写真はベトナムの言葉で「象耳魚」(エレファント・イア・ーフィッシュ:カー・タイ・トウーン)と呼ばれるマンジュウダイ科の魚の姿揚げ。さっぱりとした味。深みはない。ベトナム南部のメコン川クルーズでミトーやカントーツアーの定番料理となっている。
生きている姿は本当に灰色で象の耳のような形をだ。良く名付けたものである。日本では鯛なのに・・。黒潮に乗ってやってくる日本の高知では、刺身、揚げ物、塩焼きにして食べられている。
【パガン国から元に白象】
さて、元とパガン王国との激戦は続き、ついには至元24年(1287)2月にパガン国は降伏。元に定期的に朝貢することを受け入れます。
その10年後の大徳元年(1297)2月に元朝が封じた傀儡政権がミャンマーの王となり、銀の印章を授かったお礼として、銀2500両、絹1000匹、米10000石とともに元朝に送られたのが飼い慣らした象20頭でした。
さらに2年後の大徳3年3月にはミャンマー王は息子を元に派遣し、
「金歯国に略奪され、貢ぎ物を送る余裕がまったくありません」
と訴えさせました。
すると効果てきめん。元の帝は憐れをもよおし、貢納品を削減して、象だけとし、さらに返礼の品として衣を送りました。
翌年4月には窮地の時に貢納品を減らしてくれた礼の意味があるのでしょう。
白象(菩薩の化身と言われて大事にされている珍しい象:筆者注)を元朝に贈りました。
(『元史』列伝第九十七・外夷三より)
これらのことから象は当時、ミャンマー外交の切り札、今でいうと中国の「パンダ外交」、いやそれ以上の役割を果たしていたことがわかります。なにより贈り物を要求する側が他の物はいいから、象だけよこせ、と執着しているのですのですから。
それほどまでに必要とされた象は、どう使われていたのでしょうか。
(つづく)
生きている姿は本当に灰色で象の耳のような形をだ。良く名付けたものである。日本では鯛なのに・・。黒潮に乗ってやってくる日本の高知では、刺身、揚げ物、塩焼きにして食べられている。
【パガン国から元に白象】
さて、元とパガン王国との激戦は続き、ついには至元24年(1287)2月にパガン国は降伏。元に定期的に朝貢することを受け入れます。
その10年後の大徳元年(1297)2月に元朝が封じた傀儡政権がミャンマーの王となり、銀の印章を授かったお礼として、銀2500両、絹1000匹、米10000石とともに元朝に送られたのが飼い慣らした象20頭でした。
さらに2年後の大徳3年3月にはミャンマー王は息子を元に派遣し、
「金歯国に略奪され、貢ぎ物を送る余裕がまったくありません」
と訴えさせました。
すると効果てきめん。元の帝は憐れをもよおし、貢納品を削減して、象だけとし、さらに返礼の品として衣を送りました。
翌年4月には窮地の時に貢納品を減らしてくれた礼の意味があるのでしょう。
白象(菩薩の化身と言われて大事にされている珍しい象:筆者注)を元朝に贈りました。
(『元史』列伝第九十七・外夷三より)
これらのことから象は当時、ミャンマー外交の切り札、今でいうと中国の「パンダ外交」、いやそれ以上の役割を果たしていたことがわかります。なにより贈り物を要求する側が他の物はいいから、象だけよこせ、と執着しているのですのですから。
それほどまでに必要とされた象は、どう使われていたのでしょうか。
(つづく)