開高健 「完本 私の釣魚大全」読了
前回の1冊に引き続いて師の単行本を読んでみた。これも、文庫本には掲載されていないイラストがたくさん入っていて、確かに"完本"の趣がある。
イラストは本文にはほぼ関係のないような、ヨーロッパの古い釣具と思われるペン画のイラストだが、これは本家の「釣魚大全」を意識しているのだろうが、師の遊び心が面白い。
文中に出てくる釣具の中に、「ダイヤモンドのマイコン」というリールが出てくる。
これは懐かしいリールだ。大阪にあった大森製作所という会社が作っていたものだが、僕も大好きなリールだった。
今、家に残っているのはこのリールを含めて3台だが、うちの1台はまだ現役で使っている。
このリールは多分、中学生の頃に買ったものなので、すでに35年は経過しているのだが、作動にはまったくの問題がない。
この機種のもう少し前は、インスプールタイプと呼ばれるローターがカップ状になっているものがあったそうで、本文に出てくるものはそのタイプのものだろうと思う。
もともと、ミッチェルのOEMなんかもやっていたメーカーで、調べてみるとそっくりのモデルもあったそうだ。
アブとか、ミッチェル、フルーガー・・・懐かしい名前だ。僕も必死になってお小遣いを貯め、アブのカーディナルを1台買ったが、ボディの蓋を開けてみると歯車の数は国産のもののほうがはるかに多く、今考えて見るとすでに国産リールのほうがはるかに性能的にはよかったように思う。しかし、ルアーの釣りにものすごい憧れと興味をもっていたアホな子供の目にはダイワやオリムピックの釣具というのは目には入らなかった。
ダイヤモンドリールは価格のわりに作りが精巧で滑らかな使い心地だった。紀州釣りにも使っていたが1日に何度も巻いては糸を出しを繰りかえしてもトラブルを起こすことはなかったし、ベアリングが錆びてしまうようなこともなかった。
いいものがそのまま世間に受け入れられることもかなわず、1990年ごろに会社は無くなってしまったそうだ。当時の2大メーカープラス1に挑戦すべく、同じようなスペックのリールを作り始めたのが不運の始まりだったようで、どの時代もいかに独自性を発揮してゆくかがニッチで生きる一番の考えどころのようだ。
最後の章には石器時代の釣り針を使って魚を釣りながら古代史の研究をしている人が出てくる。先月訪れた博物館で見た展示品の中には、ルアーとして使ったものもあったらしい。
(一応、撮影禁止だったのだが、こっそり撮らせていただいた。)
遠い昔は僕が住んでいるこの場所も海だったそうで、数千年前にもここで魚釣りをしていた人々いたというのはなんともうれしい。その時代の人々も食べるためだけに釣りをしていたのではなく、「釣ることが面白い」から一所懸命針を磨いていたのだと思いたい。
やっぱり魚釣りはどの時代も面白いはずなのだ。
そう思うと、魚釣りを教えてくれた父親には感謝をしなければならないのだ。
前回の1冊に引き続いて師の単行本を読んでみた。これも、文庫本には掲載されていないイラストがたくさん入っていて、確かに"完本"の趣がある。
イラストは本文にはほぼ関係のないような、ヨーロッパの古い釣具と思われるペン画のイラストだが、これは本家の「釣魚大全」を意識しているのだろうが、師の遊び心が面白い。
文中に出てくる釣具の中に、「ダイヤモンドのマイコン」というリールが出てくる。
これは懐かしいリールだ。大阪にあった大森製作所という会社が作っていたものだが、僕も大好きなリールだった。
今、家に残っているのはこのリールを含めて3台だが、うちの1台はまだ現役で使っている。
このリールは多分、中学生の頃に買ったものなので、すでに35年は経過しているのだが、作動にはまったくの問題がない。
この機種のもう少し前は、インスプールタイプと呼ばれるローターがカップ状になっているものがあったそうで、本文に出てくるものはそのタイプのものだろうと思う。
もともと、ミッチェルのOEMなんかもやっていたメーカーで、調べてみるとそっくりのモデルもあったそうだ。
アブとか、ミッチェル、フルーガー・・・懐かしい名前だ。僕も必死になってお小遣いを貯め、アブのカーディナルを1台買ったが、ボディの蓋を開けてみると歯車の数は国産のもののほうがはるかに多く、今考えて見るとすでに国産リールのほうがはるかに性能的にはよかったように思う。しかし、ルアーの釣りにものすごい憧れと興味をもっていたアホな子供の目にはダイワやオリムピックの釣具というのは目には入らなかった。
ダイヤモンドリールは価格のわりに作りが精巧で滑らかな使い心地だった。紀州釣りにも使っていたが1日に何度も巻いては糸を出しを繰りかえしてもトラブルを起こすことはなかったし、ベアリングが錆びてしまうようなこともなかった。
いいものがそのまま世間に受け入れられることもかなわず、1990年ごろに会社は無くなってしまったそうだ。当時の2大メーカープラス1に挑戦すべく、同じようなスペックのリールを作り始めたのが不運の始まりだったようで、どの時代もいかに独自性を発揮してゆくかがニッチで生きる一番の考えどころのようだ。
最後の章には石器時代の釣り針を使って魚を釣りながら古代史の研究をしている人が出てくる。先月訪れた博物館で見た展示品の中には、ルアーとして使ったものもあったらしい。
(一応、撮影禁止だったのだが、こっそり撮らせていただいた。)
遠い昔は僕が住んでいるこの場所も海だったそうで、数千年前にもここで魚釣りをしていた人々いたというのはなんともうれしい。その時代の人々も食べるためだけに釣りをしていたのではなく、「釣ることが面白い」から一所懸命針を磨いていたのだと思いたい。
やっぱり魚釣りはどの時代も面白いはずなのだ。
そう思うと、魚釣りを教えてくれた父親には感謝をしなければならないのだ。