写真は子供向け書籍の『おてんば娘はな子の七転び八起き』(綾野まさる作・ハート出版、2007年)。写真下はこの書籍の中表紙だが、偶然にもにはな子にパンを与える私の写真が使用されていた。
はな子にパンをあげる日常的なイベントに参加したときのものだ。手のひらにくすぐったい感触を残し、やわらかい鼻でパンをとった象のはな子さんは、おだやかな印象だった。それでも私の子供は「こわい~」と泣いて近づけなかった。
この、先月26日に東京の井の頭公園で息を引き取ったはな子はタイ出身のアジア象で、中国で古来、生息していた種類の象である。
はな子は国から国への貢納品ではなく、日本の一般の人々が戦後、国会や都庁にプラカードを持って嘆願した結果、報道各社が心当たりに話をつけて、その願いに呼応したタイの実業家が私財を投じて贈られた特別の象であった。
【曹操の息子、象の量り方を考える】
まず有名なのが三国時代。呉の孫権は魏の曹操に「巨象」を贈っています。
「“(曹冲)生五、六歳,智意所及,有若成人之智。時孫権曽致巨象」(《三国志•魏書•武文世王公伝》)」
上は曹操の息子の曹沖が神童であることを物語るエピソードなのですが、ここに「巨象」が出ております。
内容は、曹沖が5,6歳の時に、呉の孫権から巨大な象が贈られてきました。
曹操が群臣にその重さを尋ねましたが誰も、その量り方を答えられません。
そんな時に幼い曹沖が
「大きな船に象を載せて、船縁の水の跡にしるしをつけて、それから象を下ろした後にそのあとのところに沈むまで物を載せれば、重さが量れよ」と答え、曹操をたいそう喜ばせたというのです。
曹沖は196年生まれなので象が贈られたのは200年ごろ。
建安5(200)年といえば孫権の兄の孫策が急逝してその跡目を継いだ年です。まだ平定した地域ものちの呉国の全域には遠く及ばず、勢力も不安定な時期だったので、漢王朝のお墨付きがぜひとも欲しい時期でした。
同年に曹操は、漢の皇帝に上表して孫権を討虜将軍に任じ、会稽太守の職務を兼任させています。巨象の贈り物が効いたのかもしれません。
(三国志・呉書・呉主伝第2)