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かぼちゃの花炒め⑤ 明の皇帝が惚れ込んだ『飲食須知』 

2015-09-18 14:56:09 | Weblog
李時珍の『本草綱目』にかぼちゃは「スイカの花のような形の黄色い花」を咲かせると書かれているが、スイカは原産地アフリカよりシルクロードを伝って、中国に宋の時代の11世紀ごろにウイグル人によってもたらされたとされている。上記は『本草綱目』による記述による。

 雲南でも夏にはスイカがたくさん売られていた。日本と同じ外皮が緑で黒の縞があり、中も赤いものから、外皮が黄色く中も黄色のもの、外皮が黄色くて中が赤いものなど種類も様々。日本のものより甘みは薄く、さっぱりとした味わいだ。(写真・2010年夏、宜良県の市場にて)

 ちなみにウイグル人とされる契丹人は雲南に古い時代に移入したという伝承がある。
 雲南省保山地区に10万人あまり、大理、臨滄地区にも漢族や彝族など別の民族で登録されてはいるが、彼らは自身を「本人」民族と呼称する。
 保山市の施甸県の墓碑は契丹文字だったことが1990年代になってようやく「発見」され、近年、古墓で発掘されたDNA調査で、契丹人に近いDNAが検出されたと話題になった。

以下、本文です
【中国かぼちゃの初出文献・・・?】
 もう一つ、「南瓜」が初めて書かれた文献に元代に書かれた賈銘著の『飲食須知』があります。
「飲食すべからく知る」、つまり飲食するときに当然、知っておかなくてはいけないという意味深な題名ですが、中味は食ベ合わせの指南書で、これとこれを組み合わせると体にいい、とか、これとこれを一緒に食べると害になる、ということがひたすら書かれています。

じつは中国では現代でも、「食物相克」とか「食物相宜」などのタイトルで、この種の本が途切れることなくベストセラーの上位に入っているのです。台所などを想定しているのか、水ぬれに強いポスターも書店に数多く置かれています。日本ではあまり見ないものなので、医食同源の国だなあと、感じ入ってしまいます。

さて、この『飲食須知』は、書かれた当時も評判だったのでしょう。明の初代皇帝の朱元璋は建国後すぐに著者を召し出しました。著者は当時、100歳。なにしろ健康法を記した本人が長命なのですから、これほどたしかな証拠はありません。

皇帝が
「養生法はどうすればよいでしょう」

と問うと、
賈銘は涼しい顔で
「飲食を慎めばよいのです」

といって、本を献じたとか。

 朱元璋は当時、40歳。平均寿命が短かった時代なので、ちょうど老年期にさしかかる体の変わり目、今風に言うなら男の更年期にさしかかった頃だったのかもしれません。また権力を握ると長命が最大の関心事になるのは秦の始皇帝のころから変わらぬ希求なのでしょう。

 彼はその後30年、生きたのですが、そこには賈銘の本も多少、貢献したのかもしれません。

賈銘は南宋時代の1269年に浙江省の海寧に生まれました。

元(1271年~1368年)の建国から没落まで見届け、万戸という元の功臣の子弟の縁故しかなれないクラスの役職につき、明の洪武7年(1374年)に106歳で亡くなった人です。

 3つの王朝を生き抜いた彼の詳しい伝が知りたくなりますが手がかりは本の来歴を綴った清の乾隆帝の命で作られた『四庫全書・総目提要』のみ。

ちなみにこの本は元の至正27年(1367年)ごろに成立したとされています。

本文は来週に。    (つづく)
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