たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

北陸・近畿の旅 「竹田城」

2019年11月20日 | 

4日目 (4)

 

竹田城への道は自家用車乗り入れが禁じられておりますので私達は中腹までタクシー利用で向かいました

しかし車両乗り入れ可能な地点からは徒歩で向かわねばなりません

袖擦り合うも多少の縁

車を使わずに駐車場から歩いて来たと言うご夫婦と道連れです

 料金所を過ぎますと勾配が増しいよいよ登城です

海抜354m  日本のマチュピチュと称される竹田城址

南北約400m、東西約100m

先ず登りあげた所が北千畳と呼ばれる嘗て大手門が設けられていた場所です

北千畳から東西方向を眺めれば

南千畳 花屋敷の各曲輪に護られる様に本丸石垣が一段と高く権力を誇示している様に見えました

『「天空の城」と騒がれ始めたのはそう古くはないのです。円山川を挟んだ朝来山の中腹に在る立雲峡は

桜の名所で偶々桜を写しに行っていたカメラマンが霧の中に浮かぶ城跡を撮影し

世に広めた事で一躍、注目される様になったのです』 係員の方がそう説明して下さいました

 

 

 

 私達ははやる気持ちを押さえて本丸跡へと向かいます

永禄3年から約170年間の長きに渡り竹田城は、その威容を誇っていたのですね

ただ暫くは石垣が無く盛土の上に城は建てられ石垣が築かれたのは大分、後の事だそうです

 

 

 

 本丸跡付近から眺めた南千畳

丹波の守護大名・山名氏の最前基地として築城された竹田城は関ヶ原の戦いで陥落した

闘いの歴史を秘めていたとは思えない優美ささえ感じられる雰囲気が見られました

何処から眺めても本丸は貫録十分です

(花屋敷が現在 立ち入り禁止)

 

石垣の向こうには竹田の城下町や山並みが広がっていました

3000の兵がこの谷を通り攻め入り戦闘が繰り広げられたとは思えない長閑さです

 

 どの角度から見ても、やはり平和そのものの景色です

ここで繰り広げられた戦いが有った事など全く想像せ出来ませんよね

 

暗く急勾配の退場口をひたすら下って城跡を後に致します

登りでヨレヨレになってしまった同行したご主人は下りに強とみえて、くみるみる姿が見えなくなりました

 この石は築城以来ビクともせず此処に留まっているそうです

 最近では受験生の間で合格祈願に訪れる者が多いのだとか

 

帰りはバス・タクシーを使わずに駐車場まで歩く事に致しました

振り返れば竹田城址は既に高くやがて来る宵に沈もうとしています



 

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北陸の旅 「皿ソバの城下町 出石」

2019年11月18日 | 

4日目 (3)

 

出石と言えば皿ソバ

時刻はちょうど12時です

国道沿いに有った一日200円(缶の中に勝手に入れるだけ)の駐車場に車を預け

最初に目についた五万石屋さんで昼食としました

この小皿に少しずつ盛り付けた独特のこのお蕎麦  のど越しよく歯ごたえ十分

旅に出る前から密かに楽しみにしていたのが出石の皿ソバだったのです

そもそも、この皿ソバが何故、出石の名物になったか

宝永3年(1706)の国替えの際、新しい出石藩主が信州から

蕎麦職人を連れてきた事がはじまりなのだそうです

ふと壁に目をやりますと隣り町で生まれたと言う登山家・植村直己さんの写真と色紙が掛けられておりました

このお店がお気に入りだった様ですね

右の建物は芝居小屋永楽館です

 

   

                   化粧部屋                       講釈師 見て来た様な嘘を付き・・・・・・・・・

 

   

明治34年に開館したこの芝居小屋は

今年の春、訪れた四国の内子座と同じく出石娯楽の一端を担っていたのでしょう

内子座と説明が同じになりますので省きますが

時間がゆったりと流れる明治の良き時代が偲ばれますね

ここは ご家老様のお屋敷です

建物は一見、平屋に見えますが実は急襲に備えて作られた隠し二階があるそうですよ

   

 人力車(15分コース1000円、 一周コース2000円)                    貸しミニカー

 

 

 

 

上の説明に寄れば本丸、二の丸には広壮な御殿を建て渡り廊下で連結させていたとあります

版籍奉還が良かったのか悪かったのか・・古い幕藩体制からの脱却とは言え勿体ない事をしてくれたものです

今は本丸を支えた石垣と池が残るばかり

   

 城跡の脇に朱色の鳥居が並んでおります

上には有子山稲荷神社が在り城の鎮守として築城以来、城の守り神として祀られて来ました

でも国の政策には鎮守様とは言え力が及ばなかった様ですね

 丹波地方と言えば黒豆は特産ですね

今、ソフトクリームに特産を練り込むのは当たり前の時代ですが

煎餅や甘納豆、ジュース 黒豆カステラとその数は多彩でしたよ

 

 

 さて最後になりました

この町のシンボルとも言うべき辰鼓楼

 廃城となった出石城大手門の石垣を利用して建てられ明治の頃は1時間毎に太鼓で時を告げていたそうです

今は時計に変わっておりますが、これは明治14年に藩医池口氏の寄付によるものだとか(3代目)

世は移り令和の時代となりましたが

ここには城下町として栄えた出石の良き時代が宿っている様なそんな印象を持ちました

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北陸の旅 「玄武洞」

2019年11月16日 | 

4日目 (2)

 

城崎温泉から南に車で10分ほど行った所に玄武洞が有ります

 

 

 

目の前に大きな穴が二つ、入口は5~6mは有るでしょうか

奥行きは11m位有る様です

柱状節理は日本のあらゆる場所で見られますのでそれほど珍しいものではないのですが

この玄武岩の特徴は溶岩の流れを妨げる障害物でも有ったのか、うねうねと曲がったり

他では見られない形状をしているところが興味深いですよね

、此処が注目される以前は採石場(石垣や庭石などに使用)だったそうです

面白いと思ったのは漬物石としても重宝していたとの事

漬物石が国の天然記念物に指定だなんて当時、誰が思った事でしょう

 

此方は玄武洞から歩いて数分ほどの場所にある青龍洞です

   

水の中から龍が頭をもたげた様な

 

   

コウノトリもここが気に入ったのでしょうかね

毎年、この木で子育てをする様です

白虎洞

 

同じエリアに在りながら其々特徴がある様で白虎洞の石の断面をみますと

城の石垣を想像させますね

 

北朱雀、南朱雀同へ行く途中、脇の掘りで無数の蟹のお出迎えを受けました

可愛いでは有りませんか 人の気配で身をひそめたり、のっそりと出てきたり

 

 

 

 

 マグマが創りだした造形の数々を堪能し玄武岩が敷き詰める道を下れば

丁度、城崎温泉に向かう列車が通過して行くところでした

長閑な眺めです

 

 何となくホッとする渡し場の様な場所で時を過ごし私達はこれから出石へと向かいます

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北陸の旅 「城崎温泉」

2019年11月15日 | 

4日目 (1)

目覚めて 旅館の窓から通りを覗けば、早くも外湯に向かう宿泊者の姿が有りました

雄さんもその一人

何と言っても旅行者にとって朝湯は旅の醍醐味の一つなんですね

朝食後チエックアウト前に温泉街をブラリ歩く事に致しました

 

   

城崎温泉には7つの外湯があります

入ったのは「一の湯」と 「柳湯」

城崎温泉は日本で泊まってみたい温泉の上位を占めているのでしょうか

半分は外国からのお客様と言っても過言ではない程 擦違う宿泊客は外人さんが目立ちます

きっと歴史ある旅館と川沿いの柳 この風情が心を捉えるのでしょうね

もしかすると温泉日本一の草津温泉より多いかもしれない

私達が宿泊した「やまとや」さんも180年以上の歴史を持つ旅館なのだそうです

 

 

城崎温泉は何処の旅館も駐車場に問題があり私達が停めた場所も温泉神社の脇(ガレージ付き)でした

勿論、宿の車が送ってくれますが出し忘れてしまった物があると大変!

カタコト下駄の音を立てながら15分ほど温泉街を歩かなくてはなりませんでしたから

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 温泉神社の手前に元湯が有り

約80度C、温泉卵が作れるほど熱い湯を湧出しています

元湯から続く石畳を辿りますと天平9年(737)、城崎温泉を開いた道智上人によって

開創された古刹「温泉寺」が有りましたので覗いてみる事に致しました

温泉寺は国の重文ですが木造りの観音二体も国の重文の指定を受けているそうです

 

 

重厚な仁王門を潜れば正面に奈良時代建築の粋を集めた様な薬師堂が鎮座しております

 

 

 

凄みさえ感じられる龍

極楽浄土へ導いてくれる飛天菩薩の優美な姿

阿吽の表情で社を護る象と獅子

そして最近知った事なのですが、この象 鼻は確かに象ですが目はサイ、足は虎

これは中国の想像上の動物、悪夢を食べてくれると言う「バク」なのですって

今まで芸術的な目で眺めて来た彫刻でしたが結構、奥が深そうです

   

境内の有る飲泉場です

ちょっと口に含んでみました  う~~ん 

この石段は奥の院に続くものなのでしょうか

8段上がってみましたら先は左に折れて未だ先に続き、その先は闇に消えておりました

上まで行ったか行かなかったか内緒にして置きます

「本日はコメント受付を閉じさせて頂きますね」

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北陸の旅 「伊根~丹後半島ぐるり」

2019年11月13日 | 

3日目 (3)

下調べによれば伊根の舟屋の近くに棚田が在ると言う

私達は海岸沿いを経ヶ岬方面へと車を向けました

今夜の宿は城崎温泉に取れましたので(5軒目でヒット・朝食のみ)時間を気にする必要も有りません

そろそろ棚田を指し示す標識が有っても良さそう・・・しかし・・・

途中、見落した覚えは無いはずでしたし左折出来る様な道も見当たりませんでした

丁度そこへジョギングをしていた男性が此方に向かって来ましたので申し訳ないと思いながらも訪ねますと

「あの棚田は後継者が居なくて荒れ放題になってしまいましたよ

この先に僅かながら有りますからそちらへ行かれたらどうですか」

と、1オクターブは有ろうかん高い声で教えて下さいました

 

 

   

  

油屋旅館を過ぎて西に向きを変えた所、教えてくれた棚田が有りました

区画整理されているので想像した棚田とは違い満足度は今一と言ったところか

 傍らには徐福が渡来したと言う地が此処であることを示す案内板が置かれておりました

韓国へ行った時に徐福公園を歩いた事が有りますが

不老不死の薬を求めて東方の国にやって来た人物とされます

「始皇帝の政治に不満を抱いた徐福は新たな地へ脱出した」とも言われてますよね

何と言っても今から2000年も前の事ですから真相は闇の中です

 

 

日本海を真下に見ながら尚も進みますと、ななんと (多分、野室崎辺り)

通って来た集落辺りに看板が立っていたなら30分もロスする事も無かったのに・・・

 タイヤには枯木を巻き込むは散々な目に合いながら集落まで戻る羽目になりました

電柱の上で野猿が「おら 知らねっ」だって

 野良仕事をしていた人に聞き国道へ出る道を教えて頂き起動習性です

と、そこに浦島神社を見つけ一旦は通り過ぎたのですがUターンしてお詣りする事に致しました

この神社は「丹後風土記」に描かれている浦島太郎の物語の舞台と言う設定ですが

825年、丹後の豪族であった浦島一族の業績を湛えて建立された神社です

資料館には日本最古の浦島太郎物語が細かく描かれた浦島絵巻(重文)と

室町から桃山にかけての乙姫小袖(重文)、及び亀甲文様の玉手箱が展示してあるらしいのですが

生憎、閉館でした

此処からは白布を垂れ下げた様な布引の滝が見られる様ですが見られるのは雨展限定と言う幻の滝です

   

                                       上の写真が本殿 こちらの写真は拝殿と中殿(重文)

 

 

 

 何故ここに京の五条の橋の上~の絵が掲げられている?

単にここが京都で有るからなのでしょうか

    

 

 よくまぁ野猿に遭う半島です

この図々しさ

 

 時間を大分ロスしてしまいましたので経ヶ岬も琴引浜も夕日が浦も寄らずにひたすら走っただけでしたが

見上げれば西の空に彩雲が薄っすらと・・・天気は余り良くない方に向かっている様です

城崎温泉はもう直ぐ、時刻は18時になろうとしておりました

 

 

雄さんは職場の旅行で此処は二度目ですが私は初めて、憧れの城崎温泉です

赴きある宿や情緒ある川べりの柳が美しい賑やかな温泉ですね

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