深田久弥と言う名前は知らなくても日本百名山と言う言葉を一度は耳にした事が有るかと思います。今回は久弥氏が登山途中、亡くなられた終焉の山「茅ヶ岳」を取り上げて見ました。
琴錦、平幕優勝に沸いた日の登山記です
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歩行5時間20分 休憩2時間10分 (所要7時間30分)
雪の中の走行、清里を過ぎ高根町に入ると今までの雪が嘘の様に消えた。深田公園に出来た広い駐車場を見て更に奥に入り登山口の一寸した広場に車を停めた。綺麗な星空だった。 翌朝、目を覚ますと何時来たのか数台、車が停まり既にもぬけの殻だった。
ピンと張りつめた空気の中、ザクザク音を立てながら霜柱を踏み数分行くとススキの枯れ穂が覆う平坦地に人が住んでいたと思える人家が今は荒れ果てた姿で数軒みられた。嘗て女岩から豊富に流れ出ていた生活を潤す水も今は、ごく僅かになってしまった為、離村せざるを得なかったのか事情のほどは解らないが人のぬくもりの消えた家と言うのは物寂しく切ない想いがする。
工事中の林道を越え幅広い道が狭まる頃、登山道や木々に白いものが目立ち始めた。初めは霜かなと思っていたが進むにつれ白さが増し女岩に着いた時には一面、白銀の世界と化した。
晩秋から一気に冬を迎えた登山道だが柔らかな日差し、殆ど無風の穏やかな登りなので、この変化がむしろ楽しい。 ザックを担いだまま岩肌を流れ落ちる水を手に受けて飲んでみた。柔らかい水だった。
穏やかだった登りも女岩を過ぎると終わり、時々スノーシャワーの洗礼を受けながら積雪10㎝を急登する。周辺は木の枝に雪が付き花が咲いた様だ。 後方には早くも富士山が全姿を現した。
女岩から30分、稜線に登りあげると富士は勿論、丹沢から奥多摩、奥秩父の主稜線が一気に広がり、、それは登るごとに増々雄大さを深め、特に薄っすらと新雪を抱いた金峰山が圧巻で私達は頂上間近で何度も何度も足を止めては眺めていた。
深田久弥氏の終焉の地はそうした稜線上に在った。病名、脳溢血 1971年3月21日11時22分(慰霊碑に刻まれている)深田氏はここで突然、倒れ意識を失ったまま帰らぬ人になってしまったのだ。享年68歳。 深田氏の最後の百名山「茅ヶ岳」は此処から岩を登って10分の距離である。
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