1996年、リヤド赴任
1996年5月、JETROリヤド事務所長の辞令が交付された。形式的にはまずアラビア石油と関係が深い中東協力センター(JCCME)に出向し、さらにJETROに再出向する形となった。今回の出向は結果的にアラビア石油に戻らずじまいの片道切符であったが、すでに53歳でありその覚悟はできていた。
JETRO本部で1カ月間の研修を受け、その合間に親戚友人知人や関係先の挨拶回りをすませて6月中旬に成田を出発した。前回のカフジに次いでサウジアラビアは2度目の赴任である。前回任地のカフジには総勢2百人ほどの日本人コミュニティと会社併設の日本人学校があり家族を伴ったが、今回のリヤドはイスラムの戒律が最も厳しい都市であり妻のような成人女性は一人では外出できないためやむなく単身赴任となった。
オイルマネーで潤うサウジアラビアの首都リヤドには高層ビルやショッピングセンターが林立し、ヨーロッパの一流ブランド品や日本の最先端電化製品がショーウィンドーを飾っている。そしてスーパーマーケットには輸入生鮮食品或いは冷凍食品が山積みである。しかもそれらは政府補助金のおかげで驚くほど安い。市内には片側四車線の高速道路が縦横に張り巡らされ、外気が50度を超すような猛暑の中でもエアコンの効いた車で移動する。短期間しか滞在しない場合リヤドの生活は快適と言える。
しかし当時も今もリヤドは日本人には暮らしにくい。腰を据えて生活するとなると東京で自由を謳歌してきた身にはたちまちストレスがたまる。アフター・ファイブ或いは休日になるとイスラム教の制約をひしひしと実感する。それは飲食であったり娯楽であったりする。飲食では豚肉とアルコール類は一切禁止である。仕事に疲れた時でも同僚と飲み屋で乾杯し或いは自宅でテレビを見ながらトンカツを食べると言う生活はできない。映画館や音楽会のようなごく普通の休日の楽しみもない。東京なら意識することもない自由で何気ない生活が許されない世界がどのようなものか読者は想像できるだろうか。ごく普通の日本人にはストレスがたまる街である。
実はリヤドでもアルコールを飲める場所が二か所あった。一つは日本大使館である。ここは治外法権でありアルコール類を外交特権によりフリーパスで持ち込むことができる。大使館ではリヤドに在住する日本人のため折に触れて公邸でパーティーを催してくれた。もう一か所はアメリカ人だけが住む塀に囲まれた一画である。筆者が住んでいた広大な外国人専用居住区には二重の塀がありその中に米国人が住んでいた。そこには豚肉や酒類を売るコンビニがあり、アメリカ人女性がタンクトップにショートパンツという開放的な服装で塀の中を闊歩していた。しかし筆者たちは二重の塀の内側には入れない。奇妙なことにリヤドでは塀の外は不自由な世界であり、塀の内側に入るほど自由が溢れていた。世界中いかなる土地においても自国の生活スタイルを実現する米国の力にはただ驚くばかりであった。
事務所の仕事風景を述べよう。5階建ての小ぶりなビルの一室に事務所を構えた。日本人は所長である筆者一人。その他は渉外担当のスーダン人のほかインド人が通商担当、雑用係及びお抱え運転手の3人。合計5人の小さな所帯である。サウジ人はいなかった。サウジアラビア政府は進出企業に対して自国民の雇用を義務付けていたが、ジェトロ事務所設立の覚書を両国政府で交わした時にジェトロが日本政府の一機関であることを理由にサウジ人雇用の義務を免れたのである。
事務所の仕事は日本企業のサウジアラビアへの進出を促すことである。日本企業の相手になりそうな地元企業の発掘、日本から訪れる民間調査団の案内、市場調査等々仕事は山ほどあり赴任早々から東奔西走、目の回るような日々の連続であった。サウジアラビアの大きな都市と言えば首都のリヤドの他は紅海沿岸の商業都市ジェッダとペルシャ湾沿岸の石油工業都市ダンマンの三か所だけであるが、ジェッダは東京―博多間、ダンマンは東京―名古屋間ほどの距離がある。週の半ばはリヤドの官庁や有力企業を回り、週末にジェッダ或いはダンマンに移動、2、3日の仕事をすますと再びリヤドに戻る生活の繰り返しであった。
これらは中東協力センター(JCCME)本部からの指示による仕事であるが、その他にジェトロ本部からも各種の調査依頼があり、さらに毎年理事長の海外視察に際して欧州・中東・アフリカの合同会議がパリなどヨーロッパの事務所で開かれ、また中東とアフリカ地域の連絡会議がカイロで開催される。その都度1週間程度の出張となった。ジェトロとJCCMEの共同事務所なので両方の本部から次々と指令が飛んでくる。両本部の窓口担当者はこちらの事情を察してくれるとは言え、上部にお役所(通産省、現経産省)が控えており「泣く子と地頭には勝てぬ」である。一対一で話すとジェトロもJCCMEの担当者も実に良い人ばかりであったが、共に宮仕えのサラリーマンでありお互いに愚痴をこぼして慰め合うこともしばしばであった。
しかし一年も経つ頃、筆者一人では到底さばききれず業務が停滞するに及んで遂に増員を要請するに至った。
この年、日本では自民党が政権に復帰、橋本内閣が発足する一方、管直人・鳩山由紀夫を代表とする民主党が結成されている。また消費税が5%に引き上げられたのもこの年である。
(続く)
(追記)本シリーズ(1)~(20)は下記で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0278BankaAoc.pdf
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