静岡市議会議員まつや清はどのように誕生したのか。
「新しい市民運動から市議会議員を送り出そう!」
87年春、 当時、校内暴力をなくす「教育分科会」、まちと車社会を考える「交通分科会」、チェルノブイリ原発事故からエネルギー問題を考える「原発エネルギー分科会」、安全な食と環境をまもる共同購入の会(れんげ畑)の前身「食と石鹸を考える分科会」といった市民運動の拠点「街と生活を考える市民センター」が静岡市車町にありました。
チェルノブイリ原発事故後、身近な地域の活動を手がかりに、市民自治による新たな政治を生み出し、市民の手の届かないところに存在する政治を生活の場に引き寄せ「生活者の政治」をめざそうと、神奈川では女性を中心とした代理人運動が活発化。
「静岡でも運動を起こしたい」と、神奈川生活者ネットワークの顧問で市民センターの運営委員であった故中村順英弁護士の提案で、白羽の矢が立ったのが、市民センター事務局長だった松谷清でした。
当時35歳
議員と生活者 顔の見える政治運動をめざそうと カンパで資金を集め、 「曲がったきゅうりの時代」をスローガンに 女性たちが中心となって賑やかに選挙運動がスタート
あれから34年
まつや清69歳
まつやのような政治家は静岡に 再び誕生するのでしょうか。
選挙のあり方も変える必要があるでしょう。
同時に私たち有権者も成熟しなければなりません。
(マツキヨサポーターやんくみ)