4日目 (4)
竹田城への道は自家用車乗り入れが禁じられておりますので私達は中腹までタクシー利用で向かいました
しかし車両乗り入れ可能な地点からは徒歩で向かわねばなりません
袖擦り合うも多少の縁
車を使わずに駐車場から歩いて来たと言うご夫婦と道連れです
料金所を過ぎますと勾配が増しいよいよ登城です
海抜354m 日本のマチュピチュと称される竹田城址
南北約400m、東西約100m
先ず登りあげた所が北千畳と呼ばれる嘗て大手門が設けられていた場所です
北千畳から東西方向を眺めれば
南千畳 花屋敷の各曲輪に護られる様に本丸石垣が一段と高く権力を誇示している様に見えました
『「天空の城」と騒がれ始めたのはそう古くはないのです。円山川を挟んだ朝来山の中腹に在る立雲峡は
桜の名所で偶々桜を写しに行っていたカメラマンが霧の中に浮かぶ城跡を撮影し
世に広めた事で一躍、注目される様になったのです』 係員の方がそう説明して下さいました
私達ははやる気持ちを押さえて本丸跡へと向かいます
永禄3年から約170年間の長きに渡り竹田城は、その威容を誇っていたのですね
ただ暫くは石垣が無く盛土の上に城は建てられ石垣が築かれたのは大分、後の事だそうです
本丸跡付近から眺めた南千畳
丹波の守護大名・山名氏の最前基地として築城された竹田城は関ヶ原の戦いで陥落した
闘いの歴史を秘めていたとは思えない優美ささえ感じられる雰囲気が見られました
何処から眺めても本丸は貫録十分です
(花屋敷が現在 立ち入り禁止)
石垣の向こうには竹田の城下町や山並みが広がっていました
3000の兵がこの谷を通り攻め入り戦闘が繰り広げられたとは思えない長閑さです
どの角度から見ても、やはり平和そのものの景色です
ここで繰り広げられた戦いが有った事など全く想像せ出来ませんよね
暗く急勾配の退場口をひたすら下って城跡を後に致します
登りでヨレヨレになってしまった同行したご主人は下りに強とみえて、くみるみる姿が見えなくなりました
この石は築城以来ビクともせず此処に留まっているそうです
最近では受験生の間で合格祈願に訪れる者が多いのだとか
帰りはバス・タクシーを使わずに駐車場まで歩く事に致しました
振り返れば竹田城址は既に高くやがて来る宵に沈もうとしています