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雲南の書記と副書記3 劉伯承と鄧小平

2017-03-26 15:13:33 | Weblog
写真は雲南省シャングリラで見かけた子ども。母親の服装からするとチベット族のようだ。刺繍入りのタイツが自慢らしく、わざわざ見せてくれた。

【建国初期では】
今、インターネットで雲南省の党の歴史をひもとくと、歴代党書記の名前は出てきても、副書記の名前までは出てきません。副書記というのは、軽い存在なのでしょうか?

たとえば3月10日の日経新聞国際面では全人代のレポートが書かれています。「習主席と親密な地方指導者」として写真入りで経歴を紹介されているのは、地方の市長と党委員会書記。副は蚊帳の外です。

 「副」の役割とはどういうものなのか。

まず、中華人民共和国が建国された一九四九年にさかのぼってみました。中国全土は東北、西北、華東、中南、西南と分けられていました。このなかで雲南を統括する地域を見てみると、以下の通りです。

西南大行政区
西南軍政委員会 主席 劉伯承     副主席  鄧小平
中央西南局   第一書記 鄧小平   第2書記 劉伯承
西南軍区    司令員 劉伯承    政治委員 鄧小平
第2野戦区   司令員 劉伯承    政治委員 鄧小平

劉伯承も鄧小平も同じ四川省の出身。二人は第2野戦軍を指揮して、たびたび国民党に勝利し、中華人民共和国の設立に大きく貢献しました。紅軍の長征の総司令官も劉伯承です。つまり「副」はしっかりと主席を補助する重要な役割を担っていたことがわかります。ちなみに二人は生涯、強い絆が続いていたそうです。

※たびたびですが、来週の更新はお休みします。春は何かと忙しいです。紫外線も強くなってきたので、目の保護にはとくにお気を付けください。肩もみ、目に聞きますよ。
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