(注)本レポートは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。
http://mylibrary.maeda1.jp/0532JordanHashemite2021.pdf
(英語版)
(アラビア語版)
3.二度にわたる皇太子の交代
1999年、癌治療のため米国の病院に入院していたフセイン国王(当時)は余命いくばくもないことを悟り驚くべき行動に出た。ベッドに伏せたまま特別機で帰国した国王は、実弟のハッサン皇太子に因果を含めて退位させ、38歳になった長男のアブダッラーを皇太子に指名したのである。フセイン国王はとんぼ返りで米国に戻りまもなく死去した。
新国王に即位したアブダッラー二世のもとで皇太子になったのは異母弟のハムザ王子であった。当時新国王にはパレスチナ人のラニア王妃との間に長男フセインがいたが、5歳になったばかりだったためハムザ王子を皇太子にしたと言う訳である。アブダッラー二世の時代に入っても9.11テロ事件(2001年)、イラク戦争(2003年)と中東には事件が続発したが、異母兄弟の国王と皇太子は二人で協力して小国ヨルダンに襲いかかる荒波をかいくぐってきた。
ところが2004年に再び皇太子交代問題が発生する。国王がハムザに替えて長男フセインを皇太子に指名すると宣言したのである。フセイン前国王の時と全く同じことの繰り返しである。異なるのは皇太子が前回は同母兄弟であり、今回は異母兄弟と言うことである。外見上は皇太子の交代は平穏に行われ不穏な動きは見られなかった。と言うより吹けば飛ぶような小国ヨルダンにとって王室の内輪もめに時間を浪費する余裕などなかった、と言う方が正しい。国王も皇太子もそのことを肌身で分かっていたため、ハムザは皇太子の地位を譲り、アブダッラー二世は長子直系相続をルール化することで将来のお家争いの種を摘み取ったと言えよう。
但し一般的に言えば権力の承継問題は本人同士(今回の場合は兄弟間)が互いに納得すればそれで良し、と言うほど簡単な問題ではない。権力には甘い汁がつきものであり、それを求めて取り巻き連中が必ずうごめく。取り巻き連中にとっては自分のボスが地位を失うことは即死活問題であり、ボスを説得あるいは焚きつけて何とか特権を保とうとする。今回の場合、ハムザ王子の取り巻きがクーデタで国王交代を企図したと考えられないことはない。さらにはハムザの妻、Basmah妃が陰謀に加担している疑いが無いでもない。Basmah妃はヨルダン初の女性パイロットである。彼女はカナダ生まれで父親はヨルダン人ビジネスマン、夫ハムザ王子の母親のNoor元王妃はシリア系米国人である。
ここでアブダッラー現国王の血縁関係を思い出してほしい。国王の母親は純粋の英国女性であり、妻のRania妃はパレスチナ難民の医師を父親にクウェイトで生まれた。彼女は大学卒業後ヨルダンでジャーナリストとして働いていた時に当時皇太子であったアブダッラーに見初められ皇太子妃(後に王妃)になったシンデレラガールである。ゴシップ週刊誌風に見れば、Basmah妃にとって義兄の国王は白人との混血であり、その妻Raniaはパレスチナ難民の子供である。対して自分の夫ハムザは母親がシリア人とはいえアラブ系であることは間違いなく、また彼女自身は生粋のヨルダン人である。預言者ムハンマドにつながる由緒あるハーシム家の後継者としていずれが相応しいか?Basmah妃がどう考えたかは分らない。因みにBasmahは事件発覚後亡命先を求めて某国と接触した、と伝えられている[1]。複雑な血縁関係が今回のお家騒動の根幹にあると邪推できるのである。
これが事件のゴシップ風解説であり、お家騒動となれば国家の場合も、財閥の場合も洋の東西を問わず変わりはない。ハーシム家のお家騒動の原因究明あるいは事件の処理方法には謎の部分が多い。
(続く)
本件に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
荒葉一也
[1] Prince Hamzeh, inner clique’s attempts to undermine security, stability foiled — deputy PM
2021/4/5 The Jordan Times