石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

OPEC50年の歴史をふりかえる(4)

2010-04-26 | OPECの動向

(注)本シリーズ1~9回は「MY LIBRARY(前田高行論稿集)」に一括掲載されています。

4.結成後10年余で決着のついた国有化

 産油国がOPECを結成した目的の一つが国際石油会社から石油価格の支配権を奪い取ることにあるとすれば、もう一つの目的は自国の油田を自らのものにすること、即ち石油産業の国有化であった。

  最初に石油産業の国有化を目指したのはイランである。ムハンマドレザー皇帝(シャー)のもとで首相に就任したモサデグは第二次大戦後の世界的な民族主義運動の波に乗り、1951年に石油産業国有化法案を成立させた。しかし当時は欧米国家と国際石油会社の力が圧倒的に強く、英国政府はアングロ・ペルシャ石油(後のBP)の後ろ盾として国有化法を不承認とする声明を発表し、他の欧米諸国もイラン原油をボイコットした。

  この時日本の出光興産は自社タンカー日章丸を送り込み「赤い石油」と言われたイラン原油を買い付けたのであるが、全ての国際石油会社を敵に回したイランは多勢に無勢。次第に窮地に追い込まれ、1953年ついにモザデグは失脚した。イランの石油産業国有化は時期尚早だったのである。

  しかしOPECが結成される1960年ごろから潮目が変わり、石油に限らず天然資源についてはそれを保有する国のものであるという主張が認められ始めた。それは1962年の第17回国連総会で「天然の富と資源に対する恒久主権」決議により世界的に認知され、1966年の決議によってさらに強固なものとなった 。1966年決議では(1)資源は本来所在国に帰する、(2)資源の開発と販売は資源所在国が自力で行うことが望ましい、(3)資源開発に従事する外資は受入国のコントロールに服さなければならない、と天然資源国有化の正当性をはっきりと認めたのである。

  これに勢いを得てOPEC加盟国の中で先陣を切ったのはリビアであった。1969年に革命により実権を掌握したカダフィ大佐は翌年国内で操業する欧米石油企業に対し原油公示価格の値上げを迫った。彼は国内で操業する石油企業の中から米国のオクシデンタル石油を狙い打ちし、命令に従わない同社に減産命令を下したのである。これは極めて巧妙な戦術であった。と言うのは当時オクシデンタルが海外に保有する油田はリビアだけだったため、同社は公示価格引き上げの要求をのまざるを得なかったのである。同社が要求をのむと、他の石油企業も相次いでカダフィに屈服した。

  こうしてOPECはトリポリ協定(1971年)、リヤド協定(1972年)と次々に戦果をあげ、1972年にはイラクが、1974年にはリビア、さらに1975年にベネズエラがそれぞれ石油産業を国有化したのである。その他のOPEC諸国も同じように石油産業に対する完全な支配権を確立していった。

  但し支配の形式は各国によって異なり(1)国有化、(2)事業参加、(3)生産物分与(PS)契約の三つの方式に分類される。国有化は外国の石油会社が持っていた石油開発の利権を没収するものであり、これにより外国企業は撤退を余儀なくされる。リビア、イラク、イランなどがその例である。これに対して事業参加方式は外国企業の利権は残すが、開発・生産・販売全ての事業について産油国が一定の割合で参加する方式であり、国有化よりは穏健なやりかたと言える。

  例えばサウジアラビアは1968年に米国籍のアラムコ(Arabian American Oil Company)社に石油利権の50%の返還を求めた。サウジ側は石油操業に関わる投資及び経費の50%を負担する見返りに生産された原油の50%の所有権を持つということであり、操業は引き続きアラムコに任された。アラムコ側から見れば生産原油の50%については従来通り自社が自由に販売できる。事業参加の比率は 1974年に100%に引き上げられてアラムコは完全国有化され、社名はサウジアラムコに変更された。

  これらに対して生産物分与(PS)契約方式を採用したのがインドネシアである。この契約では外国石油会社が自己資金及び技術で探鉱・開発事業を行い、石油又は天然ガスの生産にこぎつければ、それまでに使った資金及び技術料相当分をコスト原油として受け取り、残余の原油を契約による比率でインドネシア政府と外国石油会社が分け合うのである。外国企業にとって安定的に原油を確保できるPS契約方式はうま味が多い。日本のインドネシア石油(現国際石油開発帝石)は操業を欧米企業に委ね、資金の一部を負担する形で石油開発事業に参入したが、終始安定した利益をあげ、今では国内でも超一流の財務内容を誇る企業に成長しているが、これはPS契約方式が幸いしたと言えよう。

  そして1975年にベネズエラが、1977年にはクウェイトが完全国有化に踏み切り、サウジアラビアの100%事業参加を含めOPEC加盟国は国連で決議された「天然資源に対する恒久主権」を手中にしたのである。

(続く)

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