(注)本シリーズ1~9回は「MY LIBRARY(前田高行論稿集)」に一括掲載されています。
2.加盟国の変遷
OPECの現在の加盟国はサウジアラビア、イラン、イラク、クウェイト、ベネズエラ、カタール、リビア、アラブ首長国連邦(UAE)、アルジェリア、ナイジェリア、エクアドル、アンゴラの12カ国である。このうちサウジアラビア、イラン、イラク、クウェイト及びベネズエラの5カ国が1960年のOPEC創立時のメンバーである。
その後1961年にカタールが、また1962年にリビア、インドネシアが相次いで加盟し、さらにUAE(1967年)、アルジェリア(1969年)、ナイジェリア(1971年)、エクアドル(1973年)が加盟して現在のOPECメンバーの骨格が出来上がった。なおインドネシアは2004年に石油の純輸入国となりOPECにとどまる意味がなくなったため一時脱退と言う形で昨年メンバーからはずれている。また1973年の第一次オイルショック後の1975年にガボンが加盟したが、同国は1995年にOPECを脱退している。90年代前半は原油価格が低迷しOPECの結束が乱れた時期であり、1993年にはエクアドルもOPECを脱退している。しかし同国は2007年に再加盟しており、同じ年にアンゴラが新たに加盟したことにより冒頭に述べたとおり現在のOPECは12カ国で構成されている。
12カ国を地理的分類でみると、中東・北アフリカ(MENA)地域はサウジアラビア、イラン、イラク、クウェイト、カタール、リビア、UAE、アルジェリアの8カ国であり全体の3分の2を占めている。そしてナイジェリアとアンゴラがサブサハラ(サハラ砂漠以南)のアフリカにあり、ベネズエラとエクアドルは南米国家である。また民族的な視点で見るとMENA8カ国のうちイランを除く7カ国はアラブ国家であり、宗教で言えばMENA8カ国とナイジェリアはイスラム国家である。これらのことからOPECの中核はMENA地域にあるアラブ・イスラム国家であることがわかる。
OPECは石油と言う経済商品を媒介とした国家カルテルであり各構成国の民族或いは宗教とは直接無関係である。しかしOPECの意思決定の主体が国家であることの意味は大きい。カルテルは通常民間企業で構成されるものであり、その目的は企業収益の最大化である。従って需給がひっ迫した時は強気の販売戦略で価格を吊り上げ、一方需要が落ち込んだ時は供給量を絞って価格の下落幅を押さえるという純粋に経済的な戦略を打ち出す。
これに対しOPECのように意思決定が国家単位である場合、そこには経済的な理由だけではなく、各国の外交・内政両面にわたる政治的判断が重要な要素となる。各加盟国が増産或いは減産を判断するのはOPEC全体の利益のためではなく、あくまで自国の利益のためである。従って加盟各国の固有の事情や歴史的背景がその判断に色濃く反映すると言える。
OPEC結成当初は、国際石油会社に対する収益改善交渉から始まり自国による石油産業の支配(国有化、事業参加或いはP/S契約など)と言う目的において加盟国の利害は一致し、そのため団結して行動することができた。しかし国際石油会社との戦いに勝利した後は、欧米の石油消費国と対峙する図式となり、意思決定の基準の一つとしてアラブ、イスラムと言った非経済的な要素が影響するようになった。1973年の中東戦争を契機とした第一次オイルショックは、OPEC加盟国と欧米諸国特に米国との対立の構図が鮮明になったが、これなどはその典型的な例であろう。
このこともあってOPECはこれまで何度か他の石油輸出国に加盟を働き掛けてきた。世界第2位の生産量を誇るロシア(昨年はサウジアラビアを抜き世界1位になったとも言われる)や同7位のメキシコ、15位のブラジルの他、近年産油国として台頭してきたカザフスタン、アゼルバイジャンの中央アジア諸国などである。OPECは折に触れてこれらの国をオブザーバーとして総会に招いている。
しかしこれらの国がOPECに参加する気配は見られない。20世紀末から今世紀初めにかけて欧米先進国がOPECとの対決姿勢を崩さなかったのは、単に産油国と消費国の対立と言う意味合いだけではなく、OPEC加盟国の中にアラブ、イスラム国家が多く、また反米国家が多いという事実も無視できない。このためロシア、メキシコなどもおいそれとOPECに加盟に踏み切れないのである。
(続く)
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
E-mail; maedat@r6.dion.ne.jp