このシリーズ、長くなっておりまして、すみません。もうしばらく、お付き合いください。もうそろそろ、一度、閑話休題を入れようかな、と思います。つまり、それほど長いのです。
写真は福建省都の福州のとあるお寺。中国のどこの寺院でも、金ぴかの像とひざまずいておがむ人々、大きなロウソクと線香など、変わらない光景がある。
【誘拐村 その後】
「警察の摘発後、数年が経った。村人は他の商売を覚え、ごく常識的な村に変貌を遂げていた。多くの人々は人身売買を家業として認識していたため、さしたる罪の意識を持っていなかった」
地元新聞に載っていた誘拐村のその後の様子は、拍子抜けするほど平和な光景となっていた。それにしても誘拐を悪びれもせずに行っていたということがはっきりするだけに、問題の根深さに背筋が寒くなる。
さて、キャンペーン期間中に新たな誘拐事件が起こったら派出所長は首、という念書まで書かされ、省一丸となって背水の陣でこの100日キャンペーンに取り組んだ結果、8月1日には広東から昆明へと列車に揺られて21名が戻ってきた。さらに21日には8名、9月10日には7名と「成果」は続いた。キャンペーン以前の捜査分を含めると、計76名が帰ってきた計算になる。
彼らはDNA鑑定に掛けられてから親元へと引き渡されるのだが、誘拐時に0歳だった子や現在赤ん坊の子が相当数いるため、親を探す苦労は並大抵ではなかったらしい。
9月に「6人の身元が判明せず」と報道された。するとたちまち、今度は「里親騒動」がはじまった。各地から里親になりたいとの申し出が続々と寄せられたのだ。
子が遺伝病なので健康な子がほしい、妻が妊娠しない、といった人からの要望はきりがなく、お隣の湖南省からも依頼がくる状況となった。
一方、暑い中、捜査員が苦労して連れ戻した子供たちだが、なかには誘拐から3回も連れ戻されたことがあるという「ツワ者」もいた。親の元へと帰しても、また親から「放置」されるのでは、どうにもならない。
そこで政府は、9月に他の保育園よりも格安の月98元で子供を預かれる保育園を問題の地域に数カ所、設置することにした(ちなみに娘が通った幼稚園の月謝は3食付きで300元ほどだった)。それでも預けられない人は近所の人と共同で子供を見るように、との呼びかけも始めた。
価格を抑えた割にはきちんとした施設の中できちんとした保育士が保育する様子がテレビで写っていたので、市か省が相当、拠出しているのではないだろうか。
【国を越えて】
その後、2007年の今日まで、大規模な誘拐摘発キャンペーンは行われていない。
だが、その時、捕まった誘拐団の裁判は続いていて、2005年8月の「新華毎日電訊」では福建省安溪県で活動していた誘拐団の裁判のもようが掲載されている。それによると、さらった子供のうちの82名は福建から、さらに不正規のパスポートを入手してシンガポールへと売られていることが判明した。シンガポールの子のない家庭へと、8000シンガポールドル(約3.85万元)で売り渡されるのだという。中国では1~2万元で売買されている子供が、である。
それら子供のうち48名は実の父母から直接買い取ったもので、その父母たちは福建人であった。福建では最初に女の子が生まれても、一人っ子政策のため、2人目は生めない。そこで密かに身ごもった子供が男の子の場合、先に生まれていた女の子供を誘拐団へと売り飛ばすのだそうだ。
雲南からさらってきた男の子を福建の家庭が買い取り、その家の女の子を新たに売り飛ばす行為も多く見られた。すべてはその家の「ご先祖さまからのろうそくの火を絶やさないため」なのである。
また残りの34名は来歴不明だが、多くは雲南でさらってきたとのことだった。
このように真実は少しずつ明らかにされてきているものの、その後も、昆明市内に消えた子供を捜す親が書いたと思われる手刷りのポスターを何度か見かけた。
市の周縁部から学校の帰り道へと、場所もターゲットも少しずつ移っているように思われた。雲南では「誘拐」という現象は、そう簡単には根絶できるものではないようだ。
写真は福建省都の福州のとあるお寺。中国のどこの寺院でも、金ぴかの像とひざまずいておがむ人々、大きなロウソクと線香など、変わらない光景がある。
【誘拐村 その後】
「警察の摘発後、数年が経った。村人は他の商売を覚え、ごく常識的な村に変貌を遂げていた。多くの人々は人身売買を家業として認識していたため、さしたる罪の意識を持っていなかった」
地元新聞に載っていた誘拐村のその後の様子は、拍子抜けするほど平和な光景となっていた。それにしても誘拐を悪びれもせずに行っていたということがはっきりするだけに、問題の根深さに背筋が寒くなる。
さて、キャンペーン期間中に新たな誘拐事件が起こったら派出所長は首、という念書まで書かされ、省一丸となって背水の陣でこの100日キャンペーンに取り組んだ結果、8月1日には広東から昆明へと列車に揺られて21名が戻ってきた。さらに21日には8名、9月10日には7名と「成果」は続いた。キャンペーン以前の捜査分を含めると、計76名が帰ってきた計算になる。
彼らはDNA鑑定に掛けられてから親元へと引き渡されるのだが、誘拐時に0歳だった子や現在赤ん坊の子が相当数いるため、親を探す苦労は並大抵ではなかったらしい。
9月に「6人の身元が判明せず」と報道された。するとたちまち、今度は「里親騒動」がはじまった。各地から里親になりたいとの申し出が続々と寄せられたのだ。
子が遺伝病なので健康な子がほしい、妻が妊娠しない、といった人からの要望はきりがなく、お隣の湖南省からも依頼がくる状況となった。
一方、暑い中、捜査員が苦労して連れ戻した子供たちだが、なかには誘拐から3回も連れ戻されたことがあるという「ツワ者」もいた。親の元へと帰しても、また親から「放置」されるのでは、どうにもならない。
そこで政府は、9月に他の保育園よりも格安の月98元で子供を預かれる保育園を問題の地域に数カ所、設置することにした(ちなみに娘が通った幼稚園の月謝は3食付きで300元ほどだった)。それでも預けられない人は近所の人と共同で子供を見るように、との呼びかけも始めた。
価格を抑えた割にはきちんとした施設の中できちんとした保育士が保育する様子がテレビで写っていたので、市か省が相当、拠出しているのではないだろうか。
【国を越えて】
その後、2007年の今日まで、大規模な誘拐摘発キャンペーンは行われていない。
だが、その時、捕まった誘拐団の裁判は続いていて、2005年8月の「新華毎日電訊」では福建省安溪県で活動していた誘拐団の裁判のもようが掲載されている。それによると、さらった子供のうちの82名は福建から、さらに不正規のパスポートを入手してシンガポールへと売られていることが判明した。シンガポールの子のない家庭へと、8000シンガポールドル(約3.85万元)で売り渡されるのだという。中国では1~2万元で売買されている子供が、である。
それら子供のうち48名は実の父母から直接買い取ったもので、その父母たちは福建人であった。福建では最初に女の子が生まれても、一人っ子政策のため、2人目は生めない。そこで密かに身ごもった子供が男の子の場合、先に生まれていた女の子供を誘拐団へと売り飛ばすのだそうだ。
雲南からさらってきた男の子を福建の家庭が買い取り、その家の女の子を新たに売り飛ばす行為も多く見られた。すべてはその家の「ご先祖さまからのろうそくの火を絶やさないため」なのである。
また残りの34名は来歴不明だが、多くは雲南でさらってきたとのことだった。
このように真実は少しずつ明らかにされてきているものの、その後も、昆明市内に消えた子供を捜す親が書いたと思われる手刷りのポスターを何度か見かけた。
市の周縁部から学校の帰り道へと、場所もターゲットも少しずつ移っているように思われた。雲南では「誘拐」という現象は、そう簡単には根絶できるものではないようだ。