Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『結晶アラカルト』 第二話

2011-02-18 07:00:00 | 自作小説
まさみは僕より五つ年下で、二十三歳の公務員一年生だ。
整ってはいるものの派手さとは縁が無い顔立ちをしているが、もしかするとこの街で一番の美人かもしれない。
それは派手さとは違った輝きで、すれ違う人をハッとさせる魅力をこの人は持っているからだ。
大きいわけでも、睫毛が長いわけでもないその眼は、やや気だるげだがとても澄んでいて、ちょっと大げさではあるけれど、森羅万象すべてに肯定された存在のように感じられる。
その眼に象徴される彼女の顔のつくりの存在感、そこが、人をハッとさせるのだと思う。
彼女は去年、大学を卒業し、故郷のこの街に帰ってきて、僕と知り合った。
僕は幸運な男だ。

僕はまさみに好意を持っている。
しかし、残念なことに、素敵な眼を持った彼女でさえ、知りあって以来、僕を誤解し続けているのだ。

どうやらまさみは、僕と出逢う以前から僕の名前を知っていたらしい。
彼女の、中学での友達の兄が僕と高校の同級生で、僕が彼とともにある夏、補導されたときの話を聞いていたようだ。
なんのことはない、ただの夜遊びだった。
スーパーの敷地で花火をやらかしたので大騒ぎになったにすぎない。
やれケンカだの、シンナーだの、無免許運転だの、そういった不良まがいのことには、憧れた時期はあったにしても、手を出していない。

最初から邪なイメージがついてしまった。
ちゃんと彼女の許可を得て煙草を吸ってみれば、「ねえ、いつから吸ってるの?」と訊ねられ、「20歳からだよ」と答えても、訝しげな眼をちらりと向けられ、そのあまりの一瞬さゆえにエクスキューズの余地がない。

また、仕事の失敗談を多くしすぎたせいか、どうも低能と思われているきらいがあり、「わたしは大卒、和馬くんとは違うの」と、小憎らしいことを言ったこともある。
もちろん、冗談めかしてではあるが、埋めようのない溝のようなものをそこに感じたものだ。

大概、二人で会えば楽しく過ごせるのだが、そういう場面がちらほら起こる。
そこが僕は気になっている。

でも、僕は誤解を解こうとはしない。
いや、まさみに関して言えば、誤解はおのずと解けるものだと思っている。
僕はまさみに好意を持っている。
彼女の眼に映る僕の在り様は、きっと日を追うごとに変化していくだろう。
僕は見ようによっては、それほど複雑な人間ではないからだ。


土曜の夜にまさみからメールがあった。
明日の氷像まつりに行けそうだ、という返事だった。

ちょうど、昼間に亜依子さんと交わした、『誤解』に関する議論を思いだして、反芻していたところだった。
“単に生きるのではなく、善く生きる”とは、よく言ったものだと恥ずかしくなった。
そして、昼間に考えた誤解に対する『信頼』の役割にもうひとつ重要なものが含まれていることに気付いた。
自分の見え方を『信頼』して、誤解が生じてしまうことと、他人の言うことを『信頼』して誤解が広まってしまうことと、もうひとつ、それは、対象になる相手への『信頼』の過剰あるいは欠如だった。
信頼が足りなくて薬にならない、多すぎて毒になる。
まさみは果たしてどこまで僕を信頼しているのだろう?


日曜日も土曜日に引き続いて、冷たくてもやさしい晴天に恵まれた。
真冬の晴れの日は、放射冷却現象で、底冷えが著しい。
氷像祭りがおこなわれている湖まで、約1時間のドライブ。
まさみは濃紺のタートルネックの上に水色のダウンジャケットを着て、ウールの手袋をはめ、ぴったりとしたジーンズを履き、「さむい、さむい」と車に乗り込むなり身をかがめた。
時間通りに家の前まで迎えに行ったのだが、待たせては悪いと、彼女は15分も前から玄関先に立っていたらしい。
楽しみだったのもあるけどね、と頬をピンクにしたまま、まさみは笑顔になった。

車内ではお互いが好きなPerfumeやくるりを聴きながら、それぞれ何年も前に訪れた氷像祭りの思い出を語りあい、わかさぎの天ぷらは絶対に食べることを決意しあい、サッカーとフィギュアスケートについて、批評的かつ好意的に、話をしあった。

氷像祭りの会場には多くの人が来場していた。
さすがに熱気は感じられないが、どことなく安心感がある。
まさみは竜の氷像の虜になっていた。

「これどうなってんの?ヒゲすごくね?」

たしかに、彼女の言うとおり、どうやったらこんなに
くねくねとした竜を氷から彫れるのかがわからなかった。
細かな鱗模様のつけ方も熟練している。
そしてヒゲなどは、あとからつけ足したんじゃないかと思われるほど、特徴的に、天に向かって逆立っていた。

僕とまさみはすべての氷像を鑑賞し、甘酒を飲み、わかさぎの天ぷら蕎麦を食べ、素直にこの催しを満喫した模範的な観光客であることを認めあった。

帰りの車内では、あの氷像は別のものに見えただのしゃべりあい、太鼓を叩いていた青年部の男性諸氏がふんどし一丁だったことに喝采をおくり、そして、いつしか、僕は誤解について関係のある話を持ち出していた。

人は、増殖する。
人は、すれ違った人の数だけ存在する。
という話だった。

「友達のAは、僕の部屋が散らかっているのを見て、だらしのないヤツだと僕のことを見ているだろうし、上司のBさんは、僕が電話で応対するのにあたふたしてろくにしゃべれないのを見て、落ち着きのない緊張しいだと思ってるだろうし、出勤の時に駅で毎日すれ違うOLの人は、僕の後ろ髪がいつもそり返っているのを見て、朝に弱くて時間が無いのねって思うだろうし、そういった、一面でしかないものから、僕の全般的なイメージが持たれやしないかな。要はさ、それぞれ関わる人たちの数だけ自分ってものが存在するって言いたいわけ。いろんなふうに思われる自分が無数に存在するってことなのさ。ある意味、それって結晶なんだよ。無限に結晶が生まれていく」

「それにしても、どの和馬くんもしょうもないね。和馬くんってそんなにイケてなかったっけ?」

と彼女は楽しそうに笑った。

「そう、僕はイケてないの」

と、僕は不機嫌さを抑えて、無機質に言った。

まさみはさらにあはははと笑い、その後、車内には少しの間、沈黙が訪れた。
僕は考えている。
どうやって、まさみが僕に誤解を抱いていることを気づかせようかと。

不意にまさみが口を開く。

「高校のころね、好きな先輩がいたんだ。その人、和馬くんと同じくらいイケてなかったんだけど、男くさいところに惹かれたんだと思う。ストイックなのとはちょっと違うのかもしれないけれど、他の男子と違って、その人は群れないの。登下校はもちろん、オフの日だってね、一人で映画を見にだとか行っちゃう。だからって友達がいないってわけでもないのよね。ちょっとそういうのが不思議に思えた。で、私その人に近づいたんだ」

まさみから恋愛感情の話を聞くのは初めてだと思いながら、うん、とあいづちを打った。

「そしたらさ、私、なぁんもしゃべれないでやんの。あ、とか、ええと、だとか言ってもじもじしちゃって、最後にごめんなさいって言って逃げちゃった。なんなんだろうって笑われちゃうよね。自分に自信がなかったからだといえば、それまでなんだけど、つまりはその人に誤解されるのが怖かったってことなの。今でも言葉を使うのに四苦八苦するっていうのに、十代なんて輪をかけてまともにモノが言えないじゃない。へんなことを言って誤解されないかな、ってそれが不安だったと思うんだ。誤解を恐れると、何も言えなくなっちゃう」

なるほど、と彼女の話がすっと腑に落ちた。
それじゃ、いつも僕がずけずけと彼女に話しかけるのを、彼女は自分に好意を持っていないから誤解を恐れる必要が無いんだろう、なんて考えていやしないか心配になった。

「あのね、まさみ…」

言うのと同時に、僕の鼓動が速く打ちはじめた。
僕は不安を感じ始めている。
誤解を避けないでいよう、気にするものかと頭ではわかっていても、心ではやっぱり怖気づいてしまう。
まさみが今言ったように、口に出そうとする言葉が、誤解への恐れを前に溶けて消えていく。

まさみは目を伏せながら言う。

「なんでこんな話をするかっていうとね。わたしへのあなたの好意がわかるから。それでいて、誤解を恐れない勇気を持っていることもわかってる。でもね、あなたはきっと、わたしの態度からこう読み取っているはず。僕を誤解しているって。誤解があるからあなたに対して一定の距離を置いているわけじゃないんだよ。わたしはあなたの欠点を見ているの。あなたはちょっと尊大すぎるところがあるよ。どうして、ごめんとかすいませんとかがなかなか言えないのかなぁ」

僕の心臓は、その瞬間ドクッと強く打ったのを最後に、平常の脈拍に戻った。
尊大すぎるところがあるっていうのは、まったくもって誤解じゃない、たしかに思い当った。
今日だって、まさみを迎えにあがるのに、20分前には彼女の家に着いているべきだったかもしれない。
それができなかったどころか、15分も寒気の中に立っていたまさみの負担をも考えなかった。
僕は誤解というものに気を取られすぎ、そしてなんでも誤解のせいにしていた。
誤解のせいにすることで、僕は謙虚さを忘れ、誠実さからそっぽを向いた生活をしていた。
胸がチクチクと痛んだ。
甘い幻想を勝手に作り上げて、そこに逃げ込みたい気分だった。


外は薄闇が迫っていた。
光は人を励まし、闇は人を慰めるものだ。
夕焼けが僕の肩をぽんと叩いてくれたような気がした。
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