たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

善光寺御開帳と戸隠神社へクラス会・喜寿の旅――1

2015-05-25 16:10:32 | 国内旅行

われら昭和13年生まれは、軍国教育一色の幼年時代を過ごし、
敗戦の20年4月に神川国民学校に入学、
神川村が上田市と合併したことにより、
29年3月をもって同中学は閉校となりました。
その最後の卒業生が私たちでした。
今年4月から来年3月までは「喜寿年」です。



地元で永年、県行政で活躍された小中高の同級生から、東京・関東在住の同年生らに、
「善光寺御開帳に来ませんか」というお誘いがあり、
宿坊に泊まり「お朝事」に参列する提案がありました。
10人程度ということで早速、手を上げました。
東京・関東から8人、地元から2人で整いました。

5月12日、「お朝事」の朝、宿坊「本覚院」にて――




七年に一度、開かれる「善光寺前立本尊御開帳」。七年前にも参拝しました。
そのときは「回向柱」まで3時間並びました。

宿坊の本覚院には4時半過ぎに入りました。
ご住職をはじめお世話下さる方々のお迎えを受け、2階の大広間に案内されました。
しばらくするとご住職さまがあいさつに現れ、
宿坊での過ごし方と翌朝の段取りについて説明を受けました。



「明日の朝は3時45分に玄関前に支度をして集合してください」と仰いました。
「えっっ、そんなに早いの」私としては5時ごろを想定していました。
これでは「3時起きになる」と思いました。



宿坊にお世話になる真髄は毎朝行われる「お朝事」に、
住職はじめ宿坊専属の公認案内人が付いて参拝することが出来ることです。
「お戒壇めぐり」や「お数珠頂戴」「御印文頂戴」はじめ、
境内の伽藍、史跡などのガイドの役を務めてくれます。
「お朝事」とは、善光寺全山の僧侶が出仕して勤める法要で、
365日欠かさず、日の出とともに本堂で行われています。



翌早朝、4時前に本堂前に着いて、
前立本尊回向柱に心行くまで触れてから、
内陣参拝の席に着いてみて3時45分の訳が納得できました。
厨子の御開帳が真近の正面で拝することが出来る席です。
読経の始まる前に「お戒壇めぐり」も一番に済ませることが出来ました。
暗闇の地下回廊を壁伝いに進み、
ご本尊の真下にある「極楽の錠前」を鳴らすことが出来ました。



「お朝事」が始まりました。
善光寺は天台宗と浄土宗の山内寺院によって護持されているので、
お朝事もそれぞれの宗派の法要が1回ずつ勤められ、
それぞれ30分ずつおよそ1時間です。
御開帳期間中はお朝事で前立本尊様のお厨子が開かれ、夕座法要で閉じられます。
読経と共に鐘と太鼓が鳴り渡り、「前立本尊」の厨子の御開帳が行われました。
続いて大本願のお上人様である副住職鷹司誓栄(尼僧)さまと、
浄土宗の住職によって阿弥陀如来法要が営まれました。



大本願副住職鷹司誓栄さまの透明感のある、
澄んだ読経のお声が、堂内に一段と高まり広がっていきます。

そのあと、本堂の廊下に座して、大本願尼公さまの「お数珠頂戴」を受けました。
頭上を風が通り過ぎるようにに触れていかれました。
あまり実感はありませんでした。
顔を上げると、もう三、四人先に移られていました。
急いでその場を離れ本堂前に回りましたが、
お上人様は回向柱の脇でお数珠を賜っていられました。
そのときの写真がトップの写真です。



このあと、宿坊のご住職さんから、
本堂の造りや境内について説明いただきながら、
宿坊に戻り用意されていた朝餉の膳に座りました。



宿坊を辞去した後、参道を散策、もうひとつの回向柱の立つ、
世尊院(釈迦堂)に回りました。
こちらの回向柱は本堂前の回向柱は(45c角、高さ約10m)に比べ、、
少し小ぶり(30c角、高さ約6m)となっていました。
御本尊は釈迦涅槃像(寝姿)で、回向柱につながっていました。
両方の回向柱に触れることで、
現世(釈迦)と来世(阿弥陀如来)の幸せがかなうとされています。



さらに、御本尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)の功徳が込められた、
3つの御印文の印を額に押していただく御印文頂戴もしていただき、
たにしの爺にとっては身に余る有難い事ずくめでした。
一人で抱えているには、勿体無いことですね。
次回は戸隠神社詣でについて報告します。
上の写真は本覚院の前庭にある阿闍梨池です。