УРАЧКА!!

雑文・駄文なお気楽日記です。よろしゅーに。

『ゴーン・ガール』

2014-12-28 11:53:22 | 映画
冬休み、というか年末年始のお休み中です。
今回の私の、このお休み中の目標は・・・
『昼寝をしない!!』っていう事ですな(爆)
いや、いったん昼寝しちゃうと、延々夜というか朝までいっちゃいかねないので。
いまのところは、外に出かける用事が多かったので達成できていますが、これから自宅で過ごす予定が多くなってくるので、そうなると難しい・・・
なにせ、家に猫がいるのがかなりこの目標達成の妨げになるんですな(爆)
なにせ、猫ってすぐ寝るし、それも気持ちよさそうに・・・
さらに、人の膝の上とかに乗って来たりして、人間も眠気を催して昼寝することを誘導してくるのだ!
そして、布団の中で人の横にへばりついて、自分がぬくぬく寝るというのが、その作戦なのですっ!!
いやいや、今回は、その誘惑には昼間には乗らないようにしよう!!
・・・夜なら、大歓迎だ(爆)

っていう感じで、昨日は、図書館が昨日までの開館なのでお休み中に読む分の本を借りまくってきました。
日曜の今日まで開けててくれたら、うれしいんだけどねぇ・・・
まあ、そう無茶言ってもいかんか。
で、その後は、映画を見て、その後、映画勉強会の皆様とお茶会。
見たのはこれです。

映画『ゴーン・ガール』予告編


ティム・バートンもよく「鬼才」と形容されますが、この人も同じく「鬼才」と形容されることが多い、デヴィット・フィンチャー監督作品。
いやぁ、面白かったですよ、コレ!!
15歳以上の人は、見て損はない!と、思うよ。
まぁ、「泣ける」とか「感動」とか「かわいい」とは、別の次元でございますが^_^;
しかし、難しい事に、この映画、大いに語り合いたいところが多い、それだけ面白かった映画ということなんですが、それを語り合うのは絶対に、すでに見た人でないとダメっていうところがもどかしいっていうかねぇ~^_^;
この映画の、面白さを伝えるには、「直接見ろっ!!」しか、言いようがないところが難しいでございますなぁ~。
それにしても、この↑予告、私が見たのは別バージョンのヤツなんだけど、これ、巧いねぇ、予告の作り方!
なんつうか、内容がなんとなくわかる、というか、この予告だけ見て観客が想像する「ストーリー」が一部合っているようでありながら、結構いい意味で予想を裏切っている作りなんですよね。
これが、編集の力!っていうもんかぁっ!!って思ったりもしましたがね。
ま、フィンチャー監督作品だから、間違っても「純愛」ではありません(爆)
では、以下は一応出来るだけ直接的なネタバレは避ける方針ですが、何か出ちゃうかもしれないので、気になる方は読まないでね。
・・・人生ゲームって、アメリカ生まれだったんねぇ~。





あらすじは、ある日、妻が突然失踪してしまう。何か、事件性がありそうな失踪なんだが、手がかりは少ない。戸惑いながらも夫は妻を捜すために警察に協力したりするんだけど、なんだか流れはその夫が妻を殺して・・・という方向に。果たして、真実は??
っていう感じなんだけど・・・
実は、この真実は?のその後が面白いんですよね。
この手を使うミステリーとか推理小説、何本か私は読んだ覚えはあるんだけど、それ自身は「あ、あったね、あるかもね。」っていう感じなんだけど、この映画はその後!その後が面白いっていうか予想不可能でどうなるか?ってハラハラさせるところが巧いんですよ、実に。
そして、人間というか、その映画内のキャラクターの陰影のつけ方も巧いんです。
大体、観客は誰かキャラクターの一人に自身を感情移入させて映画を見るのが普通というか、それがわかりやすくて楽(?)なんですね。
この映画の場合は、その「感情移入」される一番の人はたぶん、主役である夫のベン・アフレック。
で、そういう役割を担う人は、大体あまり裏を持たない人がふさわしい、じゃないと観客は彼の事がわからないから、その彼に感情移入しにくい。
だから、多少弱さはあっていいんだけど、あまり秘密も影もなく、単純傾向っていうか、いわゆる小市民的だけど善人、っていう人がふさわしい。
で、ベン・アフレックスのキャラも一見、そうなんだけど、物語が進むうちに、そんな彼にも怪しさというか、影が出てくるんですよね。
そして、あえてその影を活用して演出に利用したりとかもしてきて、観客の心を揺らすわけです。
憎まれ役にあたる某人も、単純に悪人とかズルい人とか、計算高い人、っていうだけでなく、どこか同情出来たり、観客からの感情移入を完全に拒む「エイリアン」じゃないんです。やはり、そこに不完全な人間を感じる・・・
そのバランスが巧い。
そして、善良なる一般大衆、それを操るというか無意識に操っているマスコミやメディア、この描き方も面白いですね。
政治家とか有名人の発言の一部だけを切り取って、その前後の発言や流れをあえて無視して、その発言の一部だけをクローズアップする事で、大衆のその人に対する意識とか感情を左右させる、マスコミやメディアの作戦みたいな・・・この手法もよく出てましたねぇ。
善良なる悪意っていうのか、やってる本人は、それがいい事、正しき事だと疑いもせずにやってたりするんだけど、それが実は??っていうあたりも面白い。
で、以下はホントにバレが入るので更に隠します。読みたい方は反転させて下さいね~。




彼女のやってるのは「完全犯罪」を目指している方向だと思うんですな。
「完璧なエイミー」これが、幼いころから、結果的に彼女を現在に至るまで永遠にこれからも縛り続けるわけでして。
それは違う、私は物語のエイミーじゃないし、っていうのを彼女も周囲も理解しているようではあっても、根本で彼女がなりたい、目指すのは「完璧なエイミー」なんでしょうな。
完璧な大人のエイミーには、完璧な旦那が必要となる・・・っていうわけでございますが。
その完璧になると思っていた、ベン・アフレックは、やはり彼女が思うような、彼女が理想とするような完璧ではなかった、って当たり前で、彼女が描く完璧な旦那は存在出来ないわけですからな、演技ならば、ともかく。
で、私が感心(?)したのは、こういう「完璧」を描く、完璧を目指す人とか完璧な犯罪を描く場合は、何かしら予期せぬわずかなほころびから、それが破綻してしまうっていうのを描くのが定番でございます。
こういう完璧を目指すっていうのは方向転換が効きにくい、っていうのがあるんだけど、彼女の場合はそれが完璧を目指しているのに、それが実に柔軟な思考で、次の手をすぐ打てるっていうところがスゴイ!と思いましたな。
手段に固執するのではなく、あくまで目的に固執出来る・・・これが出来る完璧主義者は少ないと思うんですが・・・
うーむ、これこそ「完璧なエイミー」だ!!と、感心しちゃったのでありますがね。
なんか、チョウチンアンコウのような夫婦となるんでしょうな、今後、あの二人は・・・
と、思ったりもする。
という、しっかりエンディングの形が出来ていても、なんかイマイチすっきり出来ないっていうところが「鬼才」の腕の見せ所っていうところというか、たぶん、これは原作とか脚本が良かったんだろうなぁ、と思いましたね。
こういう物語のスジでグイグイ引っ張って見せてくれる映画には、なかなかお目にかかれないもんですから、なんかすごくラッキー♪な気分にさせてもらった映画でございましたよ。




あ、そーいや、茶トラ猫が出てきましたよ!
あの夫婦の場合は、「猫は鎹」にはならなかったのねぇ・・・
っていうか、たぶん、あの奥さんは猫があんまり好きじゃないような気がする、そーいうイメージ^_^;;
マーゴさんに、ぜひ引き取っていただきたいもんです、茶トラ君。
コメント (2)
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