massy-academy

advice for consumer

‘23-2-20 “昔と現代のトレーニング方法の違い”

2023-02-20 22:39:06 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
*僕の経験: 
さて、88歳を無事に過ぎて、良く生きて来たものだと思う。色々、振り返る事が多いが、本当に良い先輩と人間性に優れた先輩に出会った事に感謝しかない。太平洋戦争も機銃掃射に会ったり、東京大空襲に会ったりしながら、富士山を眺め、富士山の大事な役割も知ることが出来た。何時も米軍の飛行機は我が家の西北の方から東京の中心に向かって来る。機銃掃射は殺されるという感じより、グラマンの操縦士が良く見えた事にある種の感激を持つようだった。屹度あの時の操縦士は、子供だと解ってワザと離れた畑を撃ったのかもしれない。あの頃は、警報が解除に成れば柏の宮公園で草野球だ。近所の子供たちが10人位集まってくる。
自分自身成蹊中学に入って、直ぐ野球部に入った。当時は、学制改革のすぐ後で、旧制高校の野球部と一緒の練習で、高校の後、中学生の練習で硬球から軟球に変わると言う様な練習だった。まあ、球拾いから自分達の練習と云う様な具合。練習前のランニングは高校生と一緒。
まあ、くたびれて暗く成る迄...帰りは高校生と一緒、駅前のラーメン屋で一杯35円のラーメンが美味かった。家へ帰れば、直ぐ風呂に入って寝る。と言う毎日。野球のトレーニング何て全然やらなかった。慶応高校に入ったら、部員が60人もいる。さすがこれが慶応の野球部かと驚き、これは並の事じゃレギュラーに成れないな、と外野の土手の上で球拾いに明け暮れた。そして、やっと自分で野球の練習をしなければ、と言う気に成った。2年の夏休み7月10日から自宅で練習を始めた。
午前中9時から永福町迄往復約5kのランニング、バットスイングを400本。
片手ぶり、右、左各50本水平振り、インコース高めを100本、真ん中ベルトの高さ100本、アウトコース低目を100本の400本である。此れには、一振りずつ丁寧に振るので、2時間掛かった。これで、午前中、一杯掛かってしまう。この頃は、スイングバットもなく、バットに鎹を4本打ち込んでスイングバットにしていた。バットはアメリカ製のルイスビル製のバットを1350円で買った。日本のバットは確か300円位だった。8月1日からの夏練習に行った時、本当にバットが良く振れた。アメリカ製は音が金属製の様なキーンと云う音がする。直ぐ監督の目に留まり4番に抜擢された。この時ほど、努力の大切さを身に染みて感じた事は無かった。此のバットは、当時、一緒に球拾いをしていたK君に貸したら、詰まって折ってしまった。後日、本人に聞いたら、すっかり忘れていたのでガッカリした。
この夏休みは、小学校の級友に山中湖へヨットを乗りに行こうと誘われた。女の子二人と男の仲良し3人である。散々、迷ったが練習のプランを立てたので断腸の思いで断った。処がそのヨットは運悪く突風に会い、転覆し、女の子は二人死んでしまった。忘れられない年だった。その後、秋のシーズンは、トスバッティングの返球の上に、ジャンプして降りてしまい捻挫をしてしまった。守備練習はしないで、バッティングだけで良いという特別扱いでシーズン終わりを迎え、余り痛いのと如何も少し変形している様なので医者に行ったら「骨折が固まっている」と言われた。それ以来、スキーもスケートもコートバンの靴も履かないようにしている。大学の時は、1年の時に滑り込みの練習をさせられたが、珍しく阪井監督に褒められた。それで、もう1回と思ってやったら、ベースの近くで滑り、右足首を骨折してしまった。慶応病院へ入院したが、野球の骨折の模範的な例と言う事で、入院後から退院するまで階段教室の一番下でモデルとして使われた、骨折の事、リハビリの事マッサージのン仕方等、5月1日の入院から6月28日の退院まで、ミッチリと医学部の学生と同じに勉強させられたのである。この時に、覚えたマッサージは後の野球部生活で投手陣には藤田(元巨人軍監督)さんを筆頭に随分、重宝がられた物である。殆どのピッチャーは肘を痛がっていた。今は皆、ジョーブ手術を若いうちからしてしまうのだろう。随分と変わって来たものだ。
*ワイフの症歴
部品屋からコーヒ―・ショツプに転業して、10年位経った頃か、ワイフが股間節が痛むと言い出した。幸い僕の骨折で慶應病院へ入院していた時にインターンだった先生が開業して居たので、相談に行ったら、「股関節は慈恵の連中が熱心にやって居るよ」と云うので調べたうえで慈恵に行った。整形外科部長の藤井先生は巨人軍の槇原投手の膝関節を手術した先生だった。しかも僕は慈恵で生まれたのである。それで全部慈恵でお世話に成る事にした。叉、縁は恐ろしい物で藤井部長先生は、住まいが浜田山、犬がゴールデン・レトリバーと言う事でスッカリ仲良くなって仕舞った。20年後の再置換も慈恵でズットお世話に成っている。当然、リハビリの事も随分話しあった。娘の恵は人と同じ様な就職は嫌だと、渡米してトレーナーの道を進みだした。
*Megumiの出会い
恵は、FootHill Collegeと言う専門学校に入ったが其処で出会った先生が、MR,Garyと言うアメリカの女子陸上チームのチーフトレーナーを勤めた人。殆ど毎年日本の大學に教えにる。僕と気が会い、我が家へ泊ったりしている。恵はサンタクララのプールで泳いでいて、東京オリンックの水泳チームの監督だったMr,シーハンに可愛がられ我々夫婦も1週間HomeStayさせて頂いた。恵は渡米してから、本格的にトライアスロンを始めたがironman raceを年間5レース位やって居る。小さい女の子で目に付くのか?仕事パーソナル・トレイナーにも役立っているのか?日本からアメリカへこの分野の勉強に行く人はサンノゼへ行く人が多い様だ。日本での著名人も又学校の先生方にも知り合いが多く成っている。
*stic 5回目のシンポジウム(Sporttech Inovetars Consortium)
5回目のオンラインセミナーが開かれた。タイトルはVRに関する事。コロナ騒ぎでVRの利用が各方面で取り沙汰されている。この方面でも例外で無くVRで遣る場合の考え方などが主題にされて居た。最近では、歯医者でも病院でも待合室のテレビは、テレビ画面か映像が掛かっている。5回目のシンポジウムでは、室内のトレーニング用のバイクが大きく写されていた。病院のリハビリ室なんかには全くピッタリだと思った。ゴルフの練習場では狭い室内や売り場の試打室には大分前から設置されている。病院のリハビリ室は未だ余り設備されているのは見た事がない。病院は治療まで、リハビリは専門の所で、と言う風な考え方なのかも知れない。僕にもこの辺りの考え方は、如何あるべきなのか良く解らない。
唯、幾つかの他人より豊富な経験からは、リハビリと言う事は「治療後はこれで終わり」と言う事はない。ズット長く続けなくてはイケないものだと思う。

初めに書いたように僕の高校時代は、僅か20日間の一日400本のスイングで効果が在った。大学時代、阪井監督は夕食後、寝る前に「素振り100本やれ」と言って居た。同期の阪急へ行った中田君はコーチ時代に「一日3000本のスイングをキャンプ中にやれ、そうすればお前は3割打てるぞ」と言って居ると言って居た。投手は、昔は、一日200球位投げていた。今は精々50球位、勿論、ある時期は投げ込みをするだろうが。兎に角、練習方法が変わって来た。先ず、体、全体、要するに「体幹」鍛えることに最重点を置いた練習方法に変わって来ている。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿