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昆明の飲み水9

2013-02-03 13:03:10 | Weblog

写真上は盤龍江中流域の歩行者天国脇の公園で寝ころぶ掃除夫と野良犬。写真下は盤流江中流の水面。ゆるやかに清浄そうな藻がたゆたっていた。2010年夏撮影。

【盤龍江の中流が清流に】
 さて、盤龍江はおそらく、きれいな水であろう松華坝ダムから、ダム下にある上坝村でさっそく下水処理されないままの生活排水がそのまま合流し、さらに下るにつれ、黒みを帯びた水になっていく・・、と、前回までをお読みの方は容易に想像されることでしょうが、これが、街の中心を通るころには一変していた。
 
 私が住んでいた2004年から街の中心・南屏街は主要道路を地下へと通して歩行者天国となっていた。そしてゆるりと散歩する先に盤龍江が流れていたのだ。
 広場から水辺にかけてテラス状の円形の弧を描いたゆるやかな階段を下りていくと、川に手を浸せるほど接近できる。ただ当時は、とても手を浸す気になれないほど黒く、緑の藻が浮き、夏場にはなんともいやな臭いがした。
 それが2010年夏の段階では、この場所がほぼ、清流とに変化していたのだ。あくまで水は透明で、藻がゆるやかに茂り、清流に身を任せるさまがはっきりと見える。小魚が戯れる姿も。いやな臭いもない。

 周辺は公園化され、おじいさんが中国独特の大きな駒を回したり、街の人にモノを売るのに疲れた青年が、子犬とともにまるまって寝ていたり、とまるで、日本ならば銀座のすぐ横の角、とは思えないほど、のんびりとした空気が流れていた。

 これほどまでの整備には、当然ながら、雲南省および昆明市政府のすざまじいばかりのメンツをかけた努力があった。

歴史をさかのぼると・・。

1994年 早くも松華ダムから盤龍江をへて滇池にいたる40ケ村、28㎞の工程の緑がすさまじく破壊されていくのを食い止めるために、数カ所の緑地帯を定め、公園化された。

1999年 昆明で開かれた世界の花博覧会開催に合わせ、まず、清朝時代から続いた川沿いの城壁と、文人らが多く住んでいたという、煉瓦造りの風情あるアパートが取り壊され、コンクリート製の、すぐに汚れてしまったのだが、当時、最新式のアパート群が建てられ、1階が店舗化された。

2002年 スイスのチューリッヒ市政府とチューリッヒ市にあるASP公司に川周辺の緑化についての設計を依頼。
(常に世界で最も住みたい都市ランキングの上位にあり、高原に位置し、チューリッヒ湖から流れ出るリマト川の両岸に発展した市街地の様子が、昆明が目指すべき都市にぴったりと思ったようだ。)

 スイスの会社は、都市区域のすべての川岸にとびとびにあった緑地帯を一体化し、さらに歩道を整備するように設計。さらに10ケ所の公園をさだめて、釣り、中央、湿地といったそれぞれに特徴的な公園とするようにしました。当然、もっとも優先すべき課題は、汚水などの対策として、提言。
 この計画にしたがって
2008年より川の両岸10メートルの範囲の建築物を排除し、両岸10メートルから28メートルの範囲の緑化対を暴雨が襲ったときのための湿地帯とする工事を開始。この泥がまず浄化作用をもたらしたのです。さらに汚水を垂れ流す企業を移転させ、その後も盤龍江中流域を整備したために、不法に汚水を流す企業を摘発することが容易になり、川の水質を劇的に改善させる効果をもたらした。
 
 さらに下水管の整備や盤龍江沿岸に7カ所の雨水調節池をもうけることに。それ以外の滇池に流れこむ川も合わせると16カ所の同施設を設けることで、従来、懸案とされていた雨期の暴雨と、乾期に汚れきった水が滇池にそのまま流れ込むのをおさえることに。この施設は2013年、つまり今年9月から試運転を開始する、と昨年3月に発表されている。
 さらに今年、6月からは同様の意図でさらに川沿いに23カ所の公園を作ることも明言。
こうして、中流域の水質は目に見えて改善していったのだった。

さて、これは蛇足ですが緑化の計画が発動し、整備が終わるまでの2002年から2007年までは、お世話になっているチューリッヒの会社名も新聞によく登場し、とても彼らを敬うような記事が掲載されていたのですが、2012年ごろには、いかにも自助努力で緑化公園ができたかのような賞賛記事ばかりがならび、チューリッヒの文字がかけらすら見えなくなってしまっていたのでした。
(つづく)
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