2018.2.27
荒葉一也
Areha_Kazuya@jcom.home.ne.jp
2017年12月:トランプ大統領、米大使館のエルサレム移転明言
昨年12月、トランプ米国大統領はエルサレムをイスラエルの首都と認定、米国大使館を同地に移転すると発表した[1]。これに対しイスラーム諸国は猛反発し[2]、西欧諸国は当惑したのである。実は米国の国内事情からみればこれはトランプ大統領の暴挙でも何でもない。1995年に「エルサレム大使館法」が議会で可決されたにもかかわらず、歴代の大統領が拒否権を発動して移転を先送りしてきたことに対しトランプ大統領は選挙の公約を果たしたにすぎないのである。
しかし国際的に見るとこれは間違いなく暴挙である。エルサレムは世界三大一神教であるユダヤ教、キリスト教及びイスラームの全ての聖地であり、世界中で最もホットな論争を巻き起こす場所である。そのため国連でもトランプ政権を非難する決議が取り上げられ、安全保障理事会で米国は拒否権を行使したが、総会では圧倒的多数で決議された[3]。イスラーム諸国もトルコでOIC(イスラーム協力機構)の緊急会合を開き反対を表明しており、ヨーロッパ諸国や中国、ロシアなどは目立った行動こそないものの強い懸念を示した。
これで思い起こされるのは昨年5月トランプ大統領が最初の外国訪問としてサウジアラビア、イスラエル及びローマ・バチカンを選んだことである。言うまでもなくサウジアラビアにはイスラームの聖都マッカとマディナがあり、サウジアラビア国王は「二大聖都の守護者」を自認し、イスラエルはユダヤ教徒の国、そしてバチカンはローマ・カトリックの総本山である。トランプ大統領が3か国を同時に訪問したことはいわば彼が世界三大一神教を平等に扱っていると言えなくもない。但し本来の意図は、サウジアラビアに武器を売り込んで米国の国内経済を支えることであり[4]、イスラエル訪問は紛争が多発する中東で米国のイスラエル支持を明確に示すことであった。バチカン訪問だけが純粋な宗教的動機であったはずだ。しかしイスラエルとバチカン訪問はトランプ大統領の支持基盤であるキリスト教原理主義福音派(エヴァンジェリカル)の支持をつなぎとめるためだったことは間違いない。
サウジアラビアへの兵器輸出と国内キリスト教徒に対するアピールのための外遊、そして今回のエルサレム宣言は全てトランプ大統領が日ごろから口にしている「米国第一主義」の発露である。トランプは何をしでかすかわからない、という芳しくない評価があるが、こうしてみると彼の思想と発言は実に一貫しているのである。
ところが彼の「米国第一主義」を理解せずに振り回されているのがサウジアラビア外交なのである。サウジアラビアの外交は一応ジュベイル外相が担っていることになっているが、誰の目にも明らかなように実質的に外交を取り仕切っているのはムハンマド皇太子であり、外相は皇太子の使い走りに過ぎない。皇太子はオバマ前大統領時代最悪であった米国との関係をトランプ大統領時代に入り太いパイプを築き上げた。彼は中東の和平に貢献する意思があるという大統領の発言に自国に対する米国の過大な期待を見たのであった。
しかしその結果はどうであろう。米国大統領はエルサレム首都宣言と米国大使館の移転というアラブ・イスラーム諸国の虎の尾を踏んだ。ここでムハンマド皇太子は立ち往生したのである。トルコで開催されたOICの緊急会合は外相出席でお茶を濁す始末で、トランプ発言についても何ら明確な反対発言ができないままである。エジプト、トルコ、クウェイトなどの諸国もサウジアラビアを冷たい目で見始めたのである。
(余話)サウジ外交の醜態:3つのスキャンダル
ここまで昨年のサウジ外交の六つのエピソードに触れたが、その他にもスキャンダルとも言うべき稚拙な外交エピソードが散見される。
その一つはパレスチナ系ヨルダン人実業家の拘束事件である。汚職摘発でアルワリード王子を含む王族・閣僚・ビジネスマン多数が拘留中の昨年12月、ヨルダンの有力実業家Masri氏がリヤド空港で一時拘束された。その後彼は相応の金額を払って帰国を許されたようであるが、あるメディアはムハンマド王子がヨルダン国王に対し、釈放を条件にトルコでのOIC会議に同国が欠席するよう強要したとの噂を伝えている[5]。これが事実であれば、エルサレム問題をできるだけ荒立てたくない皇太子の稚拙な策謀というべきであろう。
二つ目はサウジアラビアとイスラエルの水面下での接触の噂である。ムハンマド皇太子がトランプ大統領の娘婿で側近のクシュナー補佐官と極めて親しいことは周知の事実であり、ユダヤ教徒のクシュナーを挟んでサウジとイスラエルが合従連衡するのではないかという噂が絶えない。それはまずは航空路開設問題に表れており、昨年3月にはクウェイトの新聞にサウジ航空機がテルアビブ空港に試験飛行で着陸したというニュースが流れた。サウジ政府は猛烈に反発し、クウェイト側が謝罪して一件落着した[6]。6月にはトルコのウェブニュースにイスラエル空港に駐機中のサウジ航空機の写真が掲載された。これは合成写真によるフェーク(偽)ニュースだったようであるが、火のないところに煙は立たずということわざもある。このほかのニュースとしてサウジ政府要人がイスラエルを訪問したとの報道が流れたが、サウジ外務省はこれを否定している[7]。
三つめは現在東京国立博物館で開催中の「アラビアへの道―サウジ秘宝展」の開会式に観光遺跡庁のスルタン王子が顔を見せなかったことである[8]。スルタン王子はサルマン国王の子息でムハンマド皇太子の異母兄という有力王族である。サウジの現地新聞は王子が来日しテープカットを行うと報道していた。しかし王子は来日せず駐日大使が代役を務めた。リヤドではそのころ汚職摘発を理由にした皇太子の権力闘争の真っ最中である。スルタン王子も心安らかでなかったはずで、筆者はサルマン一族が宮廷クーデタを恐れてリヤドを離れられないのではないかと推測している。
孤立深まるサウジアラビアーそして誰も近づかなくなった!
サウジアラビアは米国の威勢をバックに中東の覇者たらんとした思惑がはずれ今や周辺諸国から胡散臭い目で見られ孤立が深まっている。それらの国の名前を挙げるとすれば、クウェイト、オマーンのGCC2カ国とエジプト及びヨルダンであろう。
サウジアラビア、UAE及びバハレーンとカタールとの国交断絶問題では当初クウェイトが様々な仲介を試みたがムハンマド皇太子の頑なな態度で問題解決の目途が立たない。クウェイトはサウジの姿勢に嫌気がさしたのかGCC結束に消極的になり、現在ではむしろカタールとの関係修復に動いているように見える。両国の民間航空路開設について協議していると伝えられる[9]のはその証左であろう。
オマーンは元々サウジアラビアとは一線を画する姿勢であり、今回のカタール断交問題でも立場を鮮明にしていない。そしてクウェイトと同様カタールとの経済協力を模索し、3月には両国でビジネス会議を開催すると表明している[10]。オマーンは歴史的にホルムズ海峡を挟んだイランとの関係を絶やさないようにしており、イラン憎しのサウジアラビアとは明らかに異なった外交方針を貫いている。またオマーンはオスマン帝国以来の由緒あるスルタン制国家であり、建国百年に満たない新興国サウジアラビアが石油の富で周辺国を服従させようとする態度をかねてから苦々しく思っている。
ヨルダンとエジプトは経済危機のたびにサウジアラビアからの援助を引き出し、そのためサウジの外交政策を支持する態度を示してきた。図に乗ったムハンマド皇太子はヨルダン、エジプトを含むアカバ湾一帯の総合開発計画NEOMプロジェクトを打ち出した[11]。皇太子は公共投資基金(PIF)も出資するソフトバンク・ビジョン・ファンドの資金で3か国の経済開発を図ろうとする善意のプロジェクトのつもりであろうが、ヨルダン及びエジプトの一般国民感情から考えればサウジの経済侵略と映らないことはない。このプロジェクトの少し前、サルマン国王とシーシ・エジプト大統領との間でアカバ湾の2島のサウジ帰属を認め、これら2島をかけ橋とするアラビア半島とシナイ半島の架橋計画が表面化した[12]。橋が完成すればシナイ半島、さらにエジプト本土の経済開発に寄与することは間違いないであろうが、エジプト国内では2島のサウジ帰属に根強い反対論がある。ここにもサウジを尊大と見るエジプトの国民感情が潜んでいるようである。
サウジアラビアの孤立は深まるばかりで、他国は誰もサウジに近寄らなくなりつつある。
(完)