たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

心に残る思い出の山 甲武信ヶ岳(2475)

2020年12月04日 | 心に残る思い出の山

H10.8  (1日目…5時間48分  2日目・・・6時間02分)

今年は異常気象で8月も半ばと言うのに梅雨前線が停滞し毎日じとじと、じめじめした天気が続いている。気象庁はとうとう梅雨明け宣言はしないと発表した。  本来は飯豊連峰を登る予定でいたのだが新潟、福島は大雨に見舞われ床下浸水の被害が出ているとの事で断念・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・

毛木平登山口を7時35分出発 

息継ぎの要らない穏やかなカラマツ林の道、時折り聞こえる鳥の声、添う様に流れる川は生まれたての千曲川。 その間には小滝あり滑滝ありと、とても良い環境が続く。

10時半、千曲川源流に着いた。岩間から一滴一滴と滴り落ちている事を想像していたが意外にもチョロチョロと音を立てて流れる小川の様だ。        「ヒェー、冷テー」雄さんが脳天から声を発した。 この水が里に下り千曲川となり更には信濃川となって日本海までの長い旅をするのである。  ここから登山道はいよいよ雷光形の急登に変わり200mの標高差を登り上げて初めて待望の甲武信ヶ岳が仰がれた。

途中のザレ場で「富士山」と叫ぶ雄さんの声に立ち止まり指差す方角を追うと霊峰富士山、ひとしきり眺めてから右に目を転じると朝日岳と、すぐそれと判る金峰山、その横に意外とこじんまりと瑞牆山、奥には甲斐駒ケ岳から鋸山に続く稜線。その右の大きな塊は雲を被ってはいるが間違いなく八ヶ岳、その前に男山・天狗山も見える。山頂はもう目の前だがこの素晴らしい展望は私達の足を釘づけにして離さない。

11時35分、山頂着。先ほどより幾分、薄れた360度のパノラマであるが、それでも未だまだ言葉に尽くせない素晴らしい展望だ。

(山梨、埼玉、長野の三県を跨ぐ標柱)  

燦々と降り注ぐ陽光、乾いた空気、時折り流れる冷気、何時の間にか私はベンチに横になりまどろむ。雄さんは勿体なくて寝てなんかいられないと周囲の景色に目を向けたまま飽くことなく眺めていた。・・・・・・・(略)・・・・・・・

露岩の尾根を進むと明日の登り返しが、さぞかしキツイだろうなと思う程、下方の緑の中に甲武信小屋は埋まっていた。13時20分、甲武信小屋到着。最初に迎えてくれたのは気怠そうに顎を土につけ目だけをこちらに向ける老いたセントバーナード犬だった。

小屋の近くにあるヤナギランは今が盛り。小屋主の徳さんは朝、陽が射した時が一番美しいと言っていた。

美人の奥さんは力持ち。未だ乾いていない丸太を背負子に括りつけ、どこまで運ぶのだろう。 雄さんは途中で拾った杖代わりの枝に細工を施そうと夢中だ。最初はコブラを彫りたかったらしいが彫って行く内、トーテンポールの様になってしまって苦笑い。小屋主の徳さんが興味深そうに眺めている。 

食後、外へ出るとベンチに座っていた徳さん「一緒に一杯やらないか」と雄さんを誘う。小屋内では奥秩父の四季のビデオが流れていたが、お酒大好きな雄さん、にこにこして徳さんの隣りに腰掛けお相伴に預かった。言葉はぶっきらぼうだが髭の奥に人の良さが感じられる徳さんだった。

今宵の宿泊者は15名、テント組は全て単独登山者の4張り。早立ちする人も無く静かで気持ち良く寝られると思っていたのに3時頃、雄さんの隣に寝ていた男性の長い寝言に起こされてしまった。

「朝焼けが凄いぞ」と呼びに来た声に目を覚まし窓に目を向けると東の空は既に真っ赤だった。山並みを雲海が埋め尽くす中、今までの紅さが薄らぐと4時55分、徳さんが言っていた時間ピッタリに太陽が頭をもたげた。緊張が走り気持ちが昂る瞬間だ。そして徐々に丸い輪郭を歪めながら奥秩父の朝はゆっくり明けた。     続きますのでコメント欄はお休みです。

コメント
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