☆Massy’s Opinion
・光陰矢の如し
今月は父親の祥月命日が来る。1964年没だから、50年を過ぎる。最近やけに昔の諺が身に沁みる。「光陰矢の如し」なんて、いつも感じてはいたが殊更に強く感じる。昨年、ブログ人からGooにサーバーが変わったが、今まで書き溜めた物も無事に保存が出来た。使い勝手はGooも色々良いが其のうちの一つに一年前に書いた記事がサイドに出て来る。便利と同時に「ついこの間、書いた様な気」がして改めて「月日の経つのが早いな...」と感じる。「小保方問題」なんて正に其の内の一つだ。結局、何かうやむやのうちに終わってしまって、「本人の意見」なんて何処のマスコミも報道しない。「東北震災」も「北の拉致問題」も一つも進展しない。それで居て「光陰矢の如し」だ。
・何故時間が経つのが早いのだろう?
正直2000年迄、現役時代は本当に良く働いた。自分でもそう思う。1970年位まで、特に1961年~1967年位までは目茶目茶に働いた。職場は、会社で心臓部分の業務の係長、最高時には月4000台の仕入れと配車、登録を20人位のスタッフとやっていた。労組の副委員長、野球部の監督、一日2時間で週3日の練習、土曜日日曜日は試合、年間120試合位やっていたのだから、本当に良くやったものだ。月の残業が70時間位。それでも、あの頃はそんなに月日の経つのが早いとは感じなかった。1964年には、結婚する事にしていたが、父親が病に倒れ、亡くなり、葬式を出した。父の看病はワイフが手伝って呉れた。当時の労使交渉は4月の定期昇給、春、冬の一時金と年三回の団体交渉があった。父の葬式で「親戚にもワイフは会っているし、お金もないしもう結婚式は辞めよう」と思っていたら、母親の姉妹の伯母さん達に「弘さん、奥さんになる人が可哀想よ。式だけは挙げなさい」と言われて、父の100ヶ日が済んで急遽式を挙げる事にした。要するにこの年は、経済要求3回と父の葬式と結婚式とを一年でしたのである。全部一人で決めたので、今考えると「本当に無事に全てをやれたなァ」と思うが余り時間が経つのが早いとは感じなかった。さすがに野球の監督は1963年の東京代表(準硬式だが)を最後に親友遠間君に変わって貰った。何故なんだろう?あんな色んな事がやれたんだろう...「若かった...?」「時代も高度成長へ向かっていた」「コンピュターがそんなに進んでいなかった」「いや皆がやる気が出るような何かがあった」一日の24時間は今とは変わっていない。自然界の季節は昔と同じように動いている。今の時代は超高齢化が進んでいるので、「将来に希望が持てない?」「やっぱり政治への不信が大きいのでは無いだろうか?」モット大きな日本の目標が明確にあれば...そして、其の「大」目標に対して、時系列で「中、近」の目標があれば時間の使い方が変わって来るのではないだろうか?
・事件が余りに次々と起こりすぎる
地震、津波、解決できない原子力問題、噴火、戦争、不正、(特にスポーツ界の不正)、金融機関の不正も目に付く。屹度、マスコミに出る前に始末されている事件も多いだろう。それにしても日本だけでなく、世界中で事件が多いのだから、本当にどうしようもない。
・マスコミが矢張り問題
最近のマスコミを見ていると、表面の事件を追うのに懸命になっている。テレビでもアナウンサーのミスが目に付く。ITの発達で新聞、テレビに出るニュースはホンの一部でしかない。それとマスコミの記事で目に付くのが「倫理観と歴史についての知識不足だ」社会はドンドン若い人に変わって行くが、新しいITの知識だけでもドンドン進んで行く。電車の中で、約85%の人は携帯をいじっている。偶にチラッと覗いて見るが殆どがゲームか何かだ。そして、携帯やPCのメーカーは次々に新しいものを出して行く。本当に困った時代に成った物だ。日刊スポーツなんて、半分は競馬、競輪の情報に紙面を割いている。専門紙が成り立たなく成ったのだから仕様が無いかもしれないが、この辺もマスコミの検討課題だ。然し、マスコミに載って知名度が上がる事は、確かに儲かることも事実だ。
・国連を強くするには如何したらいいのか?
さて、「通行区分の世界統一」をレポートしてから、「統一」と言う事が凄く大事だし難しい事だと「痛感」している。日本の国内だけでも野球のボールさえ、やっと出来た「統一」だ。矢張り世界の強い国(経済か?軍事力か?)の徹底したリードが必要なのだろう。或いはこの時代の大きな変わり目の時には、大きな戦争が起こるかも知れない。もう一つは、世界人口1,5人当たり、自動車保有が1台位になるまで過当競争が続き、次の時代を考える事が出来ないかも知れない。其の後、世界平和を求めて国連強化の必要性が強く出てくるのかも知れない。
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