Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『結晶アラカルト』 第一話

2011-02-17 07:00:00 | 自作小説
「部長まで帰っちゃったねえ。もう事務所に5人しか残ってないじゃん」

コーヒーの入ったカップを両の手のひらで抱えながら、亜依子さんが言った。
人の少ない小さな事務所に満ちた空気は、普段よりもいっそう濃く感じられるはずなのに、希薄だ。

時刻は、午睡の誘惑にかられる、午後1時10分。
窓の外は晴天。
しかし、この時刻であっても、日差しはどこか黄色く、低いアーチのピークを過ぎた太陽が、真冬の雪景色を冴えざえと照らしている。
そして、30分もあればバラの花束をカチカチに凍らせてしまうであろう氷点以下の世界を、いっそう冴えわたらせていくようにも見えてくる。

僕はコーヒーに落とした砂糖を、カラリと音を鳴らしてスプーンでかき混ぜた。

「大体、土曜日なんて問屋が休みなのに、なんでウチは営業してなきゃならないんですか。日曜と同じで、当直を立てれば十分じゃないっすか」

亜依子さんに文句を言ったって始まらない。
その退屈さが自制の感覚を鈍くし、普段は眠っている、とげとげしい性分をむくりと起き上がらせてしまう。

でも、茶色すぎるショートの髪が、彫の浅い顔立ちとちょっと不釣り合いな亜依子さんはやさしく返してくれる。

「ほんと、なんでなのかねえ。休みでもさしつかえないだろうに。でもね、きっと今に、人件費の関係で土曜日も休みになるよ。あれか、近野くんは、土曜の稼ぎよりも休日が欲しいのか。そうだよね、若いもん、遊ぶ時間が欲しいか」

そういって彼女はニヤニヤ笑いながらコーヒーをすすり、

「そうだ、近野くんは彼女いるの?」

と、興味がありますよ、とばかり目を見開いて訊ねてきた。
亜依子さんとプライベートな話をすることは珍しい。
公私峻別の彼女であっても、その退屈さが、恋バナ好きの素のモードを起動させることになったようだ。

「彼女っていうか…、まぁ、仲の良い女友達レベルならいます」

首をひねりながら答えたせいか、亜依子さんは、何かあるぞ、と踏んだようで、身を乗り出して私的モード全開になってきた。
そして、

「なに?二股とかかけてるんじゃないの?どっちを彼女にしようかな、なんて考えているところだったりして。近野くんってそういうところありそうだよね。なんか、石橋をたたいて渡るみたいなね、慎重に、間違わないように事を進めそうなタイプに見える」

と、僕が話のレールに乗っかったと判じて、いつになく生き生きとして亜依子さんは言った。

「いや、それは誤解ですよ」

僕は苦笑して弁解したが、反面、どう思われようが構うものかという気持ちが強くなっていくのを感じていた。

僕は身振りを交えて滑稽に、誤解によって毒の杯をあおって死んだ、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの話をした。

ソクラテスは、天衣無縫に自説を説いて回ったのだが、当時の一般の価値感覚ではその考え方を受け入れてもらえなかったどころか、憎まれ、敵視されるという誤解をえて、ついに裁判にまで持ち込まれ、そこでも誤解され有罪となり、成功したであろう逃亡をさえ試みることなく、「単に生きるのではなく、善く生きる」という生き方を貫いて、毒杯を受けた人だ。

「ね、誤解ってするもんじゃないでしょう」

熱を込めて話しすぎ、息を切らしてしまったので、そう言ってぐっとつばを飲み込み、呼吸を整えようと努力した。話したことが空回りしていないことを祈る。

そこで業務課の3人が事務所を出て行った。
先輩格の徳山さんが、絵に描いたように真四角な顔で「ちょっと俺ら、作業してくっから」と言い残して。

「二人だけになっちゃったよ。電話も来ないしねえ」

僕と亜依子さんはともに総務課の経理担当。
六年先輩の彼女には、経理の初歩からずっといろいろ教えてもらっていて、頭が上がらない。
だけれど、頼れるアネゴ的性格の彼女なので、僕は安心して、元気いっぱい、生後二カ月半の子犬のように、よく彼女に戯れる。
むろん、言葉でだ。

彼女はさきほどの誤解の話を頭の中でいろいろな角度からつつき回し、考えているようだ。

ほどなくしてこう言った。

「今の、“誤解”の話だけどね、ソクラテスは死ななきゃいけなくなったでしょう。だからね、誤解されるようなことは怖いの。できるだけ誤解の生まれないようにしていかなきゃね。そう思わないの?」

それに対して、僕は、

「いや、この話の教訓は、誤解をしてしまった側にあるんじゃないですか。自分がソクラテス、つまり相手を誤解をしていないかどうか、自らに問いただすような姿勢に欠けていたことを反省するべきであって、自分が誤解されるかどうかを気にするべきじゃないと思います」

と言った。

亜依子さんの顔が、パソコン入力をしている時の無表情な顔に近くなってきた。
意見の相違があり、それは外の世界のように冷たい。
まだ結晶が貼りつくほどではないにしても。

近世に名をはせた偉大な日本の芸術家は、「誤解を恐れず、自ら誤解を招いて背負っていけ」というようなことを言ったことを亜依子さんに説明した。
彼は孤高の芸術家で、晩年は、テレビに出れば人々に笑われるようなキャラクターを見せてくれた人だった。
その「笑い」も、きっと僕らの誤解から生じたのだろうけれど。

また、ある作家は、誤解されたところでその人の本質は変わらないのだから気にするものではない、とエッセーで発表したことも説明した。

そこで亜依子さんは、なに、近野くんって誤解博士なわけ?と、ちょっと顔をゆがめてふざけはしたが、またふっと思索にのめりこんでからこういってくれた。

「それはちょっと…。世間はそんな考え方をしていないと思う。一つの視点でね、その人を見て、ある見え方がしたからだとか、それから、その人がほかの人にあれこれその見え方、独断でものをいって、言われた人がそれを信じてしまってっていうことが一般的じゃないかな。見えたこと、聞いたことが誤解だったりするのかな、なんて疑わない人が多いよ、きっと。わたしだって、あ、そうなの、って見たり聞いたりしたものを
そのまま信じてしまいがちだな」

もっともな意見だと思った。
この誤解の生じかたには、『信頼』が関係しているようだ。
自分の見え方を『信頼』して、誤解が生じてしまう。
他人の言うことを『信頼』して誤解が広まってしまう。
『信頼』なんて、かけがえのない善い気持ちであるはずなのに、まかり間違うと『信頼』の影に苦々しい気持ちを生んでしまう。

「でも、思うんですよ。いちいち、一つずつ誤解を解いていこうなんてしていたら、誤解を解くことだけで一生が終わってしまうんじゃないかって。そりゃ、上手に悪いイメージを持たれずに生きている人だっていますよ。そうだ、誤解っていったって、良いイメージに誤解されていることについては、あんまりとやかく言いませんよね、それって、フェアじゃないような気がしますね」

あくびが蔓延してもおかしくないはずの時間をうまく利用できているようだ。
僕はこの議論を楽しんでいた。
亜依子さんをやりこめようという悪魔的な気持ちから楽しんでいるわけではない。
彼女は頭の良い女性だし、先輩の威厳を保とうともして、精一杯に僕の考えについて思いを巡らせて言葉にしてくれる。
それがわかるから楽しいのだ。
だから、有益な話し合いになるんじゃないかという予感もしていた。

「身に覚えがないのに良く思われるのだって気持ちが悪いけれど、身に覚えがないのに悪く思われるよりは誰だってましじゃない?結局は、生活していくのにその誤解が障害になることを怖いと思うわけでしょう。良いイメージの誤解よりも、悪いイメージの誤解のほうが、生活を不安定にするって」

いちいち、もっともだ。
そんなもっともな返答を得られて、僕は「わん」と彼女の脚にじゃれつきたくなる思いがした。
そして、足を甘噛みする代わりに、少し意地の悪い言葉が口をついて出た。

「つまり、世間に期待していないってことですね。世間はアホだから、勝手に誤解して、怒ったり笑ったりして、そのイメージで扱ってくるものだってことですね。そこを亜依子さんのように怖れるか、僕のように気にしないかが別れるところで」

一気にすらすらと言えたために、意地の悪さが強調された感があった。

「近野くん、きっと苦労するよ」

彼女は、形になってふわふわとそこに見えるんじゃないかというくらいのため息まじりにそう言った。
僕は、あきれられたか、とイスから腰を浮わつかせて弁解するように、

「さっきも言いましたけど、みんな、自分自身が周囲に対して誤解を持っていないかどうかを十分に気にするべきです。あいまいだったり断定的すぎるものだったりを信じない努力をするべきです。ともすると、ゆるぎない根拠のように見えるものさえ、本質から外れていたりもするでしょう。100%断定して考えないことが大事なんじゃないですかね。そしてそれが、ソクラテスが言う“単に生きるのではなく、善く生きる”ことでもあると思うんです」

と、一生懸命、挽回するようによく吠えた、いや、結んだ。

「ソクラテスかー…。なるほどね、自分に対する誤解を気にしない、相手に対して誤解がないかをいつも気にする、それがあなたの姿勢ってわけか。わからないこともないけど…。そういう考え方が広く知られるといいね。わたしはまだそこまでは踏み切れないけど、あなたの意見は頭に入れとくわ」

そう言って、亜依子さんは、残ってる伝票の打ち込みをやってしまう、と言い、パソコンに向かって気分を転換するようにこぎみよくパタパタとキーをたたき始めた。
それはまるで僕との議論の内容とは正反対の軽快さで、気持ちが良かった。



そんな僕は、まさみに誤解され続けている。
それも、根本的な部分でだから、ややこしい。
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