読書。
『哲学のすすめ』 岩崎武雄
を読んだ。
「哲学ってのは、実はこれこれこんなに素晴らしいんですよぉ??」
とすり寄ってくるような本ではないし、
「哲学を知らないなんて、あんたバカ!!」
と、おすすめの映画を観ない時のおすぎさんの発言のような本でもありません。
哲学とはどういうものかということを紹介する本です。
そして、哲学を紹介するために、著者が哲学というものを解きほぐして語ってくれます。
まるで、哲学を哲学するかのようです。
難しい言葉が出てきたときにはわかりやすく説明してくれますし、
そもそもそんなに難しい言葉は出てきません。
しかしながら、その思考によって適度に噛み砕かれて書かれている文章は、
離乳食のような文章と揶揄されるくらいに読者の頭を使う負担が少ないわけでもないです。
しっかりモノを噛んで食べている手ごたえのある読書にになります。
○事物に対して「いかにそうなのか」を問うのが科学で「なぜそうなのか」を問うのが哲学。
○どのような法則があるかを発見・証明するのが科学で、その法則がなぜあるのかを考えるのが哲学。
そういうところから、この本は始まっていきます。
近世の科学というものは、それまでの哲学の中から独立するにあたって、
人間自らの認識の限界点を謙虚にわきまえるわけです。
それで、つまり、神の領域だとか宇宙の領域だとかという、人間が経験しえないところを
学問するのをやめて、「なぜ?」の問いではなく、「いかに?」の問いによって、
事象を眺めていくことになったようです。
そして、その科学がいまや万能であって、哲学など必要なく、科学さえあればいいという
風潮になっていることを著者は危惧します。謙虚さを失っていますし、それにもっと理由があります。
ここで断っておかなければなりませんが、この本が刊行されたのは1966年のことでした。
それから半世紀近く立った現在においても、残念ながらこの本が一大革命を起こすことなく、
科学重視の世の中になっているわけですね。
でも、当時よりも科学が発達したいまこそ、人間の価値観っていうものがゆらいでいるかもしれない。
哲学は、世界観や人生観を作るものなので、いまこそ、哲学が必要といえるかもしれないんですよね。
「科学ばかり発達して、人間のほうは進化しない」なんて言われたりしますが、
人間の方の進化については、この本が導いてくれるようなところがあります。
また、「哲学」なんて聞くと、小難しくてカサカサに乾いた学問かとイメージしがちだと思いますが、
たとえば、野球でのイチロー選手の言葉から感じられる彼の哲学だとか、
キャバクラ嬢の接客哲学だとか、会社の経営哲学だとか、そういった言葉の中での「哲学」をイメージすると良いです。
難しい学問の哲学とて、それらの哲学と同じものなんだと、僕は考えていますし、
この本はそう考えてこそ読み進めていく本です。
それと、この本で勉強になったのは、哲学を用いることで目標というものがさだまり、
そしてそれへの行為を考えることになるっていう部分ですね。
目標あってこその手段なんですよ、そこのところは僕ははっきりしていなかった。
すごく目標って大事なんだってことがわかります。
目標、目的が無いと、場当たり的な行為をすることになり、それは現実に引き回されるようなものだと
書かれていますが、「そうなんだよ、そこなんだよね!」と、
ちょっと気持ちが強くなった気さえしました。
○目的を設定するときの価値基準に関係するのが哲学で、
目的を遂行する「手段」を設定する知識や判断に関係するのが科学。
まぁ、ぐだぐだ僕が書いたところで、僕の文章の何倍もわかりやすく
この本は書かれていますし、内容も深いです。
さきほども書きましたが、1966年に刊行されてからこの本は決定的に国民全体に作用していないことが
ちょっと不思議に感じるくらい、この本には誠実な力があります。
そりゃ、やや力技な箇所、主観的すぎる箇所が各々一つずつありましたし、
もう少しつっこんで欲しいところもあります。
しかし、そこはそこ、入門書ですし、読者が自分で哲学する猶予が残されたと考えてみるべきでしょう。
頭が疲れてくるせいか、終いのほうはやや難しく感じましたが、
読み終えられるレベルでした。
良書です。興味のある方はぜひ。
帯には「よりよく生きるための哲学入門」と書かれていました。
ちなみに、僕がこうやってブログを書いたりすることのテーマは
「生きやすくなるために・生きにくくならないように」
です。
常に意識しているわけではないのですが、僕の生き方のテーマでもあります。
へんなもんだね、生きるテーマが「生きやすく…」。
自分だけのためじゃないってことで、ひとつ。
『哲学のすすめ』 岩崎武雄
を読んだ。
「哲学ってのは、実はこれこれこんなに素晴らしいんですよぉ??」
とすり寄ってくるような本ではないし、
「哲学を知らないなんて、あんたバカ!!」
と、おすすめの映画を観ない時のおすぎさんの発言のような本でもありません。
哲学とはどういうものかということを紹介する本です。
そして、哲学を紹介するために、著者が哲学というものを解きほぐして語ってくれます。
まるで、哲学を哲学するかのようです。
難しい言葉が出てきたときにはわかりやすく説明してくれますし、
そもそもそんなに難しい言葉は出てきません。
しかしながら、その思考によって適度に噛み砕かれて書かれている文章は、
離乳食のような文章と揶揄されるくらいに読者の頭を使う負担が少ないわけでもないです。
しっかりモノを噛んで食べている手ごたえのある読書にになります。
○事物に対して「いかにそうなのか」を問うのが科学で「なぜそうなのか」を問うのが哲学。
○どのような法則があるかを発見・証明するのが科学で、その法則がなぜあるのかを考えるのが哲学。
そういうところから、この本は始まっていきます。
近世の科学というものは、それまでの哲学の中から独立するにあたって、
人間自らの認識の限界点を謙虚にわきまえるわけです。
それで、つまり、神の領域だとか宇宙の領域だとかという、人間が経験しえないところを
学問するのをやめて、「なぜ?」の問いではなく、「いかに?」の問いによって、
事象を眺めていくことになったようです。
そして、その科学がいまや万能であって、哲学など必要なく、科学さえあればいいという
風潮になっていることを著者は危惧します。謙虚さを失っていますし、それにもっと理由があります。
ここで断っておかなければなりませんが、この本が刊行されたのは1966年のことでした。
それから半世紀近く立った現在においても、残念ながらこの本が一大革命を起こすことなく、
科学重視の世の中になっているわけですね。
でも、当時よりも科学が発達したいまこそ、人間の価値観っていうものがゆらいでいるかもしれない。
哲学は、世界観や人生観を作るものなので、いまこそ、哲学が必要といえるかもしれないんですよね。
「科学ばかり発達して、人間のほうは進化しない」なんて言われたりしますが、
人間の方の進化については、この本が導いてくれるようなところがあります。
また、「哲学」なんて聞くと、小難しくてカサカサに乾いた学問かとイメージしがちだと思いますが、
たとえば、野球でのイチロー選手の言葉から感じられる彼の哲学だとか、
キャバクラ嬢の接客哲学だとか、会社の経営哲学だとか、そういった言葉の中での「哲学」をイメージすると良いです。
難しい学問の哲学とて、それらの哲学と同じものなんだと、僕は考えていますし、
この本はそう考えてこそ読み進めていく本です。
それと、この本で勉強になったのは、哲学を用いることで目標というものがさだまり、
そしてそれへの行為を考えることになるっていう部分ですね。
目標あってこその手段なんですよ、そこのところは僕ははっきりしていなかった。
すごく目標って大事なんだってことがわかります。
目標、目的が無いと、場当たり的な行為をすることになり、それは現実に引き回されるようなものだと
書かれていますが、「そうなんだよ、そこなんだよね!」と、
ちょっと気持ちが強くなった気さえしました。
○目的を設定するときの価値基準に関係するのが哲学で、
目的を遂行する「手段」を設定する知識や判断に関係するのが科学。
まぁ、ぐだぐだ僕が書いたところで、僕の文章の何倍もわかりやすく
この本は書かれていますし、内容も深いです。
さきほども書きましたが、1966年に刊行されてからこの本は決定的に国民全体に作用していないことが
ちょっと不思議に感じるくらい、この本には誠実な力があります。
そりゃ、やや力技な箇所、主観的すぎる箇所が各々一つずつありましたし、
もう少しつっこんで欲しいところもあります。
しかし、そこはそこ、入門書ですし、読者が自分で哲学する猶予が残されたと考えてみるべきでしょう。
頭が疲れてくるせいか、終いのほうはやや難しく感じましたが、
読み終えられるレベルでした。
良書です。興味のある方はぜひ。
帯には「よりよく生きるための哲学入門」と書かれていました。
ちなみに、僕がこうやってブログを書いたりすることのテーマは
「生きやすくなるために・生きにくくならないように」
です。
常に意識しているわけではないのですが、僕の生き方のテーマでもあります。
へんなもんだね、生きるテーマが「生きやすく…」。
自分だけのためじゃないってことで、ひとつ。