プロローグ
6.第一次大戦中の英国の3枚舌外交(その3)
(3)バルフォア宣言
英国の3枚舌外交の中で最も有名なものが「バルフォア宣言」であろう。バルフォア宣言は三つの約束の中では最も遅く、1917年11月に英国外務大臣アーサー・バルフォアがユダヤ系貴族院議員ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド宛に送った書簡であり、世界のユダヤ人に対してパレスチナの土地にホームランドを建設することを認めたものである。
西暦135年にローマ帝国ハドリアヌス帝が度重なるユダヤ人の反乱を鎮圧、かれらがエルサレムに立ち入ることを禁止してからユダヤ人たちの「ディアスポラ(離散)」の長い歴史が始まった。彼らはヨーロッパ各地で白人たちの蔑視と迫害に耐えながらいつの日か祖国パレスチナに帰ることを夢見ていた。それは19世紀に入って政治的なシオニズム運動(約束された故郷シオンの土地に帰ろう、という運動)になった。
19世紀から20世紀にかけて発展した金融資本主義の中で世界の金融を握ったのがユダヤ人である。それはユダヤ人の資金力が戦争の勝敗を左右する時代でもあった。日本が日露戦争に勝利したのは日本の戦時債を米国ウォール街のユダヤ人銀行家が引き受けてくれたおかげであることは誰もが知っている戦時秘話であるが、第一次大戦でもユダヤ資本が勝利の鍵を握っていた。そしてそのユダヤ資本家の代名詞とも言えるのがロスチャイルド財閥である。のどから手が出るほど金に困っていた英国は戦争資金の調達をロスチャイルドに持ち込み、その見返りとしてユダヤ人のシオニズム運動を後押ししたのである。
バルフォア外相がロスチャイルド卿に送った書簡には次のような文言が記されていた 。
「英国政府は、ユダヤ人がパレスチナの地に国民的郷土を樹立することにつき好意をもって見ることとし、その目的の達成のために最大限の努力を払うものとする。ただし、これは、パレスチナに在住する非ユダヤ人の市民権、宗教的権利、及び他の諸国に住むユダヤ人が享受している諸権利と政治的地位を、害するものではないことが明白に了解されるものとする。
貴殿によって、この宣言をシオニスト連盟にお伝えいただければ、有り難く思います。」
ここにはユダヤ人がパレスチナにホームランドを建設することを支援する英国政府の意図が明確に示されている。但しユダヤ人がパレスチナに住んでいたのは紀元1世紀までのことであり、それ以来2千年近くの間パレスチナに住み続けたのはアラブ人であった。そのためさすがの英国政府も「パレスチナに在住する非ユダヤ人の市民権、宗教的権利(中略)と政治的地位を、害するものではない」と言う但し書きを付けたのである。しかしその後この但し書きが守られることは無かったどころか、イスラエルは4度の戦争を通じてパレスチナにおける領土支配を進め、今も入植地を拡大し続けているのである。パレスチナを含むアラブ圏の全ての人々はそれをただ手を拱いて見ているだけである。
以上の三つの約束をごく下世話風に言うとすれば、「戦争に必要な金を貸してくれればお前たちが望んでいる『約束の土地』パレスチナにユダヤの国を造らせてあげよう」と言うのがバルフォア宣言であり、一方「お前たちアラブ人がオスマン・トルコの後方を攪乱してくれれば、武器弾薬と必要な金をやろう。そして戦争が終わったらアラブ人によるカリフ制イスラム国家を造ることを認めよう」というのがフセイン・マクマホン書簡である。そして残る一つは、「戦争が終わればレバント地方を英仏2カ国で山分けしよう」と英国とフランスが地図上に線を引いたのがサイクス・ピコ協定であったと言えよう。この三つの約束が将来の紛争の種になるであろうことは誰の目にも明らかであったが、英国は当座の戦争に勝つことこそが目的であり、その後のことはその時になって考えれば良いというその場しのぎのご都合主義外交なのであった。
英国及びフランスにとって3つの約束事の優先順位は、サイクス・ピコ協定が最優先であり、バルフォア宣言がこれに次ぎ、フセイン・マクマホン協定は最も優先順位が低かったことは第一次大戦後の歴史を見れば明らかである。そこでは中東地域の主役であるはずのアラブ・イスラームの人々の意向は全く無視され、アラブ・イスラームの人々は英国とフランスの西欧列強に食い物にされた。それが第二次大戦後、今に続く中東の混乱の遠因なのである。
(続く)
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