第1章:民族主義と社会主義のうねり
4.イスラエル独立(その2):ユダヤ人とは?
「イスラエルはユダヤ人の国である」と言うことに異議を唱える人はいないであろう。しかし「ユダヤ人」を定義するとなると厄介である。ユダヤ人のルーツは旧約聖書を正しいとすれば、紀元前20世紀頃中東パレスチナのカナン(約束の土地)に定住したアブラハムの一族である。彼らは民族的にはセム系に属し、アラブ民族と同じ系統である。ユダヤ人たちはアラブ人と同一視されることを嫌がるであろうが生物学的あるいは民俗学的にみれば両者は同じ系統である。
古代イスラエル人は部族として一神教のユダヤ教を信じ、信仰のリーダーを預言者として結束して行動してきた。紀元前13世紀にエジプトに抑留されていた一族を引き連れて再びカナンに戻ったモーゼはそのような預言者の一人だった。その後紀元前10世紀頃にダビデとその息子ソロモンがエルサレムに神殿を築きイスラエル王国、さらにはユダ王国として繁栄するのである。しかし紀元前6世紀以降たびたび隣国の新バビロニア王国の侵略を受けユダ王国は滅亡、ユダヤ人はエルサレムからバビロニアに強制移住させられた(バビロニア捕囚)。その後、新バビロニアを滅ぼしたペルシャ王キュロスによって彼らは解放されてエルサレムに帰還、エジプト王朝の支配下でエルサレム神殿を再興、紀元前から紀元後へとローマ帝国の属領ユダヤ王国として生き延びることになる。
紀元100年前後にはローマ帝国に対して度々反乱した結果、135年にハドリアヌス帝によって徹底的に弾圧され、ユダヤ人はエルサレムに住むことを禁止された。この時から長いユダヤ人の「離散(ディアスポラ)」が始まり、彼らはヨーロッパ各地に移り住んだのである。
キリスト教が深く根を下ろし、白人が定住するヨーロッパ各地で、固有の宗教を信奉するセム系のユダヤ人が蔑視され迫害されたことは言うまでもない。キリストを裏切ったユダの汚名がいつまでもユダヤ人について回った。キリスト教徒たちはユダヤ人を「ゲットー(居住区)」に押しこめ、自分たちが忌避する仕事を押し付けた。
そのような職業の一つが金貸し業である。中世キリスト教社会では金融業は汚らわしい職業とみなされていた。人間を金に縛り付け強欲が支配する金融業は宗教の持つ清廉さと相容れないためであろう。実は金融業を忌避するのはキリスト教に限ったことではなく、イスラム教ではさらに厳格に解釈されており、現代でもイスラム社会では金利は「ハラーム(忌避すべきもの)」とされ金利を取ることは禁止されている。当時の金貸し業がユダヤ人の専売特許であったことはシェークスピアの戯曲「ヴェニスの商人」を見てもよくわかる。当時のヨーロッパではシェークスピアのような文化人ですらユダヤ人を毛嫌いしていた。このようなステレオタイプなユダヤ人観は20世紀前半まで残り、その最大の悲劇こそナチスドイツによるホロコーストだったと言えよう。
以上のようなユダヤの歴史を振り返り改めて「ユダヤ人とは何か?」と言う問いに向き合ったとき一言で答えることは極めて難しい。
まずユダヤ人は生物学的な意味での独自の民族と言うことはできない。彼らの起源がセム語族の中の一部族であることは間違いないが、2千年近いディアスポラを経た現在のユダヤ人が「血」の絆を共有しているとは言えないからである。
それではユダヤ教と言う宗教でユダヤ人を定義することができるだろうか。否である。ユダヤ教からキリスト教に改宗した者たちも自らをユダヤ人と称している。米国のユダヤ人は大半がキリスト教徒である。「心(信仰)」の面でもユダヤ人は多義的である。
結局ユダヤ人とは他者が「お前はユダヤ人である」と名指しするか、或いは自らを「私はユダヤ人である」と自称する者がユダヤ人である、と言うことになる。これは同語反復であってとても定義などと言えるものではないのである。
近世までのヨーロッパでは白人たちが「お前たちはユダヤ人である」と決めつけてゲットーに閉じ込めようとした。それを嫌ったユダヤ人たちはユダヤ教を棄教してキリスト教徒として生きるか、或いはユダヤ人であることをひた隠しにして社会の片隅でひっそり生きてきた。
しかしロスチャイルドに代表されるユダヤ人の金融資本家が戦争遂行に一役買うほどの実力をつけ、またアインシュタインなどユダヤ人の優秀な頭脳が見直されると、ユダヤ人たちの間にアイデンティティを鮮明にする動きが起こり、「私はユダヤ人である」と自称する者すべてがユダヤ人とみなされるようになった。ホロコーストを経た第二次大戦後は「ユダヤ人である」と名乗ることで身の安全と将来の繁栄が保証されるようになったのである。その意味でソ連邦崩壊後にロシアからイスラエルに大量に移住したロシア系ユダヤ人の中には本来のユダヤ人とは縁もゆかりもない移民がいるに違いないという疑念はぬぐえない。
ともあれ他称、自称のユダヤ人たちによってイスラエルは建国され、今も版図を拡大し続けているのである。
(続く)
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