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閑話休題・昆明の宿舎

2007-12-21 22:34:04 | Weblog
写真は我が家がすんでいた宿舎。西側の路地裏に面した張り出し窓のない3階の一部が我が家。朝方にはくず紙回収者の「ターバイトー」という太い声や花売りの声が響き、下町情緒たっぷり。ただ、防犯のために、全部の窓に鉄製の格子がついているので慣れないうちだと囚人気分も味わえる。

【雲南省昆明市の場合】
 我が家が昆明で住んでいたところは、研究所の宿舎でした。公務員社宅なので、家主は所属の研究所のはず。なのに、雲南移住前のメールには誰それが、いくらで貸してあげる、と書かれていたのです。しかも家賃は、東京都心並の相場をふっかけてくるのでした。

 じつはこれには、深いわけ(汚職?)があったのです。中国経済の改革開放のどさくさにまぎれて、いつの間にかそのお偉いさんから下々まで自分にあてがわれた住居を他人に貸し出し、自分はその家賃収入とローンをあわせて、高級マンションに移るということが横行していたのでした。
 もちろん、本来はおかしな話です。でも、投資の話となると雲南どころか中国の多くの人々の感覚は完全に麻痺しており、ことの善悪が付かなくなっているようでした。

 そんな時に、日本人一家が部屋を借りたがっていると噂が流れたものですから、蜜に群がる蟻状態に。
 でも人口が桁はずれに大きな中国は、人材の幅も分厚い。こちらが困っていると、自然と拝金主義の毒されていない高潔な人が出てきて、厳格に抗議をし始めました。

 すると、今度は貸したい、といっていた人が転職して消えてしまったり(これは本当に多かった)、その仲介者が消えてしまったりと、不思議な現象が。このような不可解な交渉は、じつに昆明の住居に足を踏み入れる直前まで、延々と続いたのでした。

 結局は、見かねた研究所のお偉いさんの一人が多めに所有していた宿舎(50㎡ほど)を月約2000円で貸してくださることで決着。とはいえ、これも、すんなりとは部屋には入れず、実際に宿舎の門の前に立ち、鍵番の人から鍵を渡される段になって問題が・・。

 なんと直前に1週間だけ貸していたオーストラリアの人が部屋の鍵を持ったまま、シーサンパンナ(雲南省最南部)に調査に行ってしまった、というのです。もしや我々がオーストラリア人を追い出したのでは、と疑念が沸き起こったまま数日が過ぎ、なんとか鍵が戻って、ようやく宿舎に入ることができました。
コメント
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