たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

北陸の旅 「伊根の舟屋~棚田」

2019年11月11日 | 

3日目 (2)

金引の滝を辞し成相寺を目指す事にしました

ところがナビは律儀にも私達を古道へと誘導したのです

Uターンも出来ぬほどの細い道に、これはマズイ非常にマズイ

与謝野まで引き返し焦っても仕方がないので休憩所で取り敢えず一呼吸の為の休憩です

直ぐ近くの菜園で網を振りかざし真剣な面持ちで蝶を追いかけている老人が目に留まり

先ほどの顛末を話しますと、あっさり「車では無理だね」と言われてしまいました

「ところで何をやっているのですか?」見れば分かる事を尋ねますと

「この蝶が白菜に卵を産み付けるんでね、手でなんてとても取れきれないんでね」

何でも一匹で100個の卵を産み付けるらしい

そうですよね、自分の家で食べる物に消毒はしたく有りませんものね

 

 「取り敢えず名所だから寄って行こう」

股から覗いたところで景色が変わるってもんでもなし・・・

実は笠松公園は私の計画には入れて無かった場所なのです

「昔、職場の旅行で来た事があるんでしょう?」

「いや、来た事は有るが風呂に入って宴会でお終い、天橋立を回ったのかどうかさえ覚えていない」

国鉄でしたので、線路が続く限り何処まででも行けるのですが

男世帯の旅行なんてそんなものなのでしょうね

・・・

(↑) 私のこの後姿から想像して下さい

足取りが重いです

 

「で?どうですか? 天と地が引っくり返って見えましたか?」

私達の周りにはハングル語が五月の蠅の様です

さて成相寺ですが、そこへは此処から徒歩20分・・・それは無理だろうな

バスも運行されている様子ですが、この時はもう行く気も失せており・・・

と言う事で呆気ない笠松公園の幕切れでした

 

笠松神社から徒歩5分位の所に在る籠神社

撮影できるのは此処まで  境内の撮影は禁止されておりました

この神社は解りやすく言えば海の神様で

奈良時代、丹後一の宮となって現在の地に定められたと言う事です

もう一つ、社に伝わる海部家系図は日本最古のもので

国宝に指定されているとの事ですが確かめる事は出来ませんでした

 

10月22日 皇居では天皇即位生殿の儀が執り行われている目出度い日です

籠神社に於いても、それを奉祝する神事が行われておりました(鳥居外で撮影)

やって参りました

今回の北陸旅行を決めるきっかけを作ってくれた伊根の舟屋です

深い藍色を湛えた静かな入り江に高床の二階家が軒を連ねるこの風景

イタリアのチンクエテッレを彷彿させるものが有りました

 

 

干満の差が少ないと言う穏やかな伊根湾沿いに江戸時代末期から建てられた舟屋、及び

主屋、蔵など300戸余りが並んでおります (内、舟屋は230軒)

後ろに山が迫っている為、ここには船を引き揚げる浜も無く船のガレージを設ける事に寄り

こうした独特の構造が生まれたのでしょうね

狭い路地を囲むように軒が連なるこんな風景もいいものですね

 

 

 

舟屋の内部を見学させて頂きました

多分、釘は錆びるので使われてはいないのでしょうが

見るからに頑丈そうな柱が張り巡らされていますよね

「奥さん、埼玉県からいらっしゃいました?」 と埼玉からやって来たと言う家族の一人に声を掛けられました

「いえ、隣の群馬県からですが」 

世の中には、そっくりさんが二人はいるらしい  遥か遠くへ来てこんな事も有るんですね

昼も大分廻っているのでお腹が要求し始めました

数軒のお食事処の内、私達が入ったのは海宮「わだつみ」

上品でお味は上々でしたし板さんとの会話も楽しかったのですが

本音を言いますと私は伊根に合った素朴な料理が食べたかったのです

探した店どこも伊根にはそぐわない商業主義にとらわれた高級料理屋さんばかりでした

ところで「あわび」ですが、皆さん噛めますか?

生きの良いアワビのおつくりを前にして昔はあれほど好きだったのに

私も雄さんも歯が立ちませんでした

板さんは私達より年上でしたが余程、歯が良いのでしょう

「コリコリと美味しいじゃないですか」と平然と答えておりました

   

 さて、もう一つの私の楽しみ

モンキーに見送られて近くに在る(らしい)棚田を目指します


北陸の旅 「金引の滝=日本の滝百選」

2019年11月09日 | 

3日目 (1)

   

泊れるところが有ったら泊まろうかと一か八か電話してみた 

電話をした時刻が時刻でしたので朝食のみでしたがOKの返事

この辺りに食堂は有りませんので夕食を済ませてお出かけ下さいと念を押され

道の駅「とれとれセンター」でお寿司を2人前握って頂き

「シーサイド高浜」方面に戻るかたちでマリンハウスに17時チェックイン

九州出身の御主人と二人の坊やのいるアットホームなペンションでした

余談になりますがこの辺り最近、熊の目撃情報が在ったとの事です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

8時45分ペンションをチェックアウトして向かった場所は宮津に在る金引の滝でした

先ずは宮津高校をナビに入れ、そこからは対向車が有ったらアウトの様な 

かなり道幅の狭い民家と畑の道を看板に従い突き進みますと

滝入口が在り、その先に駐車場は在りました

 

臥龍の滝

 白龍の滝

臥龍の滝や白滝と幾つかの小滝を見ながら登って行きますと

 

行く手にお堂が見えその先に目指す金引の滝が木を透かして見えて参りました

胸が高鳴ります

剥き出しの花崗岩や閃緑岩を滑る落ちる滝は右を男滝 左を女滝と呼ぶそうです

珍しい事にこの滝には滝壺が在りませんのでかなり接近できます

ここはしばし時を忘れて滝と対峙したいと思います

男滝の貫録

女滝の慎ましい姿

間に挟まれたこの滝はやんちゃな子供滝でしょうか

 

 

 

 何時まで眺めていても見飽きない 

今更ながら余程私は滝が好きなんだと・・・

 

 

 

 すると

朝日が射し込み、そこに虹が生まれました

まるで今日の天皇陛下の即位を祝うかのように


北陸の旅 「智恩寺 & 天橋立」

2019年11月07日 | 

   2日目 (3)

ここは智恩寺

私が密かに楽しみにしていたお寺さんです

何が楽しみだったかと言いますと・・・それは後ほど

日本三大菩薩の一つと謳われる文殊様が安置される文殊堂

808年、平城天皇の勅願により建てられ醍醐天皇から904年に寺号を賜ったと伝えられています

   

                                            室町時代建立の多宝塔

 

楽しみにしていた物とは・・・これです  扇の形をした「おみくじ」 なんです

此処ならではの独特の景観ですね

そこで私も今後の旅を占ってみれば・・・

雄さんは吉 私は大吉・・・喜ばしき事かな・・・でした

 

 

ドッシリとした山門です(東西約10m 南北約7m )

この門は別名「黄金閣」と呼ばれ

江戸時代、この山門の再建に当たって皇室から黄金を賜った事からその名が付いたのだとか

 

駐車場の関係でまたまた逆回りになってしまいまいたが山門を出れば

煩い呼び込みも無く落ち着いた門前町が伸びていました

傍らには天橋立の3・6kを自転車で走り抜けを試みる者の為にレンタサイクルが

 

行く手が騒がしいので近づいてみますと運よく船を通す為

回旋橋をずらしているところでした

そう何回も有るわけでは無いので、これはラッキーと言えるでしょう

「人おして回旋橋の開くとき 黒雲動く天橋立」 与謝野晶子

 

 

美しい白砂と松林

「神の世に神の通いし跡なれや雲井に続く天橋立」・・・春海

 

   

一本の松が三又に・・・「三人寄れば文殊の知恵」から引用された「智恵の松」

 智恵と言えば右の写真は智恩寺の境内に置かれた「智恵の輪」

この輪を3回潜れば、文殊様の知恵が授かるのですって

但し輪の中に体を通すのはNG  さてどうしましょう

私が一つ思いついた事は晴天の日に落ちた影を潜る・・・は??? 単純すぎかな!

 

 甘い匂いに誘われて入った甘味処

四角いお持ちしか知らない私は関西の丸餅に妙な感激!

天橋立を歩き終わって一つ残念だった事が有ります

あと、50mほど歩いて行けば磯清水の湧く場所が在ったのですが後の祭り

と言ってわざわざ戻るのも面倒ですしね

ただ海の中に真水が湧いていると言う不思議は和泉式部も詠っている事ですから

平安時代には既に知られていたと言う事になりますね


北陸の旅 「舞鶴・赤レンガ倉庫」

2019年11月05日 | 

2日目 (2)

引揚者桟橋を後に旧日本海軍ゆかりの「赤レンガ倉庫」へと車を向けます

車を停めた直ぐ前の桟橋に、いきなり巨大な艦艇が

男性のみならず私でさえ立ち尽くしてしまう程の興奮を覚えました

何しろ生まれて初めて見る艦艇でしたから・・・

しかし、この区域は現役の海上自衛隊基地で有る為、進入は禁止され

近付く事は許されません

   

 

 門を潜りますと此処には旧海軍が建設した赤レンガ倉庫群が残されております

その一つである赤レンガ博物館を見学

この建物は魚雷倉庫として建設され鉄骨構造のレンガ建築物では日本最古のものだそうです

この項、最後の写真が魚雷の模型ですね

世界42か国から集められた煉瓦が紹介される中、我県・富岡製糸の煉瓦も紹介されておりました

水兵さん、スモークタイム

 

此方の倉庫は魚雷や弾丸などの軍需品を保管していた倉庫ですが

今は土産屋、レストラン、休憩所として使われていました

奥にキリストや12人の使徒が並んでいたらダ・ヴィンチの最後の晩餐の

舞台の様に見えてしまうのは私だけでしょうか

此処ではアメリカ兵が広めたらしいカレーの店がズラリ並んでおりましたが

どの店も家のカレーが一番!・・・だって

喉が渇いたのでコーヒーを注文しましたら超アメリカン

安い(150円)から良いと言うものではないですよね

 

 

 

 

 漁船の向こうには貫録十分な艦艇、何度見ても興奮してしまいます

 

 

 

 

 

 此方の倉庫群は嘗て弾薬庫や倉庫として使われていた様ですが

時折り聞こえる機械音はリニューアル中なのかドアは硬く閉じられておりました

足元にはトロッコが物資を運んでいたのでしょうか、幾つかの軌跡も見られます

ここは百十数年の時の流れを感じさせるゾーンでした

この奥に大きな駐車場が在り、その先に在るのはドッグかな? 護衛艦など多くの艦艇が見えました

進入禁止の立札もロープも設置されていませんでしたので

躊躇しつつも興味が先走り恐る恐る近づいて見ました  左下の円筒形の物はブイ?

赤レンガ倉庫に感動しつつも

真直に見る艦艇の、とてつもない巨大さ、その迫力に圧倒されてしまった一時でした

続く


北陸の旅 「松尾寺 & 舞鶴引揚桟橋」

2019年11月03日 | 

10月21日 (1)

    

 第一日目の夜は道の駅「シーサイド高浜」

ここには温泉が有り食事も9時までと有りましたので、そのつもりでやって来たのですが

食堂は5月から14時半がラストオーダーになったとの事 (>_<)

仕方なく近くの焼き肉店で夕食をとる事になりました

何時も思う事ですがせめて18時半頃まで暖簾を下げてくれていたなら

旅人にとって大助かりなのですが・・・ねぇ

 

その焼肉店のメニューに「ツラミ」「ココロ」など聞きなれない言葉が有りました

ツラミは頬の肉、ココロは心臓(ハツの事ですね)なのだそうです

喉肉も面白い事を言っておりましたが、そちらは忘れてしまいまいました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本日、先ず向かった場所は松尾寺(国の重文)西国29番札所

白鳳~天平時代、唐の僧「威光上人」が創建した真言宗の名刹です(拝観無料)

その松尾寺は若狭富士の異名を持つ青葉山の中腹に在りました(山頂までが寺域)

 

 

 

 先ずは山門を潜り本殿への石段を登ります

本殿は大悲殿と呼ばれ慶長年間(1596~1615)の再建であり他の建物も数度の火災の後

桃山時代に細川藤考によって再建された

中には国宝の絹本着色・普賢延命像や重文の孔雀明王像など

多くの文化財が所蔵されている

   

暗い場所にボロボロの衣を纏った像に恐る恐る近づくとそれは役行者像の坐像でした

役行者と言えば修験道の開祖

ここ松尾寺では16世紀に入ると修験道が盛んになった様です

右は新しいものですが子育て観音でしょうか

   

ここになぜ馬の像が有るのでしょう??

ここの本尊・馬頭観音に関係しているのでしょうか

馬頭観音は馬が草を喰む様に人の煩悩を食い尽くしてくれると言いますよね

解った様な、解らない様な・・・でもそんなところでしょう

 

 「祭壇の前に垂れている綱はみ御手糸と申しまして観音様の指と繋がっております

どうぞお上がりになって触って下さい」

丁度、掃除をしていた和尚さんが、そう申されましたので、さっそく雄さん観音様のパワーを戴きに・・・

 若い時に群馬の札所を訪れた事が有ると言う和尚さんと暫く世間話をし

私達はいよいよ松尾寺を後に致します

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   

松尾寺から10分ほど細い道を下った集落に名水が流れ出ておりました

青葉山の伏流水は一年中、枯れる事無く約2000tの水を吐きだしているそうです

飲んでみますと非常に柔らかく私はさっそくペットボトルに入れました

   

 

お水ばかりでなくここ杉山地区は景観も素晴らしく

スッキリ晴れていれば説明版にある「逆さ海」を臨む事も出来たでしょうに

生憎の曇天で海は雲に隠されておりました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

杉山地区から海に向かえば舞鶴引揚記念館へと導かれました

記念館はパスし私達は昭和20年から十三年間、引揚者を迎えた桟橋を訪れました

 

今ある桟橋は復元されたものですが大戦が終結した年から13年間

約66万人の引揚者をこの橋で迎えた事は私達がずっと記憶に留めて置くべき歴史ですね

 

ただ「よくぞ帰って来ました」と迎える身内も有れば「岩壁の母」の歌ではありませんが

息子の帰りを信じて此処で待ち続けた母親が居た事も事実だったのですよね

 

桟橋の向こうに幾つもの珍しい物が有りました

丁度、建材会社の生垣の刈り込みをしていた作業員さんがおりましたので尋ねますと

「皆さんに、あれは何ですかとよく質問をされるんですよ

あれはブイでしてね、あそこに輸入した材木を一時、繋ぎとめて置くんですわ

今は外来物ばかりですけどね」そう教えて下さいました

続く