉子で閉じて
キャベツの上にのっけるという
"ハイブリット"(笑)なので、
女将さんに
「ソースとキャベツなしで、
ふつうのカツ丼にできますか?
親子丼と同じ味の・・・」
とリクエストしてみた。

そしたら、
狭い厨房で
それを聞いていた
老齢の親父さんが
「玉葱でやるから出来るよ・・・」
と快諾してくれた。

カウンターのおっさんが
この店のスペシャリティでもある
海老天を別皿でやってたのを
盗み見て、『孤独のグルメ』の
五郎さんよろしく
「えび天一本も
お願いします・・・」
と追加注文した。

それから、
おもむろにスマホでも
見てみっか・・・と、
数分も眺めたら
すぐに出来てきて驚いた。

この店は、
昔っから常時、
出前もやってるので、
とにかく仕事が迅速なのである。

まずは、
揚げたてで
濃いめのタレにくぐらせた
大きい海老天に
ガブリとかぶりつく。

もう、
55年近く
これを名物としてるだけあって、
さすがに美味しい。

まだサクリという
歯応えがあり、
タレの甘辛加減が
絶妙なのである。

おそらくは、
老舗うなぎ屋と同じく、
何十年物かで、熟成して
「まろみ」があるのだろう。

せっかくなので、
カツを二枚ほどのけて、
海老天のタレを白飯にもかけ
天丼としても楽しんでみた。

これは、
贅沢である。

カツ丼・天丼の
ハイブリット丼である(笑)。

カツ丼の味も
さすがにタレの甘辛加減が
決まっていて、
ご飯もほどよく
合格点のものだった。

追加した海老天は
値段が分からなかったので、
お会計では
いくらになるのか
興味があったが、
女将さんが970円というので、
カツ丼は700円だから
270円であった。

以前は、
20㎝以上ある
『ジャンボ海老天丼』
というのをやってみたが、
これは1000円だったので、
ハイブリット丼は
それよりか30円格安だった(笑)。

隣の駐車場料金が
100円かかったが、
有料を払ってまで
食べる価値のある店である。

ここも、
子どもの頃から在る
数少なくなった
昭和の優良店なので、
老主人、老女将の
名コンビで
あと何年続くかわからないから
行ける時に、ちょくちょく
行っとこと思っている。








帰り道には、
いつも隈畔(わいはん)を
通って、弁天山と
阿武隈川の河原の風景を
愛でている。

山の早緑に
涼し気な水面(みなも)。

菜の花の群生が
目に優しく、
このポイントは
「私的フクシマ八景」
の一つとしている。






庭のサクランボが
なり始めたので、
今日あたり
そろそろ袋掛けをしないと
赤くなる前に
鳥たちについばまれてしまう。

木の上までは
脚立を登らないとできないが、
去年、裏庭のザクロ採りで
脚立の頂上から転落して
ケガしたので、
もう足腰の弱ってる爺様には
危なかしくって出来やしない。

立って手の届く範囲で
留めておこうと思っている。





カミさんが、
駅のショッピングモール
S-PALの『ジュピター』で、
いつもコーヒー豆を
買っているので、
ついでに「駅ピアノ」を
撮って来てくれた。

最近、世界中で
流行りのようである。

何かの用があれば、
ついでに弾いてもみたいが、
公衆の面前で弾くには、
やっぱり度胸と腕が要る。

ちっちゃな子どもが
『ネコふんじゃった』を
弾くなら可愛いが、
いい歳したオッサンだったら
馬鹿丸出しである(笑)。

ギャハハ _(_ _)ノ彡☆バンバン!







かつて
10年勤務したK高では、
この時季になると、
新入生のための
「カウンセリング・ガイダンス」を
毎年やっていた。

元・教員でもあるので、
教壇で生徒たちを前に
しゃべるのは何でもないが、
緊張した面持ちの
子どもたちを前にすると
こっちにもそれが伝わって
背筋がピンとした覚えがある。

これに似た記憶は、
金光第一高で11年間、
担任をやった時かもしれない。

4回も一年生を受け持ったが、
彼らとの
ファースト・コンタクトの時には、
生物室から教室に向かう廊下で、
教室前の扉で、
ちょっとだけ不安と期待が
交錯して緊張したような気がする。

あのドキドキ感は、
大ホールでのサリイタルで、
開演時に
ステージ中央の椅子に向かって
歩いて行く時の気分にも
似ている。

あれは、
心地よい緊張感なのかもしれない。






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隠れた名ピアニスト

2021-04-23 06:58:00 | 音楽
昨日の事、T中で
カウンセリングを終えて、
帰り支度をしていると
廊下側から珍しく
ショパンのワルツが聞こえ、
5時前だったので、
今時分なんだろう…と、
怪訝に思った。

てっきり、放送で
CDを流してるのだと思ったが、
演奏ミスがあって、
あれ?! と思い、
廊下をのぞいて見たら
多目的ホールにあるピアノで
女生徒が数名に囲まれて
弾いてたので驚いた。

さっそく、
そばに駆けつけて、
じっくり聴かせてもらうと、
それは見事な演奏で、
明らかにレッスンを受け
発表会にかけたような
水準に仕上がっていた。

ルバート(テンポの揺らし)も
デュナーミク(強弱法)も
自然体で、しかも訴える力があって
とても魅力的な演奏だった。

取り囲む友人たちも
その魔法のような指使いに
目を奪われ、
今ここで湧き出る生音に
酔い痴れているように
聴き入っていた。

演奏が終わると
拍手喝采で、
思わず自分も絶賛した。

そしたら、やはり
長年レッスンを受けていて
母親は音大出だという。

さもありなん、である。

「才能あるから、
あなたも音大に行きなさい」
と思わず、
口出ししてしまった。

傍に、よく知った
担任の先生がおられ
「この子は勉強もできて、
バスケットもすごいんです」
と言うので、
「あなた、バスケなんて
やってる場合じゃないよ(笑)。
もっとピアノに打ち込みなよ」
と言ったら
JCたちが笑っていた。

白衣を着た
爺様カウンセラーの
余計なお世話かもしれなかったが、
なかなかの才能だったので、
精進しだいでは
すごいピアニストになれると
ほんとに思った。

なかなか、
音楽が自然体で、
しかも、それが胸を打つ、
というのは
稀有な才能の部類なのである。

こういう人は
3.11やコロナ禍のような時には、
演奏家として、
世と人のお役に立てる
人間になれるのである。

もっとも、
当人にその気がなけりゃ、
単にピアノが上手な素人さん
で終わってしまうが…。

なんだか、
ダイヤの原石を
見つけたような気がして、
その才能を伸ばして
磨いてやりたいなぁ・・・
という気がした。




ついでに、
自分も白衣を着たまま(笑)
JCたちの前で
『幻想即興曲』の出だしや
『ナウシカ』を弾いてみせた。

生徒たちが
まず驚くのは、
「すごい!
指がめっちゃ速い!」
というものだった(笑)。

そして、
「あ、ナウシカだー!」
と、あの哀愁の旋律に
すぐ反応してくれた。

一緒にいらした担任も
「ピアノが弾けるって、
いいですねぇ・・・」
と羨ましそうだった。

思わぬ処で、
ピアノを囲んでの
楽しい「音楽の場」であった。

楽器があって、
弾く人と聴く人がいて、
そこに「音楽の場」が生まれる。

そして、それは、
目に見えぬ力でもって、
コロナ禍の哀しみも
鬱陶しさも
その場では忘れさせてくれ、
「こころ」や「たましい」を
芯から癒してくれるものである。

それだから、
「音楽の力」は
偉大なのである。





今も、たびたび、
震度3程度の余震は
ちょいちょいあるので、
学校の箱庭用のドール類が
いくたんびに
パタパタ倒れている(笑)。

きのうも
それらを立て直してから
仕事を始めた。









裸ん坊の
リク坊の写真が
ミカちゃんから送られてきて、
カミさんとふたりで
「リク坊、
相変わらず、
好奇心旺盛だねい・・・」
と笑い合った。

この子が
まだ言葉を話さないから
不思議なものである(笑)。

大阪に引っ越して、
向こうの保育園で
毎日過ごしてたら、
次に会う時は
関西アクセントに
なってるんだろうなぁ・・・と、
想ったら、それも不思議な感じである。







アマゾンのブラウジングをしてたら、
ショージ君の
オムニバス文庫の新刊で
『大衆食堂』のエッセイを
集めた一冊が出されていた。

ショージ物は
全巻蒐集しているので、
今さら、そのオムニバスを
買うつもりはないが、
その新しい装丁には
やはり味があった。






一度は読んでいる
『午後の定食屋』という一文も
あらためて、その一説を見ると
やはり味わいのある
名文と名挿画である。

「あらまほしき」という言葉に
すぐにピンとこなかったので、
ググッてみたら、
「〜であってほしい」
という意味だった。

文法的には、
ラ変動詞「あり」の
未然形「あら」と
希望の助動詞「まほし」が
一語になったものだそうだ。

『徒然草』の引用があった。

「少しの事にも、
先達はあらまほしきことなり」
(ちょっとしたことにも、
先導役はあってほしいものである』

なかなか、
おいそれと普段のブログには
使えない言葉である(笑)。







6年間催していた
『復興支援リサイタル』に
毎年来てくれて、
ご祝儀で資金的援助も
してくれていた
大学ギター部後輩の
同期マドンナ三人組と
年に一度の会食会を
5年も続けている。

学生時代の三人の呼び名から
『アンムクライ会』と称してる。

自分が言い出しっぺなので、
毎年、幹事を務めてるが、
今年は会場をどこにすべぇ・・・と、
ないアタマをひねっている(笑)。

4人で卓が囲めて、
尚且つ、最高水準の店といったら、
もう限られているので、
どうしても同じ店に
複数回行くようになる。

今回の≪案内メール≫である。


*******


今年も、
「アンムクライ会」の季節が
やって参りました(笑)。

三婆様方、
如何お過ごしでござんしょうか。

世間は、コロナ、コロナで、
もう、うんざりでござんすねぇ。

つきましては、
5月の日曜日のご都合を
お知らせくだされませ。

誰かまた、音頭とって、
三人のスケジュール調整
してくれっと、ありがでない(笑)。

***

今年の予定は、
三度目の『多可橋』です。

これまで、過去二回は、
「ミニ会席 2400円」
「懐石 5000円コース」でしたので、
今回は、さらに一つ
グレードアップした
「8500円コース」に
挑戦したく思います(笑)。

どなた様も
年金暮らし目前の
慎ましき暮らしの中(笑)、
まことに恐縮ですが、
コロナ憂さを晴らすのに、
パーッと景気よく
散財したく思う所存でありまする(笑)。

当日の日程は
例年の通り、
10時半「佐々木家」集合、
茶室にて小茶話会、
11時半「多可橋」、
1時「佐々木家」にて小茶話会、
2時「お開き」という予定です。


*****



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オフ日を過ごす

2021-04-22 06:07:00 | 風景
ロンバケでなくも、
ウィークデーにオフ日があると、
その朝には
(さて、いったい
どう過ごしたもんだか・・・)
と、思うことがある。

そのたびに、
白紙をだして、
一日の設計図を
フローチャートで
書いてみる。

きのうは
びっき沼のミズバショウが
気になってたので、
それを観にゆくべく
行動表を組み立てた。

朝は、
鯛焼き1個に
バナナ1本だけだったので、
11時頃に行く道筋で
早めの昼食を摂ろうと
考えた。




その線上を検討したら、
かつて吉倉に住んでた時に、
一度だけ行ったことのある
吉倉食堂があった。

再訪してみようと
ジャスト・タイムに着くように
家を出た。

京都から帰福して
「吉倉」の借家に住んだのが
36の頃だったから、
もう27年前のことである。

近所探索で
ラーメンを食べて
あまり感心せず、
それ以来、
行くこともなかった店である。

今回は「カツ丼」の
試食である。

厨房の見える席だったので、
カツはしっかり揚げているのを
確認できた。

ひどい店になると、
揚げ置きのを使う処もある。

蓋なしで
運ばれてきたので、
すぐに「丼容」(造語)を
見ることが出来る。

ほんとは
蓋付のほうがいい。

あの、ご開帳!
という儀式めいた瞬間が
ワクワクするもんねぇ(笑)。

このカツ丼、
カツが四切れに
でかくカットされているのが
珍しかった。

しかも、
玉子のとじ加減が
半生んとこがある・・・。

これは
賛否の分かれるとこだ。

自分はさほどに
気にはならないが、
これを良しとしない御仁がいても
その気持ちも解らなくもない(笑)。

丼が切り立った円錐形で、
これは、できれば、
お尻がふっくらした物のほうが
ふくよかでいかった(笑)。

味はやや塩っぱめの
「辛口」傾向で、
カツ丼に関しては
「やや甘め」が好きなので、
いわゆるタイプの
"彼女"ではなかった(笑)。

27年前の
ラーメンで感じた
好み路線じゃないのと
同じ結果になった。






今年は
季節が2週間くらい
前倒しの傾向があるようで、
フキノトも早生っぼかったが、
ミズバショウも
はや終わりになっていて
ちとガッカリした。

クラスターがある箇所は
最盛期なら
見事に天国的な景色なのだが、
葉っぱばかしでは
なんだかなぁ・・・だった。

それでも、
お情けでか(笑)、
3つほど晩生(おくて)のが
まだ咲いててくれて、
いくらか気慰みには
なってくれた。

そういや、
十日まえほどの
より高原にある岳温泉で
もう枯れかかってるのを
目撃していた。

あの時は、
びっき沼はまだ
花をつけてなかったので、
これからだなと
高を括ってたのだが…。

見ごろを逸してしまったようだ。




三月頃、
なんども来た
フキノト採りだったが、
今やフキの葉に育っていた。






快晴の青空に
散り際の桜が
映えていた。

今年は、何度も
「花見」をしてるような
気分であった。







沼のほとりには
スイセンが
あちこちで
キレイに咲いていた。

花弁に鼻を寄せて
香りをかぐと
独特の高貴な芳しさが
楽しめた。

中学生の頃、
兄のレコードで
よく、ブラザーズ・フォーの
『七つの水仙』を聞かされて、
今でもその歌詞を
覚えている。

♩ Ⅰ may not have mansion.
 I haven't any land . ♫

この出だしが
中坊の耳には、
「アメノハブマンショ
 アハブンテニラン」
と聞こえた(笑)。

でも、島岡先生の
「カタカナ英語」を知ってから、
これを英語っぽく発音してみると、
あんがいネイティヴに
通じるものである(笑)。

学校で親しいAETに
時々、カタカナ英語術を試して
確認している(笑)。







びっき沼の帰り道に
『ハニービー』があるので、
また寄って来て
新発売の「ヘーゼルナッツ」を
やってみた。

これまで
霊山「道の駅」の
『まきばのジャージー』にしか
ヘーゼルナッツはなかったので
これはよかった。

カツ丼喰って
アイスのダブルを
デザートにしてたら、
「糖質制限食餌療法」も
どっかへ吹っ飛んでしまった(笑)。

今朝、しっかり、
リバウンドしてたもんね(笑)。







ゴールデンウイークの4日が
カミさんの誕生日なので、
毎年、どこのケーキにしようかと
30年も悩んでいる(笑)。

今年は、
偶然、グーグル検索に
引っかかった
新装開店した
おネーチャン・バティシエのとこに
白羽の矢を立てた。

店のスペシャリティらしい
「ショコラ・オランジュ」を
4号のホールにできないか?
と尋ねたら、
「5号からになります」
との事だったので、
値段を訊いたら
「3.900円です」
との事で、
ちと躊躇した(笑)。

「4号のガトーフレーズ
(苺のショートケーキ)なら
2.800円です」
というので、
「じゃ、それでいいや・・・」
となった(笑)。

ショコラは
1ピース400円のを
味見したらいいや・・・と、
ケチな考えに
堕してしまった(笑)。

・・・高々、700円に
ケチケチしてまう
ボンビー性の
とーちゃんだった(笑)。

(^▽^)> テヘヘ…♪  

そんでも、
5号のチョコケーキを
二人して
ちっとずつ三日も喰うのも
なんだなぁ・・・という、
思いはあったのでありまする(笑)。






喘息治療薬の
『シムビコート』が
よく効いてくれて、
30日間の吸引をマメにしてたら、
気管支の具合がすっきりと
よくなった。

ちょうど今日で
最後の一吸入になった。

そしたら、
おとついから
やや風邪気味で
うすーい痰が出るので、
また喘息が再発するとなんねーから、
今日にでも、また
主治医からもらってこようと思った。
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春なれど心物憂し

2021-04-21 05:42:00 | 風景
本格的に
学校カウンセリングが始まり、
また、教育臨床の日々が
もどってきた。

昨年度から継続の
常連さんたちの
メンタルヘルスの管理を
行いつつ、ご新規さんの
インテーク(受理面接)をし、
最新のジャーナル(学会誌)で
勉強も怠らないようにしている。

春休みの課題研究だった
漱石の『夢十夜』の深層分析も
まだ未了状態なので、
合間にちょいちょいと
進めていた。

やっと第八夜まで終わり、
残りの二夜を終えたら
冊子化して
お弟子さん方に
配って差し上げたいと
思っている。

「勉強」でなく、
久しぶりに
「研究」の楽しさを
味わえた感がある。




玄関を出ると
タンポポとポピーが
咲いてて
足元が春めいている。








荒川の河原には
菜の花が一面に咲き、
緑と黄色のハーモニーが
これまた春らしい風情である。







ガラスの電灯カバーを
花入に見立てて、
庭のボケを活け
食卓に飾ってある。

カミさん愛用の
ギヤマンのグラスに
カンパリソーダを創り、
"ぼっちフレンチ"の
『パテ・アン・クルート』
(仔羊のパイ包み焼き)
とやってみた。

画像をしげしげと見たら、
この一枚にずいぶんと
「遊び」の要素が
詰まってんなぁ・・・と、
感じた。

「見立て」遊び、
「茶花」遊び、
「カクテル」遊び、
「料理」遊び、
「撮影」遊び、
「ブログアップ」遊び・・・と。

してみれば、
ブログ・テーマの
『人生を遊ぶ』、
ライフ・モットーの
【人生深生き】に
適っている。

もっとも、
道楽も過ぎると、
「道落」になりかねないから、
【過ぎたるは猶及ばざるが如し】
とはならないように
注意はしている。






ツタヤ・ブラウジングで
背取り(佳作ピックアップ)してきた
『聖樹のパン』が
蘊蓄とギャグがいい塩梅で
110円古書としては
面白く読めた。

続きをアマゾンで
検索したら、
目下連載中で
近々、第10巻目が出るらしい。

アマゾンもヤフオクも
送料が高くって、
中古でもワンコイン近く
してしまうので、
昨日は、通退勤時に
ブックオフ二店に寄って
探してみたが一冊もなかった。

今日はオフ日なので、
夕飯当番の買い物がてら
郊外のブックランドを
探して来ようと思うが、
なければ、一巻ずつちまちまと
アマゾンから仕入れるっきゃない。





BS録画してた
シリアス・ドキュメンタリー
『アウシュヴィッツ 
 死者たちの告発』
を視た。

大学時代に
副専攻で取っていた
『音楽美学』の演習で
『アウシュヴィッツ』という
ギター合奏曲を作曲したことがあり、
福大ギター部の後輩や
成蹊高のギター部が
定演でやってくれたので、
当時も取材したことがある。

今回のドキュメントは、
ゾンダーコマンドという
ナチスが選抜したユダヤ人の
「特殊部隊」の詳細についてだった。

彼らは、自らの延命と引き換えに、
同胞であるユダヤ人を
巧妙にガス室に送り、
その後の死体処理に
従事させられていた。

恐怖と忸怩たる思いで
耐えきれず、
胸の内をメモに書き記し、
瓶詰して「未来への手紙」として
ガス室周辺の土の中に埋めたものが
近年、発見されて解読され、
ホロコーストの恐るべき実態の
一次証拠として検証された。

これを指揮したアイヒマンや
所長のヘスたちは、
みずからの手を汚すことなく
同じユダヤ人に同胞を
殺させて死体処分をさせる、
という非道な事をやっておいて、
戦犯裁判では
「自分は一人のユダヤ人も
殺してはいない」
なぞと嘯いているのである。

その実写シーンも
放映されて唖然とした。

人間というのは、
ここまで、恐ろしい事を
人間に対してするのだ、
ということが
骨の髄まで解かった。

番組の最後で、
毎年行われている
100万もの犠牲者のための
追悼式典で、2020年には、
アウシュヴィッツ記念館所長が
ゾンダ―コマンドの言葉を借りて
「私には恐ろしい予感がする。
(人間というものを)
知っているからだ」
と世界の要人に向けて
メッセージを発した。

アウシュヴィッツは
過去の事ではない・・・
というのは、
中国のチベット族や
ウイグル族への虐殺や
同化政策を見たら
誰もが納得するだろう。

ミャンマーの
軍の専制政治で
自国民を殺害しているのも、
今、目前で起こっている事である。

歴史は
あたかも螺旋階段のように
グルリとひと回りして
同じ事が起こるのである。

コロナ禍もそうである。

なんだか、
人間の愚かしさによる
自縄自縛が
目の前に展開されていて、
いったい、この世は
何処へ向かって
転がっていくのだろう…と、
予期不安に捕らわれている
日々である。

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