石油と中東

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見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(5)

2016-02-03 | その他

プロローグ

5.第一次大戦中の英国の3枚舌外交(その2)
(2)サイクス・ピコ協定
 フセイン・マクマホン書簡に続く「三枚舌外交」の二枚目は英国がフランス(そしてロシア)と結んだ旧オスマン・トルコ帝国領土の秘密分割協定「サイクス・ピコ協定」である。

 第一次世界大戦で英仏連合国側の勝利が濃厚となった1915年末頃から大戦後のオスマン帝国の分割について英国の中東専門家マーク・サイクスとフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ・ピコが原案を作成、その後ロシア帝国も加わった秘密協定が作成された。二人の名前を取って後に「サイクス・ピコ協定」と呼ばれるこの協定は1916年5月、ロシアのペトログラードで3カ国が調印した。「フセイン・マクマホン書簡」(前項参照)によりマッカの太守フセインが蜂起する直前のことであった。

 この秘密の領土分割協定で英国はシリア南部と南メソポタミア(現在のイラクの大半)を獲得、シリア、アナトリア南部及びイラクのモスル地区がフランスの勢力範囲とされ、ロシアには黒海沿岸が与えられた。サイクス・ピコ協定のうち英仏が分割した中東地域をもう少し詳しく見ると、アナトリア南部からベイルートに至る地中海沿岸一帯はフランスの直接統治領となり、ダマスカスからアレッポ、さらにモスルに至る北メソポタミア地域はフランスの勢力下に置かれた。これらの地域を現在の国境線で見ると、フランスの勢力圏はトルコ南部からシリア全域、さらにイラク北部及びレバノンと言うことになる。

 一方英国はと言えばバグダッドからバスラ、さらにクウェイトからペルシャ(アラビア)湾岸を南下する一帯が直接統治領となり、アンマンからアラビア半島北部の砂漠地帯が勢力圏と定められた。現在でいえばイラク南部、ヨルダン、ウジアラビア北辺及びクウェイトからUAEに至るGCC湾岸諸国である。

 そして次に述べるバルフォア宣言によりその後中東最大の火種となるパレスチナは英仏共同統治領とされたのである。

 「サイクス・ピコ協定」は英国、フランス及びロシアの3カ国による帝国主義植民地獲得競争の産物であって、数千年にわたり地域一帯でそれなりの平和と秩序を保ってきたアラブ民族の意向は一顧だにされない秘密協定であった。ところが協定締結のわずか1年後の1917年にロシア革命が勃発、革命政府によってこの秘密協定の存在が暴露されたのである。「フセイン・マクマホン協定」の誠実な履行を求めるアラブ側が反発したのは当然であった。

(続く)

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