鏑川に白鳥が飛来したとの事で山名(やまな)を訪れました。目的の飛来地が判らずあちこち道を聞き聞き訪れる途中、七輿山古墳の脇に出ましたので、ちょっと寄り道です。
この古墳が作られたのは6世紀前半、全国3位の規模を誇ります。伝説では多胡羊太夫の女房ら7人が自害し輿に乗せ葬った事から七輿山と言う名前が付けられた様ですが、ただ多胡碑によりますと多胡郡任命は8世紀と有りますから、この説にはズレが在りますね。
何れにしても、この地に勢力を持った豪族が居た事は事実の様です。
浅間山を望む長閑な山村、斜面には葉を落した桜が何本も見られますから、その頃 もう一度訪れ近くの大小の古墳群と併せてハイキングと言うのも良いかもしれませんね。
雄さんは直接、登りましたが私は回り込んで西から登ります。そこで目にしたのは・・・
首の無い石仏でした。中央の釈迦如来を始め脇侍の普賢?文殊?菩薩の首も無く無惨な姿を晒しています。これは一体どうした事なのでしょう。
坂を下りますと500羅漢が並んでおりましたが良く見ればこの羅漢様たちの首も落されこの一角を異様な空気が包み込んでいる様でした。
この事は気になりましたので帰宅してから調べてみますと際の廃仏毀釈のあおりで明治維新の悉く首を落されたと言う事でした。 神道を国民に浸透させるのが目的ならば神仏分離で十分だったのではないでしょうかねぇ。落された頭部は何処へ行ってしまったのでしょう。
6体の地蔵を透かして見える丘陵地も古墳の様で現在、周辺整備が進められておりました。
「七輿山・宗永寺」の境内には5世紀頃の舟形石棺が置かれておりましたが、これは歴代住職の墓が在る寺の裏山から発掘されたものだそうです。
寺を辞しほんの少し車を走らせた所に小さな池が在りそこに一羽のシラサギが羽を休めておりました。車道脇なので車には慣れているのか物怖じもせず悠然と水面を見つめておりました。
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