写真はオールドセーラムの空堀。周囲は草原が広がり、たくさんの羊たちが草をはんでいた。
【オールドセーラム】
ソールズベリー駅から行く、もう一つ有名な場所にソールズベリー大聖堂があります。その前にストーンヘンジから「オールドセーラム」へ途中下車しました。
オールドセーラムの「セーラム(Sarum))」は「ソールズベリー(Salisbury)」の略語で、「昔のソールズベリー」を指します。旧市街ということです。
よく考えると「r」が「l」になっていて略語としては違和感があるなあ、と調べてみました。一番わかりやすいのが英語のウイキペディアの「オールドセーラム」の項。だいたい要約すると次のように書かれていました。
≪古英語、つまり中世ラテン語はたまた当時のノルマン語の表記がSearoburh, Searobyrig, Searesbyrigというつづられ方だった。つまり共通の部分の「Sar―」に接尾語がついた表記が「Sarum」。(※1)≫
オールドセーラムは現在のソールズベリー大聖堂の移転前に建っていた場所で、もともと紀元前400年ごろの鉄器時代以来、要塞がありました。このあたりで遠くまで見渡せる高い丘で要塞として外せない拠点だったようです。
古代ローマ人、サクソン人、ノルマン人と使用者は移り変わり、この地に大聖堂が最初に造られたのが1075〜92年に建築。初代ソールズベリー司教ハーマンが企画、後継の司教オスマンドが完成させたノルマン様式(ロマネスク様式)の教会堂でした。
1120〜30年に、3代目ソールズベリー司教にして国王ヘンリー1世の側近でもあったノルマンディー出身のロジャー・オブ・カンが増築。ヘンリー1世(1100~1135年)のために王城とともに作られました。
1226年に大聖堂が現在の地に移転したことに伴い、街は次第に寂れ、ついには廃墟となり、16世紀にはヘンリー8世が残っていた建材も売却したため、今や、土台となる石と掘り下げた溝が野原に残るだけとなりました。
いや、ほんとにびっくりするほど土台と掘られた溝しかなく街があったとは信じられない感じです。
それに移動の経緯が、いかにもいろいろありそうですね。これらの詳しいことはすべてソールズベリー大聖堂で解き明かされることになります。
オールドセーラムには、ほんのちらっと立ち寄っただけなのですが、私にしては珍しいことに、写真を見直すまでは自分がオールドセーラムに立ち寄ったことすら忘れているほどでした。それほど、なにもない不思議な場所です。
写真を見ると、オールドセーラムの街を囲んだ空堀が残されていて、そこで元気にポーズを取る私がいました。
参考:※1:https://en.wikipedia.org/wiki/Old_Sarum
https://4travel.jp/travelogue/10530528