たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

紀伊半島の旅(14)  日本一の棚田 丸山千枚田

2016年04月21日 | 

こんな棚田、初めて見ました

圧倒的な規模です

この棚田の存在はブログ仲間のどらさんが教えて下さいました






アチコチを観光して、ここに着いたのは陽も暮れかかる17時でした

対向車が来たら擦違いに苦労しそうな狭い林道を奥へ奥へと上がって行きます

ここは三重県熊野町

途中、車が3台ほど駐車できそうな場所が有り、そこからは棚田を一望する事が出来ます

長い時を費やして築き上げた一枚一枚

それはまるでマチュピチを彷彿する光景にも映りました






時間の経過と共に光と影が顕著になり

時に薄ぼんやりと時にクッキリと表情は刻々と変わります




ここには1340枚を数える田んぼが有るそうです

ただ美観に酔いしれているだけの私達には想像すらつかない

田起こし、代かき、田植え等々の作業行程を経て実りの秋を迎えるのでしょうが

耕運機も無かった時代は馬の手を借りた気の遠くなる様な作業だったはずです</di
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大分、陽が傾きました

棚田を長年、見守り続けてきた丸山神社も柔らかな光に包まれます










見渡せど人の姿は何処にも有りません

田の一つ一つの陰影だけが、うごめいているかの様な広大な斜面です

『もう、訪れる事も無いと思う千枚田、それでも再び来る機会が有るならば

遥か下方に見える集落まで歩き土地の人に触れてみたい・・・』

そんな事を思いながら佇んでいる内に陽は山に隠れ肌に当たる空気もひんやりして来ました

今夜、泊まる道の駅「紀伊長島マンボウ」までは結構な道のり

途中、夕食をすませ到着した時には8時半を回っておりました

どらさん、お蔭様で素晴らしい棚田を心行くまで堪能する事ができました

本当に本当に有難うございました


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紀伊半島の旅(13)  浮島の森~花の窟 そして間抜けな私

2016年04月19日 | 
続き


いきなり新宮警察署

事件が起きました

高価な真珠を失くしてしまった?

いえいえ勝浦は通過しましたので購入しておりません

では此処で近く開かれるサミットの警戒で不審者と勘違いされた?

有り得そうですが開かれるのは伊勢の賢島ですし未だ警戒態勢には入っておりません

実は

新宮市に入った所で「浮島の森」「徐福の墓」という案内板に目を止め行ってみようと言う事になったのです

丁度昼時でしたので先ずは食堂を探しました

最初、暖簾を潜ったお店は注文の物が出来ないと言うので次の店へ

それ程お腹も空いていませんでしたのでウドンを注文し・・・それが、とても美味しかった・・・

気分よく食べ終える頃、ふとスマホが頭を過りました

「おや?スマホ・・・きっと車に置いて来ちゃったんだわ」

        


ところが車の中を探しても何処にも有りません

その時に諦めていた眼鏡が座席の下に・・・

ドアを閉めた振動で落ちてしまった様です

こんな所に有ったんだとホッとしましたが本命は眼鏡じゃないスマホ

食堂へ戻りましたが、やはり有りません

お店の方がベルを鳴らして下さいましたが空しくなり続けるばかり

どらさんとの打ち合わせも有りますし困った事になってしまいました

大涯西郎 「大門坂の休憩舎に置いて来たのではないか」

御徒棉子 「そうなのかしらね」

大涯西郎 「とにかく行ってみよう」

御徒棉子 「スイマセン」

当然、雄さん呆れ顔です

   ←  ←  ←  ← 

やはり有りませんでした

休憩舎に一人の男性が休んでおりましたので事情を話しベルを鳴らして頂くと

電話に出たのは新宮警察署の遺失物係りの女性の声でした

話から推察しますと、どうやら新宮で食堂を探す為に車から降りた時に落としてしまった様です

膝の上にでも置いていたのでしょうかね

拾って下さった方は名前を名乗らず近くに居た保育園の保母さんに託したと言う事でした

ともかく手元に戻りました




新規、まき直し

気まずい雰囲気から解放されれば立ち直りも早い、浮島の森にレッツゴー

どんな所かと言いますと市街地の真ん中に沼地が有り其処に島が浮いています

太古から有った沼に風倒木や腐葉土が堆積し下層のメタンガス等によって浮動しているのだそうです

当然、水嵩が増せば島も浮き強風によっては移動もするのだとか




まるでジャングルを探検する気分で森に分け入りますと

蛇性の婬と言う恐ろしげな底なし沼が口を開けていました

落ちたら本当に浮き上がれず大蛇の餌食になってしまうのでしょうか、クワバラ・クワバラ


薄暗い密生する木々の中

ワシの眠りを妨げる者は誰じゃ

視線を感じて目を凝らすと一匹の猫が片目だけを開けて睨んでいます

マッタクゥ、驚かさないで! こちらの方が睨みたい位だワヨ

この後、丸山千枚田に行く予定に入っていますので徐福の墓はパスし国道に戻って北上します

さて、ナビに頼れない千枚田

尋ね尋ね進みますと世界遺産花の窟と言う看板が

目に留まれば寄らない訳にはいかないでしょう




鳥居を潜りますと別世界に来た様な静けさに包まれ何処かヒンヤリした空気が漂う参道でした






不意に覆い被さる様な巨大な岩壁が行く手を遮る様に立ちはだかりました

この時は下調べもないまま訪れましたので

此処がイザナミノミコトの御陵で有る事は知らず、ただの物見遊山でしたが

後に調べたところによりますと

ここは日本書紀にも記されている国生みの舞台で日本最古の神社なのだそうです

神々の母であるイザナミノミコトがカチツグノミコトを産んだ直後

灼かれてなくなってしまった為、葬られたのがこの場所であり

近くには逆上した父に殺されたカチツグノミコトの墓も有った様ですが、それは確認できませんでした

とにかく高さ役50m、幅80mの大岩はカメラに納まりきれません

岩の上部を拡大しますとイザナミとカチツグが仲良く並んでいる様に見えなくも有りません

後にどらさん言うに「花の窟は大好きな場所で何度も訪れている、宇宙が感じられるんです」と

仰っていましたが前もって此処が何であるか分かっての見学で有れば

私もそう感じたのでしょうか




私にパワーを授けたまえ

ゲンキンなものですね、急に力が漲り鼻歌が・・・


ここでもう一度、丸山千枚田の場所を聞き山里遠い丸山に向かったのでした

続く


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紀伊半島の旅(12) 熊野古道を歩き熊野那智大社と那智の滝へ

2016年04月17日 | 
突然襲った熊本・大分の地震

友人は無事との事で安心しましたが

ニュースによれば日ごとに犠牲者の数が増えています

心を痛めながらもただ画像をみているだけで何も出来ないでいる歯痒さ

ただ、一日も早く終息する事を願うばかりです

どうか一日も早く日常が戻ります様に

    

恵比寿やさんで支払いを済ませ国道へ出た所で化粧道具のバックを置いて来てしまった事に気付きます

大慌てで引き返しますと

「那智大社へお出でになると仰っていましたので追いかけようかと思っていたところでした」

わ~、女将さんに心配かけてしまった

全く私って・・・

      

ここ那智勝浦は今、読んでいる小説に出てくる補陀落渡海が嘗て行われていた所

それを探るには宮海岸に行かねばなりませんが

水平線の彼方に極楽浄土が有るという他界観念から

生きたまま僧侶を船に乗せ海の彼方の浄土に送り出すと言う

そんな小説です

寺には10人の渡海上人の墓が並んでいるそうです


昨日の雨も上がり今日はスッキリと晴れました

那智大社は上まで車で行けますが、それでは余りにも夫須美神様に失礼です

昔の熊野詣での苦労を少しだけでも体験しようと

大門坂に有る大駐車場に車を置き熊野古道を歩く事にしました




長閑な風景が緊張を和らげてくれます


世界的な博物学者で有り生物学者でも知られる南方熊楠が宿泊したという旅館や

貸衣装やさんを左に見て鳥居を潜れば其処は熊野古道、大門坂の登りが始まります


古道に入ってすぐ石段を挟む様に立つのは夫婦杉

幹回り8・5m  樹高55m  樹齢800年という老杉です




院政時代の貴族たちが好んで通った道は江戸時代になると庶民もこぞって参詣する様になり

その様は蟻の行列の様だったそうです

昔は一日がかりで漸く辿り着ける距離も

今は車道が上まで延びていますので何の苦もなくお参りが出来ますし

大門坂駐車場からにしても僅か1時間の距離でしか有りません


この巨木もかなりの古木ですね

説明版によりますと幹回り8・57m  樹高30m 樹齢600年の大楠だそうです


昔も今も変わらない通行税



  

朱塗りの鳥居を潜って一登りで社殿に到着しました

色鮮やかな朱が眩しすぎる社殿です

社殿の前に有る巨木は幹回り18・5m 樹高27メートル 樹齢850年の樟の木

根幹部は空洞になっており、そのまま階段を使って一段上の社まで行ける様になっていました

ですが真っ暗です

  


  

上は那智大社本殿と熊野で採れる石で作った土産用の念珠、この外に硯も売られておりました

下は那智大社と隣接して建つ青岸渡寺

西国33所霊場・第一番札所らしい落ち着いた佇まいです


見えましたね

三重の塔越しに一本の白線の様

案内書には元々那智の大滝を信仰する自然崇拝に始まり

4世紀、仁徳天皇の頃ここに社殿を構えたのだと書かれておりました


これは、おまけ  ミツマタが余りに綺麗だったものでして

やはり滝は側で見たいですね

一旦、車道に下りて歩きづらい石の階段をドンドン下ります




見た目は歩き良さそうな石段ですが実際はバランスをとるのが難しく

私はとうとう膝が笑い出してしまいました

私も背負って~~~

と言ったらバカ言うんじゃないと言われそう










真に優美ですね

美人の羅衣を着て立ちたる如きなり

江戸後期の医学者、橘南谿はそう感想を述べたそうですが

言う事なし・・・それで十分ですね

続く


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閑話休題(その4) 上田城~小諸懐古園

2016年04月15日 | アウトドア
4月12日 (火)

ウオーキングの会で上田城と小諸懐古園へ出かけた

最近はウオーキングと言うより名所廻りが主になってしまっている

月に一回の事なので何処へ行こうと良いのだが私としては、やはり歩きたい




先ずは上田城です

前日の春の嵐で桜も大方、散ってしまいましたが それでも未だまだかなりの人出でした




無情な嵐に落された花びらが地上で返り咲きました

お堀の水面のだんだら模様もいいものですね




上田城は全国に名を馳せております真田家の居城

天守閣は現存しておりませんが当時の権勢を偲ぶものとして「真田石」が残されております

お分かりでしょうか、虎口櫓門の石垣(白い立て看板が立つ所)に用いた大きな石が真田石です

  ←  ←  ←  ←  

次は真田の里を訪れる予定でしたが運転手さんの思い込みから、ことごとくナビに逆らって運転を続けた為

気付いた時には遅し 真田の里からは、かなり遠ざかっていたのでした

こんな時って「ナビ通りに行けば良いのに・・・」なんてなかなか口だし出来ないものですね

後ろから着いて来るもう一台も、さぞや面喰いながら付いて来たのではないでしょうか

と、言う訳で小諸懐古園に急遽変更


上田城址もそうですがここ小諸懐古園へ来たのは遥か昔でした

おぼろげに覚えている大手門は今に見ればなかなか質実剛健な構え

そこに掲げられた大額の「懐古園」は16代当主「徳川家達公」の直筆だそうです

そしてこの城が日本百名城に選ばれたのは全国でも珍しい穴城で有る事によります

城下町より低い窪地に建てられているのです


敷地内では弓道場が設けられ颯爽と弓を引く姿が

私も叔父が健在の時、叔父の指導で一時やっておりましたので

やはり、こんな場面には足が止まってしまいす


取り敢えず女性だけで記念の写真を撮りましょうね ♪


この大木は樹齢500年、幹回り6・5mの欅です

さぁ 上を向いて歩こう・・・高さも凄いね

何故、ここに上を向いて歩こうを取り上げたかと言いますと

永六輔氏が小諸に疎開した時に悲しみから立ち上がる為に

作られたのがこの歌で有りこの地なのだそうです

坂本九さんによって一世を風靡した歌ですが此処で作られたとは初耳でした






見頃の桜を愛で野づら積みの石垣に遠き時代に想いを馳せ

高台から見渡せばこの城を洪水で沈めた千曲川がゆったりと弧を描いて流れていました


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紀伊半島の旅(11) 本州最南端~大島~橋杭岩

2016年04月13日 | 
続き

雨は未だ降り続いています

どうやら今日は一日、振り続けるのかもしれません




(大涯西郎、最南端に立つ)



(直ぐ下のクレ崎と呼ばれる岩が最南端)

雨水をタップリ含んだ芝の上はジュブジュブとし場所を選ばないと靴を濡らします

数台の観光バスが見られましたが其処を歩いているのは二人の男性の姿のみ

ヒッソリと静まり返っていました

本州最南端に立ち左程の感慨が湧かないのは多分、降りしきる雨のせいでしょうか

きっと、芝の上に腰を下ろし水平線を眺めながら風や波の音に耳を傾けた時こそ

ひしひしと潮岬旅情は胸に迫ってくるのかもしれません



  

有料の潮岬灯台は写真だけに留め此処には不釣り合いな串本タワーで昼食をとり

次の目的地へ向かいました

雄さんが注文した「メガ丼」と言うどんぶりもの、名の通りボリューム感が凄いでしょう

お味は???

メガとは魚の名前?と思っていましたら、デッカイと言う単位を表すメガだったんですね




下の写真は真珠の養殖でしょうか

右に橋の架かる島が見えています

地図を開きますとその島は串本節で知られる大島でした

♪ 此処は串本 向かいは大島 中を取り持つ巡航船

昔はこの様に巡航船が本州と島とを繋ぐ唯一の交通網だった訳ですが

今は立派な橋ができ難なく行き来が出来る様になったわけですね


先ず私達はトルコ記念館を訪れてみました

難破したトルコ軍艦エルトゥールル号を日本の漁船が救助に向かった史実は余りにも有名な海難事故ですが

その舞台がここ大島の熊野灘であった事は恥ずかしながら私達は知りませんでした

明治23年(1890)9月16日の夜の事です

中は撮影が禁止されていましたが、その時に殉職した587人(生存者は69名)の遺品や

エルトゥールル号の模型や写真などが数多く展示されておりました

こうしてトルコと日本の友好の絆は生まれた訳なんですね


二枚目の写真は小窓からコッソリ写した海難事故現場で昔から海の難所として知られた場所だそうです


「海難1890」が近年、トルコ、日本の合作で映画化され

その時に用いた品々が記念館の近くに残されていました

これからもトルコと日本の友好は続いて行く事でしょう

島内に海金剛という名勝地が有ると聞き行ってみる事にしました


海金剛への駐車場に建つ奇抜な建物は日米修好記念館です

案内板には2隻のアメリカ商船がここ「前の浜」に寄港した事が記されていました

すなわち黒船来航の62年前に日米間との接触は有ったのだそうです




椿のトンネルを潜り左に日本最古と言われる雨に煙る樫野崎灯台を見ながら先端部分を目指しますと

木々が途切れた場所から思いもかけない絶景が広がりました



朝鮮半島の金剛山(私、登りました)から、その名をとった鋭く切り立った三角形の岩礁

パンフレットを見ますと

この荒々しい景観はマグマから出来た岩が太平洋の荒波によって削られて出来たと書かれていました

海が荒れた時などは凄い迫力なのでしょうね


ここの島のあちらこちらで柑橘類が多く見られます

こんな景色を目にしますと頭に浮かぶのは蜜柑で財をなし後に材木で巨万の富を得た<fon</font>

紀伊国屋文左衛門その人物でしょうか


串本と大島を結ぶ串本大橋を渡り次は楽しみにしている橋杭岩へ向かいます


橋杭岩は旅に出る前から絶対に見逃せない場所でした

石英粗面岩という大小43の海食奇岩が屹立する写真を観た時に

自然の造形の見事さに身震いするほどの感動を覚えたものでした

実際、林立する岩を前に立って見ますと自然の成せる技に驚嘆する心の裏に

何処か人工物を並べた展示会場の様にも見えてくるのは

余りにも規則正しく整列しているせいでしょうか






岩の一つ一つを眺めていますと色々な形に見えてくるのも面白いですね

教を唱える僧に従い背中を丸めて頭を垂れる尼や弟子たち

そうした像を清める様に時折り白波が立つ様は壮観な光景でした






今日は街の宿泊案内所へ出向き民宿「恵比寿屋」さんを紹介して頂き

久し振りにユッタリした夜を迎えました

一枚目の写真は「いいですね、私は和歌山以外、出た事がないんですよ」と話す案内所のご主人

商売柄なのでしょうが低姿勢で有り話し上手な方でした

紹介された民宿は擦れ違いは絶対できそうにない路地を奥へ入った場所でした

迎えにでた女将さんを見て「大丈夫かなぁ」と雄さん

しかし出された心の籠った食事を見、一変で印象を変えた様子

「これ、女将さんが一人で作ったんですか?とても美味しいです」

普段あまり世事を言わない雄さんですが不自由な足にも関わらず

一生懸命な姿が心を打ったのでしょう

雄さんは気に入らないと、ズバリ言ってしまうタイプなので私は神経を使うのです

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