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第4章:中東の戦争と平和(13)
099 「平和の家」と「戦争の家」(3/4)
当事国以外についてもその国がアラブとイスラエルいずれを支持するかで「敵の味方は敵」、「敵の敵は味方」と単純に色分けすることができた。第四次中東戦争でアラブ産油国が石油戦略を発動したときにそれが明確に表れた。すなわちイスラエル(敵)の肩を持つ米国は敵であり、アラブ(味方)を支持する国は味方とみなして石油の供給を減らさないという戦略である。日本はあわてて三木副総理を中東に派遣しアラブの友好国であることを表明して石油の禁輸を免れたのである。
ところが第四次中東戦争以後の中東での戦争は単純な二項対立だけではなくなった。イラン・イラク戦争は民族対立(ペルシャ人対アラブ人)と宗派対立(シーア派対スンニ派)が絡み合ったものであり、アラブ諸国は揃ってイラクのサダム政権を支持した。しかしイラク南部には多くのシーア派住民がおり、彼らはイラク国民である前に敬虔なシーア派信徒であった。彼らは独裁者サダムの中央政府を恐れていたものの心情的にはイラン寄りである。
サウジアラビアのような周辺のスンニ派諸国にとってシーア派のイランは「敵」であり、同じスンニ派政権のアラブ国家であるイラクは「味方」である。しかし味方のイラクではあるが、サウジアラビアの国境のすぐ北側に住んでいるのはシーア派である。さらに独裁者サダム・フセインもイランとの開戦前は湾岸の王制国家打倒を叫んでおり、サウジアラビアにとっては油断のならない男である。
(続く)
荒葉 一也
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