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暴れる象と芸象20・象を世話する人々3 

2016-07-22 09:44:44 | Weblog
写真は景洪市からほど近い西双版納貝葉文化村。「貝葉」はタイ族をふくめたタイの人々が椰子の葉に経文をタイ文字で記した伝統的なもの。
森と湖に囲まれた美しいタイ族の村の保存を目的に作られた村だ。
この文化村が作られたところはかつて「琵琶鬼」村といわれたが、それは志の高い村長が琵琶鬼とされた人々を受け入れたためだ。文化程度が高い村なのである。

【琵琶鬼の固定化】
そこでタイ族の慣習を調べていくと、民間故事を集めた本に出てきました。

琵琶は、中国語で「ピーパー」と発音します。「ピー」はタイ語で良くも悪くもひっくるめた「精霊」を意味します。
「琵琶鬼」は古くからあるタイ族の習俗で、気が触れて、夢の中でもうわごとをしゃべり、噛みついたりする人のこと。多くは熱を持つことからはじまる、とあります。つまり、マラリアなどの熱帯病や狂犬病などのようです。

深刻なのは、本当に症状の出た人が「琵琶鬼」と呼ばれるだけには終わらずに、一緒に暮らす家族、親族、親交の深かった人すべてが「琵琶鬼」と認定され、ムラを追い出され、持ち物から家屋のすべてを焼かれてしまったということです。
今のように治す技術がない場合は、病気の封じ込めをするという意味では合理的ではありますが、残酷な認定です。

こうして逐われ、生き延びた人々が集まり、タイ族社会で「鬼寨」が生まれました。

さらに残酷なのは、ひとたび認定を受けると、他村への行き来や結婚なども厳しくなるという合理性では語れない差別を伴うようになったことでした。(《中央民族大学報》2011年第二期)

当然ながら、この悪習は1950年代から中国政府がやめさせようと指導し続けました。にもかかわらず、タイ族社会に根深く残り、特効薬が発見された現代でも琵琶鬼を巡る事件が起きています。

以下はシーサンパンナの検察志の判例の一部です。

1998年、曼なにがし村で長期に一人暮らしだった婦人が「琵琶鬼」となった。同村および近在の村の人々は彼女に噛まれるなど何度も被害を受け、とうとう近くの上の村で噛まれた者から死者が出た。堪忍袋の緒が切れた上の村の数十名の人が曼なにがし村に殴り込んで、彼女およびその周辺の人々を殺してしまった。
(『少数民族地区習俗与法律的調停:以雲南省金平苗族瑶族傣族自治県為中心的案例研究』方慧著 社会科学出版社、2006年。-実際の文には村名が出ているが、インターネット公開の性質上、伏せました:筆者)

また、今でも現地の人はあのムラは「琵琶鬼」村だから、とその出身者を差別する意識もあるそうです。ただ、村の中には村長が心の清い人で、行き場をなくした人を気の毒に思い、村へ迎え入れた、という誇り高い立派な村もあります。かえって村の結束が高まり、関係の良くなった村もあるそうです。

象を世話する人々にはこのような歴史もあったのです。それだけ、象の世話は難しい、命がけの仕事だったともいえるでしょう。
ただ命をかける人の身分は最低なのに、その困難な職務と統括する大臣の地位は最高位に近い、というのも、社会的圧力で都合よく身分を固定化された要因と思えるのです。
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