たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

伊吹山 (北陸・近畿の旅)

2019年12月14日 | 

8日目 

伊吹山は滋賀県と岐阜県の県境に位置する標高1377mの山です

日本百名山でも有り何と言っても花の山として名を全国に轟かせていますよね

イブキトラノオと言う花は知らなくても名前は耳にした事があると思いますが

この様に伊吹を冠した花が此処では数多く見る事が出来ます

と言いましてもこの季節、既に花の時期は過ぎてしまいましたので山頂を目指すだけですが

一度は登りたいと思っていた伊吹山でしたし久し振りの登山でも有りましたので胸は・・この通り

ゲート前の長い車列が動きだすと、いよいよ全長17キロと言う山岳道路が展望台を目指します

ゲートから展望台までの標高差は1000m強

「車でこんなに登ってしまって登山になるのかしら、中間点から登るルートが整備されていたらいいのにね」

そんな事を思っている内に展望台に到着しました

標高1000m付近はかなり寒い、しかも霧が山全体を覆っています

寒さ対策万全で、見覚えのある防護ネットを潜りました

イケリンさんが網の上に居た野鳥を写された場所です

   

周囲はこの通りボンヤリとした景色が広がるばかり  

花は後にも先にもキク科のこの花だけでした

   

 空を仰げばこの通り、美しい青空が見えるのに・・・何と無情なのでしょうねぇ

でも、こんな道は楽しい

 

 

この辺りでサラシナショウマの群落を・・・この辺りでは伊吹トリカブトを・・・

とイケリンさんが写された写真を思い出しながら歩めば

前方に山頂が見えて来た頃、右に琵琶湖が見えると言う高台が有りました

見えるはずは無いと思いながらも、やはり足は高台へと向かいます

一瞬でもこの雲がどいてくれないものでしょうか

右側から登りあげている登山道に数人の登山者の姿が有りました

後で解った事ですが

どうやら西登山道の様で私達が人の流れに付いて登って来たのは中央コースだった様です

もう少し地図が読めていたなら、そちらから登って中央コースを降りる周回も出来ましたのに

後の祭りでした

そうこうしている内に山頂に到着です

相変わらず展望も無い山頂ですが、されど山頂

登山者にとりましては至福の一時なんですよね

寒いんですって!

 

   

広い山頂には日本武尊や弥勒菩薩が祀られ此処が昔から信仰の山で会った事を伺わせます

この弥勒堂の前では雷踊りを踊って降雨を祈ったと言いますから雨乞いの山でも有ったのですね

伊吹寺覚心堂

結局、霧が上昇する事は有りませんでしたが一つ仕事を成し終えた気持ちで私達は山頂を後に致しました

「下界が見えてきた! どうしようか?戻ろうか?」

「でも琵琶湖は見えないだろうな」

 と言いながら下っている内に展望駐車場は目の前

 

 

霧が薄れて登り始めた時の薄ぼんやりとした景色が開けました

遅いのか早いのか少々精彩を欠く紅葉でしたが・・・

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伊吹ドライブウエイから展望台に向かう手前、望遠レンズを装着した沢山のカメラマンの姿が有りました

一体、何を写しているのだろうと思いながら走り抜けましたが

帰りカメラマンの話に耳を傾けますとイヌワシやクマタカが狙いの様でした

この谷に生息する小動物を狙って飛来して来るのだそうです

主に獲物は野ウサギの様ですが鹿を加えている姿をカメラに納めたカメラマンが居て話題になったとか

伊吹山の楽しみ方は花や登山だけではない様ですね


鯖街道の宿場町・熊川宿 (北陸・近畿の旅)

2019年12月12日 | 

7日目 (3)

 

ちょうど開催されていた小浜の食の祭りを覗いた後、私達は熊川宿へと車を走らせました

たまに家屋が点在する山間の道を約20分ほど走りますと右手に道の駅「若狭熊川宿」

そこが宿場への起点です

   

熊川は国境に隣接していたため往来手形の確認、人物改め、物資の課税などを行う番所が

小浜藩主・酒井忠勝の命により設けられておりました

明治3年、街道制度廃止と共に番所は役目を終了し、その後建物は民家として使われていたそうですが

近年、当時と同じ場所に復元され今は二人のお役人が観光客の見張り番を行っております

 

若狭から京都に向けて鯖が大量に運ばれる様になると、その道は「鯖街道」と称される様になり

そうして栄えたのがここ熊川宿であり

国の重要伝統的建造物群保存地区として今もその面影を留めております 

  

       嘗ての熊川村役場ですが現在は資料館                   白石神社へと続く道

江戸時代の旅人になった気分にさせられる街道ですね

 

 

前川とも熊川用水とも呼ばれるこの用水路は宿場の景観にしっくり馴染んでます

 

その前川に竹で作った芋洗い機が有りました

物珍しそうに見ている私達に向かいの店の御主人が

「この前川の水は昔、飲料にしていたのですよ、街道も広げたものですから車も通れる様になりました」

等々30分くらい話し込んで行ったでしょうか

 

そろそろ喉の渇きを覚えて入ったこの逸見勘兵衛のお店

下は呂が切って有りそこでコーヒーが頂けます

二階は宿泊も出来ると言う事でお手伝いの方が各部屋を案内して下さいました

   

壁に長操鍋について説明書きが張られておりました

長操先生とは先ほど町並みを歩いていた時にカメラに納めた松木庄左衛門の事で

若狭全域の農民の為に立ち上がり自らの命と引き換えに年貢の軽減を訴え若くして処刑された人物です

農民は長操先生を忘れまいと大豆の野菜汁を作りそれを長操鍋と名付け

今でも催しが開かれる度にこの長操鍋が振る舞うのだとか

   

「奥さん、これ何だか解ります?」と見せてくれたのがガラス製の器

勿論知ってますとも・・・皆さんはご存知ですか?

右の写真は宿泊者用の部屋  

低い天井に小ざっぱりしたお部屋ですが落ち着いた部屋です、こんな部屋が4部屋ありました

今度、泊りに来て下さいと名刺を渡されましたが又、來る事が有るだろうか・・・

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時間が早ければ寄ってみたかった琵琶湖を右に見てR365を走る辺りは蕎麦の名産地の様で

至る所にソバ畑が広がっています

丁度、開花時期、思わぬ里の美を堪能いたしました

左に伊吹山が見えて来ました

晴れてはいますが山に掛かる雲が気になります

ここから県道40号に入り今宵の宿泊場所、道の駅「伊吹の里」に着いたのが17時少し前

道の駅は今日の営業を閉じる頃で慌ただしく職員が片づけを始めておりました

私達は隣接する蕎麦何処「伊吹野のそば」で夕食をとり明日の登山に備え19時には就寝

車の音さえ聞こえない静かな夜でした


蘇洞門(そとも) 北陸・近畿の旅

2019年12月10日 | 

 7日目 (2)

40キロの速度で走る遊覧船は湾の外に出ると途端に揺れが大きくなました

それでも速度を緩めず波を蹴散らかして進みます

足を踏ん張って肘を脇に固定してカメラを構える・・・

それでも大きく右に左に体は振られ思わずたたらを踏めば今度は突き上げられ次にはドスンと落される

被写体に焦点が定まらない・・・そんな事より命がけの乗船でした

下の写真が二つ岩で有ったか三つ岩で有ったか説明が有っても記憶に留まらない有様でした

もしかして二つ岩では無くアゴ越えだったかもしれません

アゴとはトビウオの事ですがアゴ越えで有るならば

イルカや鮫に追われたアゴがこの岩を飛び越えたのがこの岩と言う事になります

 

蘇洞門は標高619mの久須夜ヶ岳の山裾を日本海の荒波が浸食して作り上げた奇勝です

花崗岩の筋目にそって削られた洞門や断崖、奇岩、洞窟等がおよそ6kに渡って連なっているのです

写した写真が行きに写したものか帰りに写したものか

勿論、コウモリ穴、地獄門、ライオン岩等々がどれであったのかもグチャグチャです

とにかく上手く撮れておりませんが御容赦下さい

 

 

 

 

岩の面が網目の様に筋が入っている事から網掛岩

この岩はしっかり記憶しておりました

 

中央にある岩は夫婦亀石です

夫婦円満、それが人生の幸せと言うものですね

 ただただ大自然の造形の妙に感嘆するばかり

白糸の滝

この上流ではワサビが栽培されていたのだとか

蘇洞門のハイライト「大門・小門」

奥に吹雪の滝の落ちているのが見えましたが写真は上手く写せませんでした

ここで船はエンジンを止めます

海の条件次第で船はこの門を潜り客を上陸させてくれる様ですが

残念ながらこの日は条件が合わず上陸は叶いませんでした

大門の脚の部分の左、階段が設えているのが見えますでしょうか

運の良い人はあの階段を登って探勝する事が出来ると言う事なのですね

船内から写したカッパ岩(これは私が命名)

碁石浜で有ったか千畳敷で有ったか

碁石浜で有れば碁石の様な丸い石が敷き詰められ

千畳敷で有れば其処で香りの高い良質の岩のりが採れる場所だそうです

 

 

エンジンを停めていた船は再び始動し命綱が欲しい揺れとの闘いが始まりました

この波しぶき

ドスンと落ちた時とシャッターを切ったのが同時の時に写した写真

激しい揺れがお分かりになりますでしょうか

 こうして50分余りに及ぶ船旅は終了

実に壮大な海上遊覧でした

 

 下船して休憩所で休んでおりますと第二便に客が乗り込むところでした

ツアー客でしょうか、凄い行列です

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蘇洞門を何故「そとも」と言うのか調べてみました

左手に続く「内外海半島」の「若狭湾」を「外の面」と書いて「外面」と言うのが本来の意味で

その外面にこの様な美しい海岸線があるところから蘇洞門の漢字を当てはめ

「そとも」と呼ぶようになったそうです

それぞれの岩や岩窟に名前が付いているのは、その昔、猟師さんが漁に出る前に今日の漁場を

家人や仲間に知らせる為に付けたもので決して観光の為では無いと言う事も理解しました


小浜の花街 (北陸・近畿の旅)

2019年12月08日 | 

6日目(3)~7日目

民宿に靴を脱ぐ前に国の重要伝統的建造物群保存地区を歩いて見ました

京極高次は小浜城築城の際、武家と町人が混在した中世の町を整備し

町人地を東、西、中の3組に分けた街づくりを進めたのだそうです

今でも土蔵やガッタリ(折り畳み式の縁台)など往時の面影が色濃く残されておりました

奈良や京都の軒先で良く見られる魔よけのお守り

ルーツを調べてみましたら中国の敦煌の石窟の祭壇に似た物が有ると言う事でした

おそらくシルクロードを経て先ず玄関口である小浜に伝わったのでしょう

この建物は明治期の元料亭を改修した食の館「酔月」

夜毎、粋な和服姿の旦那衆が暖簾を潜ったのでしょうか

 

 「いまあらし」なんて洒落たcafeも町並みに溶け込んでます

 

 町並みの中で見つけた観音菩薩です

ここを歩いただけで幾つの寺を見た事でしょう

寺が多いとは聞いておりましたが対して大きな町でもない小浜で

果たして経営が成り立って行くのか余計な心配をしてしまいます

 

三味の音が響く横丁から芸妓さんが褄を取り歩いて来そうなそんな雰囲気のする町並みでした

民宿はこの白浜海岸(人魚の浜海水浴場)の真ん前ですがでもう一息いれてからでも遅くは無いでしょう

ここは「夕日の美しい散策ロード」が小浜湾沿いに走っておりますが、この分厚い雲では

今日の夕日を望む事はどうやら出来そうに有りません

翼のテラスモニュメントに腰を下ろし海を眺めていた若い女性二人

立ち上がりざまに頭を翼にしこたま打ち苦笑いすると恥ずかしそうに去って行きました

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民宿「さわ」さんの夕食 

 

 朝食

昨夜の事

「群馬のしきらくに親戚が有りましてね 近々主人が行く事になっているんですよ」

色楽と書くのだそうだ

しきらく・・・しきらく・・・しきらく・・・

そんな場所は無いよなと暫く悩みました

「もしかしておうらではありませんか?」

おうらは邑楽と書きますので邑を続け字で書けば色に見えない事も有りません

これで一件落着 

落ち着いて食事が取れます

 チェックアウトを済ませ9時、お世話になった「さわ」さんを後に

 私達は若狭フィッシャーマンズ・ワーフへと車を向けます

 

 

 

 

 

40キロの速度で遊覧船は出航いたしました

続く


若狭に古刹を訪ねて(北陸・近畿の旅)

2019年12月06日 | 

6日目 (2)

ぐるり一周して小浜に戻って参りました

 ここは数多くの寺社を抱えている事から「海のある奈良」と呼ばれているそうです

しかし面白いものですね

日常生活の中で仏教をどれほど信じているか問われた時、苦笑いで済ませてしまう私が

きつい石段もいとわず足を向け仏様の前では手を合わせているのですから本当に可笑しなものです

 

小浜に入って先ず向かった先は妙楽寺でした

ここには行基自らが彫ったと言われる国の重文である木造千手観音菩薩立像が安置されております

どんな御姿で有るのか胸の高鳴りを押さえて山門を潜りました

 

   

 

 

妙楽寺は空海が諸国を回っていた時に(797年)岩窟に眠っていた本尊を目にし

安置する為の堂を建立したものと伝えられております

苔むす参道、こんな所にも歴史の長さが感じられました

 

 

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長閑な佇まいを見せる山々に抱かれて、ひっそりと建つ妙楽寺

若狭では最古の建造物だそうです

その中に檜材の一本造りである観音像が眠っている事を誰が信じるでしょうか

それほどこじんまりとした素朴な堂宇でした

勿論、撮影は禁止ですので旅行雑誌から拝借しましたが

頭に21面の菩薩をいただき実際に千本の手が配されるこの菩薩様は

長く秘仏であった事が幸いし、今も美しい黄金色を輝かせておりました

この千手観音の他にも狭い堂の中には由緒ある仏像が犇めいていましたよ

   

 

境内に出ますと丁度外国からのツアー客が鐘つきに興味を持ったか鐘楼の前に列をなしているところでした

外国では教会の鐘を一般人が慣らす事は出来ませんものね

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次に向かった古刹は国の重文・羽賀寺

羽賀寺見学を申し出ますとインターホーン越に

「後から直ぐに参りますので左の道をお進みください」

言われた通りに進み石段を上がっている途中で寺の奥様が車でやって来るのが見えました

この羽賀寺は716年、元正天皇の勅願により行基が創建されたと伝えられているそうです

現在の本堂は室町時代に再建された様ですが最盛期には18もの子院が在ったのだとか

反った軒の勾配に当時の建築様式が伺えますね

羽賀寺の名の由来は上空を鳳凰が飛び羽根を落した霊地である事から「羽賀」を寺号に当てたと言われます

さていよいよ本尊の十一面観音菩薩立像との対面です

ドキドキして来ます 恋人に会う心境・・・とでも言いましょうか

見学したのは妙楽寺同様、私達二人だけでしたので観音像を前に

奥様が薦めて下さった椅子に腰を下ろし説明に耳を傾けました

平安時代初期と言いますから1000年以上前に作られたと言う事になりますが

このしなやかさ、鮮やかさ  なんと言えば良いのでしょう

「女性の色っぽさ」がムンムン漂っている様に感じませんか?

この木造の最大の特徴は当時の彩色をほぼ完全に残している所に在る様です

今回廻った寺は2か所だけでしたが神宮寺、明通寺等々・・・

重文を抱えた古刹は廻りきれない程ある様です

小浜は文化財の宝庫なのですね

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帰り際、私達は図々しくも近辺に今夜宿泊できる旅館がないか尋ねますと、

何時も一部屋開けて置くと言う旅館の電話番号を教えて下さったのです

「羽賀寺さんの奥様の紹介なのですが、こんな時間(16時近く)ですので朝食だけで良いのですが

宿泊お願い出来ますでしょうか?」

すると「うちには板前さんが3人おりますので夕食も大丈夫ですよ」とアッサリ引き受けてくれたのでした

さっそく電話番号をナビに入れ民宿「さわ」を目指します