6/18 JOGMEC 「第13回再生可能エネルギー世界展示会」GRAND RENEWABLE ENERGY 2018 INTERNATIONAL EXHIBITION
http://www.jogmec.go.jp/news/event/event_k_10_000068.html
6/18 JOGMEC 「LNGバリューチェーン研修」の実施~政府の推進する柔軟かつ透明性の高いLNG市場の育成・発展に向け~
http://www.jogmec.go.jp/news/release/news_06_000403.html
6/19 昭和シェル石油 全社員を対象とする「在宅勤務制度」開始
http://www.showa-shell.co.jp/press_release/pr2018/061903.html
6/20 Shell Shell completes Malaysia LNG Tiga equity sale
https://www.shell.com/media/news-and-media-releases/2018/shell-completes-malaysia-lng-tiga-equity-sale.html
6/21 Shell Shell completes sale of stake in Thailand’s Bongkot field to PTTEP
https://www.shell.com/media/news-and-media-releases/2018/sale-of-stake-pttep.html
6/22 石油連盟 月岡 石油連盟会長定例記者会見配布資料
http://www.paj.gr.jp/from_chairman/data/2018/index.html#id1819
6/22 石油資源開発 当社持分法適用会社の会社更生手続開始申立てについて
https://www.japex.co.jp/newsrelease/pdfdocs/JAPEX20180622_JDC_ReorganizationProcedures_j.pdf
6/23 OPEC OPEC 174th Meeting concludes
http://www.opec.org/opec_web/en/press_room/5072.htm
2018.6.21
(注)本レポートは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。
http://mylibrary.maeda1.jp/0446BpOil2018.pdf
前田 高行
2.2017年の世界の石油生産量
(中東とロシア・中央アジアの両地域で世界の石油の半分を生産!)
(1) 地域別生産量
(図http://bpdatabase.maeda1.jp/1-2-G01.pdf参照)
2017年の世界の石油生産量は日量9,265万バレル(以下B/D)であった。これを地域別でみると中東が3,160万B/Dと最も多く全体の34%を占めている。その他の地域については北米2,011万B/D(22%)、ロシア・中央アジア1,429万B/D(15%)、アフリカ807万B/D(9%)、アジア・大洋州788万B/D(8%)、中南米718万B/D(8%)、欧州352万B/D(4%)である。中東とロシア・中央アジア両地域の生産量を合わせるとシェアは49%となり世界の石油生産の2分のⅠを占めている。
各地域の生産量と埋蔵量(石油篇1参照)を比較すると、埋蔵量のシェアが生産量のシェアより高い地域は中東及び中南米であり、その他の地域(北米、ロシア・中央アジア、アフリカ、アジア・大洋州及び欧州)は生産量のシェアが埋蔵量のシェアよりも高い。例えば中東は埋蔵量では世界の48%を占めているが生産量は34%に過ぎない。中南米も埋蔵量シェア19%に対し生産量シェアは8%である。一方、北米の場合、埋蔵量シェア13%に対して生産量のシェアは22%である。同様にアジア・大洋州も生産量シェアが埋蔵量シェアを5ポイント上回り、ロシア・中央アジアは6ポイント、欧州は3ポイント上回っている。このことから地域別に見て将来の石油生産を維持又は拡大できるポテンシャルを持っているのは中東及び中南米であることが読み取れる。
(4年連続で米国が生産量世界一、サウジアラビアおよびロシアを加え3か国が断トツ!)
(2) 国別生産量
(表http://bpdatabase.maeda1.jp/1-2-T01.pdf参照)
次に国別に見ると、最大の石油生産国は米国である。同国の2017年の生産量は1,306万B/Dであり、産油国の中で唯一1,300万B/Dを超えている。第2位はサウジアラビアの1,195万B/Dで米国との差は100万B/D強ある。第3位はロシア(1,126万B/D)でありサウジアラビアとの差は小さい。生産量が1千万B/Dを超えるのはこれら3カ国だけであり、3か国が世界に占めるシェアは4割強に達する。
4位から6位にはイラン(498万B/D)、カナダ(483万B/D)、イラク(452万B/D)が400万B/D台で並んでいる。イランは欧米の禁輸措置により輸出量が激減し、2011年の4位から2012年には6位、2013年から2015年までは7位と順位を落としたが、禁輸制裁が解除されて生産量が回復し4位に浮上している。さらに7位にはUAE(394万B/D)、8位は中国(385万B/D)、9位がクウェイト(303万B/D)と続き、10位以下は300万B/D以下である。
10位以下20位までの国とその生産量は以下の通りである。
ブラジル(273万B/D)、メキシコ(222万B/D)、ベネズエラ(211万B/D)、ナイジェリア(199万B/D)、ノルウェー(197万B/D)、カタール(192万B/D)、カザフスタン(184万B/D)、アンゴラ(167万B/D)、アルジェリア(154万B/D)、英国(100万B/D)、オマーン(97万B/D)。
(続く)
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
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2018.6.20
前田 高行
BPが恒例の「BP Statistical Review of World Energy 2018」を発表した。以下は同レポートの中から石油に関する埋蔵量、生産量、消費量等のデータを抜粋して解説したものである。
1.世界の石油の埋蔵量と可採年数(続き)
(OPECにロシアを加えると埋蔵量シェアはほぼ8割に!)
(4)OPECと非OPECの比率
(図http://bpdatabase.maeda1.jp/1-1-G04.pdf参照)
既に述べた通り2017年末の国別石油埋蔵量ではベネズエラとサウジアラビアが世界1位、2位であるが、両国は共にOPECのメンバーである。また両国の他にイラン、イラク、クウェイト、UAE及びリビアの合計7カ国が石油埋蔵量の上位10カ国に名を連ねている(「1.世界の石油の埋蔵量と可採年数」参照)。非OPECで世界ベストテンに入っているのは3位カナダ、6位ロシア及び10位米国の3カ国であるが、このうちロシアは昨年1月からOPECと協調減産を行っており、現在同国とOPEC特にサウジアラビアは極めて緊密な連携を取り合っている。
この事実を埋蔵量の面で見ると、OPEC全加盟国の埋蔵量は10位以下のナイジェリア、アルジェリア等も合計すると1兆2千億バレルに達し、世界全体(1.7兆バレル)の72%を占めることになる。さらに埋蔵量世界6位のロシアを加えるとOPEC+ロシアの石油埋蔵量が世界に占める割合は全世界の8割近い78%に達する。
加盟国の中にはベネズエラ、イラン、イラクのように埋蔵量の公表数値に水増しの疑いがある国もあるが(前項参照)、統計上で見る限りOPECの存在感は大きい。現在OPEC14か国の内12か国はロシアなど非OPEC10カ国と協調減産を行っているが、将来の生産能力を考えた場合埋蔵量の多寡は決定的な意味を持ってくる。この点からOPEC+ロシアの埋蔵量が世界全体の8割近くを占めていることはOPECとロシアが将来にわたり石油エネルギーの分野で大きな存在感を維持すると言って間違いないであろう。
OPEC対非OPECの埋蔵量比率を歴史的に見ると(ここではロシアは非OPECの中に含める)、1980年末はOPEC62%に対し非OPECは38%であった。その後この比率は1985年末にOPEC66%、非OPEC34%、さらに1990年末にはOPEC74%に対し非OPEC26%とOPECの比率が上昇している。これは1970年代の二度にわたる石油ショックの結果、1980年代に需要の低迷と価格の下落が同時に発生、非OPEC諸国における石油開発意欲が低下したためである。
1990年代末から2000年初めにかけて世界景気が回復し、中国・インドを中心に石油需要が急速に伸び価格が上昇した結果、ブラジル、ロシア・中央アジアなどの非OPEC諸国で石油の探鉱開発が活発となり、2000年末にはOPEC66%、非OPEC34%と非OPECの比率が上昇している。しかし2005年以降はOPECのシェアが2005年末68%、2017年末72%と1990年代前半と同じ水準に達している。これはベネズエラが2008年から2010年にかけて自国の埋蔵量を3倍以上増加させたことが最大の要因である。
前項(3)で取り上げたようにOPECのベネズエラ、イラン、イラク3カ国と非OPECの米国、ブラジル2カ国は2000年以降2014年までいずれも埋蔵量が増加している。しかし両グループの性格は全く異なることを理解しなければならない。ベネズエラなどOPEC3カ国の埋蔵量は国威発揚と言う動機が働いて水増しされているものと推測されるが、政府が石油産業を独占しており水増しの有無を検証することは不可能である。
これに対して石油産業が完全に民間にゆだねられている米国、或いは国際石油企業との共同開発が一般的なブラジルのような国では埋蔵量を水増しすることはタブーである。何故ならもし水増しの事実が露見すれば当該石油企業は株主訴訟の危険に晒されるからである。かつてシェルが埋蔵量を大幅に下方修正して大問題となったが、私企業としては決算時に公表する埋蔵量は細心の注意を払った数値でなければならないのである。したがって米国やブラジルは経済性の原則に従い油価が高い状況下(2000~2014年)では探鉱が活発化し埋蔵量が増えるのに対して、油価の低い時期(2015年以降)は探鉱投資が低迷し埋蔵量が停滞または減少すると言えよう。
ただ一般論としては埋蔵量に常にあいまいさがつきまとうのは避けられない。本レポートで取り上げたBPの他にも米国エネルギー省(DOE)やOPECも各国別の埋蔵量を公表している。しかしいずれも少しずつ数値が異なる。埋蔵量そのものを科学的に検証することが困難であると同時にそれぞれの査定に(たとえ米国の政府機関と言えども)政治的判断が加わる。結局「埋蔵量」とは掴みどころの無いものとしか言いようがないのである。
(石油篇埋蔵量完)
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2018.6.19
前田 高行
BPが恒例の「BP Statistical Review of World Energy 2018」を発表した。以下は同レポートの中から石油に関する埋蔵量、生産量、消費量等のデータを抜粋して解説したものである。
1.世界の石油の埋蔵量と可採年数(続き)
(チャペス時代に意図的に埋蔵量を引き上げたベネズエラ!)
(3)8カ国の国別石油埋蔵量の推移(2000-2017年)
(図http://bpdatabase.maeda1.jp/1-1-G03.pdf 参照)
ここではOPEC加盟国のベネズエラ、サウジアラビア、イラン、イラク及びUAEの5カ国にロシア、米国、ブラジルを加えた計8カ国について2000年から2017年までの埋蔵量の推移を追ってみる。
ベネズエラは2017年末の埋蔵量が3,032億バレルであり世界で唯一3,000億バレルを超える埋蔵量を保有している。同国が世界一になったのは6年前の2010年からである。2000年当時の同国の埋蔵量は現在の4分の1の768億バレルにすぎず、サウジアラビアはもとよりイラン、イラク、UAEよりも少なかった。ところが同国は2007年に埋蔵量を994億バレルに引き上げると翌2008年にはさらに2倍弱の1,723億バレルとしたのである。そして続く2009年、2010年にも連続して大幅に引き上げ、それまで世界のトップであったサウジアラビアを抜き去り石油埋蔵量世界一の国となった。
しかし世界の石油関係者たちの中にはベネズエラの発表数値に疑問を持つ者が少なくない。埋蔵量の上方修正が2006年のチャベス大統領(当時)の再選以来顕著になっていることから、同大統領が国威発揚を狙って数値を意図的に水増ししている可能性が否定できないのである。埋蔵量が多いことは将来の増産余力があることを示しているため、ベネズエラがサウジアラビアなどの中東OPEC諸国に対抗し、さらには世界最大の石油消費国米国を牽制する意図もうかがわれるのである。しかしながらその後の油価の低迷及び経済の混乱により現在同国は財政破綻に直面しており、生産量が大幅に落ち込んでいる。このためベネズエラは埋蔵量世界一の産油国としての威力が失われ、OPEC内部での発言力も低下しているようである。
実はベネズエラのように国威発揚のため埋蔵量を引き挙げたOPEC産油国は他にもある。それは互いの対抗心から埋蔵量を競い合っているイランとイラクである。2000年末の埋蔵量はイラク1,125億バレル、イラン995億バレルであったが、2002年にはイランが1,307億バレルに上方修正しイラクを逆転した。その後2009年までその状態が続いたが、2010年にイランが再度上方修正し、イラクとの差を広げると、イラクは2011年に埋蔵量を見直し、結局2017年末の埋蔵量はイラン1,572億バレル、イラク1,486億バレルで両国の差は100億バレル未満となっている。
イラクはサダム政権の時代、そしてイランは核開発問題を巡り国際社会の経済制裁を受けていた時代は共に石油開発は殆ど進展しなかった。このような中で両国が度々埋蔵量を上方修正した理由は互いのライバル意識で順位を競い合ったからとしか説明がつかないのである。OPEC加盟国であるベネズエラ、イランおよびイラクの埋蔵量数値は信ぴょう性が疑わしいと言わざるを得ない。
これに対して同じOPEC加盟国でもサウジアラビアやUAEの公表値は全く変化していない。両国とも1990年末に改訂して以来現在まで埋蔵量は殆ど変化していない。2017年末の埋蔵量はサウジアラビアが2,662億バレル、UAEは978億バレルであり20年以上横ばい状態である。ただし横這いと言う意味は毎年、生産量を補う埋蔵量の追加があったことを意味している。例えばサウジアラビアの場合は1990年から2016年までの生産量は900~1,000万B/Dであり年率に換算すると33~37億バレルであるから、これと同量の埋蔵量が追加されてきたことになる。これは毎年超大型油田を発見しているのと同じことなのである。UAEについても同じことが言える。サウジアラビアもUAEも探鉱開発では古い歴史があり国内には石油のフロンティアと呼べる場所は殆ど見当たらない。にもかかわらず両国が埋蔵量を維持できた理由は、一つは既開発油田からの回収率をアップしたことであり、もう一つは既存油田の下の深部地層に新たな油田を発見したためである。
非OPECのロシア、米国及びブラジル3カ国の2000年末と2017年末を比較するとロシアは漸減傾向にあり、米国とブラジルは増加している。即ち2000年末の埋蔵量はロシア1,121億バレル、米国304億バレル、ブラジル85億バレルに対し、2017年のそれはロシア1,062億バレル、米国500億バレル、ブラジル128億バレルでありロシアは2000年当時よりわずかではあるが減少しており、一方、米国は1.6倍、ブラジルも1.5倍近い伸びである。特に米国の場合は2009年末までは横ばい状態を続け、2010年に350億バレルに上方修正され、以後2014年まで毎年大きく増加している。これはシェールオイルの開発が軌道に乗ったことが大きいと考えられる。
(続く)
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2018.6.18
前田 高行
BPが恒例の「BP Statistical Review of World Energy 2018」を発表した。以下は同レポートの中から石油に関する埋蔵量、生産量、消費量等のデータを抜粋して解説したものである。
1.世界の石油の埋蔵量と可採年数(続き)
2.1980年~2017年の埋蔵量と可採年数の推移
(図http://bpdatabase.maeda1.jp/1-1-G02.pdf 参照)
各年末の可採埋蔵量は、[ 前年末埋蔵量 + 新規発見(又は追加)埋蔵量 - 当年中の生産量]、の数式で表わされる。従って埋蔵量が停滞することは新規発見又は追加埋蔵量と当年の生産量が均衡状態にあることを示し、また可採年数が短くなることは石油資源が枯渇に近づいていることを示している。
(2011年以降埋蔵量は1.7兆バレルで頭打ち!)
(1)埋蔵量の推移
1980年以降世界の石油埋蔵量はほぼ一貫して増加してきた。1980年代後半に埋蔵量が大幅に増えたのは1979年の第二次オイルショックで石油価格が高騰したことにより80年代前半に石油開発に拍車がかかり、その成果が現れた結果だと考えられる。1990年代に入ると毎年の追加埋蔵量と生産量(=消費量)がほぼ均衡し、確認埋蔵量は横ばいの1兆バレルで推移した。2000年代前半には埋蔵量は1.3兆バレル台にアップし、後半は埋蔵量の増加に拍車がかかって、2008年から2010年末まで毎年1千億バレルずつ増加してきた。しかし2011年以降は1.7兆バレル前後で横ばい状態にある。
2000年代は中国、インドなど開発途上国の経済が拡大し、それにつれて石油需要がほぼ毎年増加している。それにもかかわらず各年末の埋蔵量が増加したのは石油価格が上昇して石油の探鉱開発のインセンティブが高まった結果、新規油田の発見(メキシコ湾、ブラジル沖、中央アジア等)のほか非在来型と呼ばれるシェール・オイルの開発或いは既開発油田の回収率向上により消費量を上回って埋蔵量が増加したためと考えられる。
過去37年間の埋蔵量の推移を俯瞰すると1980年代に増加した後、90年代は停滞、90年代末から2000年代前半に埋蔵量は再び増加し、2000年代半ばに一旦停滞した。そして2008年から2010年にかけて3度目の増勢を示した後、現在は3回目の停滞期に入っているようである。最近まで石油の需要及び価格が低迷、産油国および石油企業は油田の開発投資を大幅に抑制してきた。この間、米国ではシェール・オイルの開発が活発になっているが、石油の新規開発投資は価格及び需要に敏感であり短期的な生産抑制と生産増強のサイクルが繰り返されているため埋蔵量の増加には結び付いていないと考えられる。
2,010年に始まった埋蔵量の低迷はすでに長期にわたっており、過去の傾向を見ればそろそろ上昇に転ずる時期にあるとも考えられ、これは需要面で見ても中国、インドなどアジアの新興工業国を中心にエネルギー需要が増加していることから、産油国の石油開発にインセンティブが働き、埋蔵量の増加につながると推測される。但し環境問題を考慮すると、エネルギー源が石油から天然ガス或は再生可能エネルギーに転換することも考えられ、中長期的に石油埋蔵量がどの様に変化するか見通すことはかなり難しい。ただ、BP統計からは埋蔵量の増加と停滞のサイクルが短くなっていると言う事実を読み取ることができよう。
(昨年の可採年数は50.2年、問題含みの下落の兆候!)
(2) 可採年数の推移
可採年数(以下R/P)とは埋蔵量を同じ年の生産量で割った数値で、現在の生産水準があと何年続けられるかを示している。オイルショック直後の1980年は埋蔵量6,800億バレルに対し同年の生産量は6,300万B/D(年換算230億バレル)であり、R/Pはわずか30年にすぎなかった。しかし1990年代にはR/Pは40年台前半で推移し、1999年以後の10年間は40年台後半に伸び、2009年末のR/Pはついに50年を突破した。そして2017年末の埋蔵量は1兆7千億バレル(上記)に対し生産量は9,300万B/D(年換算338億バレル。なお生産量は次章で改めて詳述する)で、R/Pは50.2年である。
石油のR/Pは過去30年以上伸び続け、1980年の30年から2013年には54年へと飛躍している。この間に生産量は6,300万B/Dから8,700万B/Dへ40%近く増加しているのに対して埋蔵量は6,800億バレルから1兆7千億バレルと2.5倍に増えている。過去30年の間毎年7~9千万B/D(年換算約250~320億バレル)の石油を生産(消費)しながらもなお埋蔵量が2.5倍に増えているという事実は石油が地球上で次々と発見され(あるいは技術の進歩によって油田からの回収率が向上し)ていることを示しているのである。
かつて石油の生産が限度に達したとするオイル・ピーク論が声高に叫ばれ、石油資源の枯渇が懸念された時期があった。理論的には石油を含む地球上の炭化水素資源は有限である。しかし生産量を上回る新規埋蔵量の追加とそれによるR/Pの増加が示すように、現在の技術の進歩を考慮すると当面石油資源に不安は無いと言って間違いない。
現代における問題はむしろ人為的なリスクであろう。人為的なリスクとは例えばイラン問題に見られるような地政学的なリスクであり、或いは治安が不安定なベネズエラ、リビア、ナイジェリアのような産油国の国内リスク、さらには国際的な投機筋の暗躍による市場リスクなのである。
(続く)
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By Areha Kazuya
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Chapter 4: War and Peace in The Middle East
4-5(33) The war in Afghanistan: Bitter enemies in the same boat
After the era of brief peace and prosperity in the first half of the 1970s, the Middle East was suddenly rolled in by gun smoke in the latter half of 1970s. In 1978, the Communist regime was born in Afghanistan where sandwiched between Iran and Pakistan. Afghanistan has long been a crossroad of trade in the 19th century. Russian Empire had traditional policy of southward expansion aimed for the Indian Ocean from Central Asia. Meanwhile East India Company of British Empire which monopolized trade with Asian countries tried to secure a trade route from Oman to India. Both empires crashed. It was called "Great Game" and Afghanistan became multiple areas of conflict. In the early 1970s when the Afghan monarchy was falling down and the Communist party gripped the power with the support of USSR, USSR got a big opportunity to control the region.
However, Afghanistan, where was controlled by a traditional tribal society and a strong Islamic faith, has gained momentum for unti-government rebels rather than stability. The inferior central government called for reinforcements to the USSR. In spite of the opposition of the international community, USSR began military intervention in 1979. After that, for ten years until the troops of USSR withdrew, civil war in mire had continued in Afghanistan.
It was the "Mujahidin" that battled in the center of the rebels in civil war. Mujahidin means jihad (holy war) warrior of Islam in local language. For Mujahidin of Islam jihad, communism that advocated atheism was the incarnation of evil. Communism was much more difficult to accept than Christianity or Judaism.
Muslims believe that God of Christianity and Yahweh of Judaism are the same existence with Allah of Islam. For the Islam, one of the three major monotheism, Allah is the same as God and Yahweh, because the supreme existence is the only one Creator. Muslims believe that prophets written in the Old Testament was the first batch of the prophets. Jesus Christ was a prophet of the second from the last prophet. And Muhammad was the last prophet. Although the Christian believes that Jesus Christ was the Son of God. Muslims, however, understand that God had no child, so Jesus Christ was one of the prophets. Monotheists do not admit the religion which believes plural supreme, so-called polytheism. Therefore, they consider the polytheism of ancient Greek is a religion of evil. They might also think that Japanese traditional faith that there are eight million deities in natural world is a religion of barbarian. But monotheists can accept polytheists because polytheists themselves believe the supreme existence. They cannot accept atheism of communist society.
For Muslims, atheism is not only unable to understand but also the thought of devil. Mujahidin did fight against the communist government on behalf of Allah. Muslims in the Arab countries sympathized for the Mujahidin. Muslims in the oil-rich Gulf countries worshiped at the mosque for Afghanistan jihad fighters and then put money into the Zakat box when leaving mosque. Zakat means the donation and is a religious duty of Muslims. They were willing to donate. The donated money to back up the Afghan war could not be made public, so the money was laundered through several banks. Later donation for the war in the mosque and its money laundering transformed into a fund route for Islamic extremists. Governments of the Middle Eastern and the Western countries were silent or encouraged at the time、nevertheless they are plagued nowadays.
In the Afghan war the Arab countries supplied soldiers and money. While the United States supplied modern weapons and intelligent information via Pakistan. The information includes the deployment of USSR’s missile and army acquired by military satellites. They collaborated each other against the USSR socialist regime. The joint operation between Islam and Christianity, though historically being hostile relations, exactly looked like "Bitter enemies in the same boat".
The principles that both camps aimed to overthrow the USSR was completely different. The Arab camp had intense antipathy to communist atheism. The USSR was the Devil or Satan. Therefore, it was jihad (holy war) to defeat communism ideology. Arabs are implanted ethnicity and Islam religion. Arabs have no room for ideology. In contrast, the purpose of the United States to defeat the USSR was very clear. It was to hold the hegemony of the world order based on battle of ideology: Liberalism against Socialism, Capitalism against Communism. After the muddy Vietnamese War ended in 1975, the United States grabbed the world leadership at the advanced country Summit (G7) in the same year. For the United States, the USSR was the last enemy. The Afghan war was the forefront.
In the Afghan War, a large number of volunteer soldiers participated from Arab countries. Among them the biggest name was Usama bin Ladin of Saudi Arabia. There is no person who doesn’t know his name. Let review briefly his career how he became the terrorist.
Bin Ladin was born in Jeddah in Saudi Arabia in 1957. His father was origin of Yemen and in youngster he moved to Jeddah just near Holy City Makkah. He stepped up from peddler on the street, and then got the favor of Abdul Aziz Al-Saud, first king of Saudi Arabia. When Usama bin Ladin was born in 1957, his father was already the owner of the biggest construction conglomerate in the country. He got married with many women and Bin Ladin was his 17th son. At the age of 11 Usama lost his father by airplane crush, and he received a legacy of 300 million dollars. He then entered Islamic Seminary (Madrasa) and devoted himself to extreme Islamic fundamentalism. When he was 22 years old he went to Afghanistan as a volunteer soldier. Many madrassas were built in Afghanistan with financial aid by Saudi Arabia, and Mujahideen (jihad fighters) were brainwashed by the Islamic fundamentalist idea. It was a matter of course that Usama immediately came to the top of foreign volunteer soldiers because he had 300 million dollars.
The USSR were gradually driven into a corner and finally withdrew in 1988. The Arab-Muslim countries won the religious war against atheism and the United States won the ideological war against socialism. The Afghan war brought about the collapse of the USSR. In the United States, religious sociologist Professor Francis Fukuyama wrote "The end of History and the Last Man". The era of America First emerged and the illusion has been created as if an eternal world peace would be realized.
However, Afghan War also had a negative aspect to make many problems hidden in the shadows of history come to the surface. The United States forced Middle East countries to liberalize and democratize politics. It was a pressing of Western ideology. But behind ideology, there were Evangelicalism of Christianity and Neo-Conservatism in ideology.
Meanwhile, in the Islamic countries, the Iranian revolution broke out in 1979. Religious politics by Shiite leader Ayatollah Khomeini generated a conflict with the Sunni Arab countries and resulted in the Iran-Iraq war. Furthermore, secularism and fundamentalism crashed inside the Sunni Arab countries. In addition, terrorism by extremist spread inside of the fundamentalism. Chaotic confusion had appeared.
(To be continued ----)
6/11 Total Algeria - extension of the TFT gas field license
https://www.total.com/en/media/news/press-releases/algeria-extension-tft-gas-field-license
6/12 JOGMEC 平成30年度「海外石油天然ガス動向ブリーフィング第3回(月例)」の開催
http://www.jogmec.go.jp/news/event/event_k_10_000067.html
6/13 BP BP Statistical Review of World Energy 2018: Two steps forward, one step back *
https://www.bp.com/en/global/corporate/media/press-releases/bp-statistical-review-of-world-energy-2018.html
6/14 出光興産 物流コスト上昇による潤滑油販売価格の改定について
http://www.idemitsu.co.jp/company/news/2018/180614.html
*「BPエネルギー統計2018年版解説シリーズ」連載中。
2017年以前の解説は下記をご覧ください。
http://mylibrary.maeda1.jp/BPstatistics.html
(注)本レポートは「マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。
http://mylibrary.maeda1.jp/0446BpOil2018.pdf
2017.6.15
前田 高行
BPが恒例の「BP Statistical Review of World Energy 2018」を発表した。以下は同レポートの中から石油に関する埋蔵量、生産量、消費量等のデータを抜粋して解説したものである。
*BPホームページ:
http://www.bp.com/en/global/corporate/energy-economics/statistical-review-of-world-energy.html
1.世界の石油の埋蔵量と可採年数
(断トツの埋蔵量を誇るベネズエラとサウジアラビア、両国で世界の3分の1!)
(1) 2017年末の埋蔵量
(図http://bpdatabase.maeda1.jp/1-1-G01.pdf 参照)
(表http://bpdatabase.maeda1.jp/1-1-T01.pdf 参照)
2017年末の世界の石油確認可採埋蔵量(以下単に「埋蔵量」と言う)は1兆7千億バレル(1バレル=159リットル)である。埋蔵量を地域別に見ると、中東が全世界の埋蔵量の48%を占めている。これに次ぐのが中南米の19%であり、以下北米13%、ロシア・中央アジア9%、アフリカ7%、アジア・大洋州3%及び欧州1%である。世界の石油の約半分は中東地域に存在しているのである。なお昨年までの埋蔵量の地域区分はEurope & Eurasiaが一体化されていたが、今回はEuropeとCISに分けられたため日本語表記は「欧州」及び「ロシア・中央アジア」とした。
次に国別に見ると、世界で最も埋蔵量が多いのはベネズエラの3,032億バレルで世界全体の18%を占めており、第二位はサウジアラビア (2,662億バレル、16%)である。ベネズエラは2005年のBP統計では世界6位の772億バレルに留まっていたが、2009年統計では1,723億バレルに急増し、2011年以降は現在のような数値に置き換わっている。このような埋蔵量の急激な増加はチャベス元大統領の在任時の政府発表によるものであり国家の威信を示すための政治的要素が強いが、BPは同国にオリノコベルトと呼ばれる非在来型の重質油が2,200億バレルあると脚注している。オリノコベルト原油はこれまで商業生産の方法が確立できず、石油業界では重視されていなかった。しかし同じ非在来型のシェールオイルやオイルサンドが米国、カナダで急速に市場での存在感を高めている。従ってベネズエラの石油産業で若し欧米の先端石油開発生産技術が応用されるようになればオリノコベルト原油が市場に登場するのも遠い将来ではないと思われる。
BP統計上で埋蔵量が1千億バレルを超える国はベネズエラ、サウジアラビアのほかカナダ(1,689億バレル、10%)、イラン(1,572億バレル、9%)、イラク(1,488億バレル、9%)、ロシア(1,062億バレル、6%)及びクウェイト(1,015億バレル、6%)の7カ国である。これら7カ国のうちサウジアラビア、イラン、イラク及びクウェイトの4カ国はペルシャ(アラビア)湾岸の国である。
以下8位から10位まではUAE(978億バレル)、米国(500億バレル)およびリビア(484億バレル)である。米国は2014年以降4年連続でベストテンに入っている。シェールオイルの相次ぐ発見と開発の結果である。
なお世界上位10カ国のシェアの合計は87%に達し、石油が一部の国に偏在していることがわかる。因みにOPECの合計埋蔵量は1兆2,188億バレル、世界全体の72%を占めている。「生産量」の項で触れるが、OPECの生産量シェアは埋蔵量のシェアよりかなり低い。これは生産余力或いは潜在的な生産能力が大きいことを示しておりOPEC諸国の存在感は大きいと言えよう。
(続く)
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