イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」読了

2024年12月19日 | 2024読書
三宅香帆 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」読了

よく読まれている本らしい。自分が本を読まないことに対する言い訳を見つけるために読もうというのだろうか・・。でもそのおかげで1冊読めたというのであればそれはそれでいいのではないかという、いい意味でちょっと矛盾している本である。

この本の論点とは逆で、僕の読書タイムは通勤電車の中がほとんどなので連休などをしていると逆に本を読まなくなってしまう。しかし、著者の経験では、仕事が忙しくなるとゆっくり本を読めるような精神状態ではなくなりそれが読書量の減衰につながったというのである。著者自身も就職をしてみたものの本が読めなくなり会社を辞めてしまったそうである。そんな経験からこの本を書いたそうだ。

この本で語られる“本が読めなくなる人”というのは一般的なサラリーマン(労働者)のことである。僕なんかは単純に、サラリーマンが本を読まなくなったのはスマホが原因だろうと思うのだが日本のサラリーマンの読書習慣の変遷を覗いてみるとどうもそうではないらしいということがわかってくる。確かに、活字離れ(この本では「読書離れ」と表現されているが・・)はスマホが普及するもっと前、この本によるとすでに1980年代から言われていたらしい。加えて、仕事が忙しいというのは今に限ったわけではなく、明治維新以降、日本のサラリーマンの労働時間は例えば1937年(要は戦前の頃)ですでに1日当たりの残業時間は平均2時間、休日も日曜日だけというはるかに長時間の労働時間であった。そんな中でも昔は本は読まれていた。それが現代になって人はどうして本が読めなくなったのか・・。
そのキーワードは「ノイズ」だという。
読書から情報を得ようとすると、必ず目的以外の情報も入ってくる。これを著者は「ノイズ」呼ぶ。1980年以降、それをムダと考えた出版社は今でいうともっとタイパがよい、おそらく読者が欲している情報はこれだけだと思えるようなことだけが書かれている本を量産しはじめた。社会的地位を得るために必要なものは教養ではなく知識になったのである。
読者もそれに乗って自己啓発本というものがベストセラーとなってゆく。
それ以前、読書から得られる「ノイズ」をひっくるめた情報を著者は「教養」と定義している。
その後インターネットが普及してくるとそれを自分でできるようになってくる。自分が欲している情報はブラウザのアルゴリズムが自動的に提供してくれるようになったのである。
だから本を読む必要が無くなったというのがこの本の途中まで書かれている主張である。
本のタイトルに沿えば、この結論でよかったのかもしれないが、著者はさらに「ノイズ」をムダと感じるようにさせたのは何かということに切り込んでゆく。
「読書離れ」を加速させたのは、バブル崩壊以降、規制緩和が進められたことによるというのである。この本では「新自由主義」と書かれているが、企業間の競争が高まり、それは個人間でも競争が高まるということであった。
一方では会社での社員教育の機会は減り自己啓発は自分でという流れが生まれ、限られた時間の中で効率よく知識を得なければならなくなる。さらにノイズが邪魔になってくるのである。それは、教養では賃金は上がらず、知識のみが世間の荒波を乗りこなすことができる手段と考えられるようになったからでもある。

しかし、自分に必要なもの以外はすべて排除するという考え方は、『他者の文脈をシャットアウトする』ことでもある。著者は、『仕事のノイズになるようなことをあえて受け入れる。仕事以外の文脈を思い出すこと。そのノイズを受け入れること。それこそが私たちが働きながら本を読む第一歩なのではないだろうか。』と提案する。
そのためには『半身で働く』ことが必要であると著者は考える。逆説的なようにも見えるが、全身全霊で働くということは何も考えなくていいから楽だと著者はいう。頑張ったという疲労すら称賛されやすい。しかし、それは自分の文脈でのみ生きることと同じだという。
だから「半身」で働くことが大事なのだというのである。
『仕事や家事や趣味や――さまざまな場所に居場所を作る。さまざまな文脈のなかで生きている自分を自覚する。他者の文脈を手に入れる余裕をつくる。その末に、読書という、ノイズ込みの文脈を頭に入れる作業を楽しむことができるはずだ。』
著者は、これが本当の人間らしい生き方なのだと言っているのだと思う。著者も、このノイズを受け入れる余裕を失くしてしまった。そんな生き方ができない現代をどこかで方向転換しなければならないというのが著者の結論だ。
タイトルを見ていると読書論のように見えるが、本当は、日本人に対して、労働というものの価値観とは何であるかを問う内容の本であった。

著者は、「ノイズ」の重要さを「花束みたいな恋をした」という映画を例えに使っている。僕も以前にこの映画を観たけれども、労働に対する価値観をフィルターとして観てはいなかった。ストーリーはほとんど思い出せなかったけれども、言われてみれば、主人公同士のすれ違いを生んでいくのはこの本でいう「ノイズ」であったように思う。「ノイズ」をムダと思うようになった男と、「ノイズ」こそが生きてゆく上で必要なものであると考える女は離れてゆくしかなかったのである・・。

この本に倣うと、僕は「半身」で働いてきた人のように見える。う~ん、確かにその通りだったかもしれない。ファッションビジネスなどには興味を持つことができず、全身全霊で仕事に打ち込んできたなどとはお世辞にも言えなかった。しかし、リストラもされず定年まで会社に残れたというのはよほどチョロい会社であったということかもしれない。まあ、最後の1年半はリストラされたも同然の状態であったが・・。
“休まない”ということが昇進の必要条件で人事考課も情意考課のウエイトが大半を占めているような会社で働いていたということを考えるとその1年半は妥当な仕打ちであったのだ。それでもちゃんと給料は支払ってくれていたのだから、やっぱりチョロい会社であった。
しかし、そうやって昇進したであろう人たちは自分を棚に上げてのことだが、確かにまったく教養がないように見えた。月に1回なり、数十名の社員を集めて講話のようなことをやっていた人たちは、自分自身が恥ずかしくないのかと思うほど教養のかけらもなく、とりあえずどこかでこの話題を拾ってきましたというような薄っぺらい話をする人ばかりであった。よほどノイズが嫌いであったのだろう。そして、ずっと感じていた会社に対する違和感のひとつはこれであったかと思い至った。
この社会が変わる前に「半身」で生きたいと思っている人にはぜひあの会社に勤めることをお勧めしたい。

最後に、明治以降、日本のサラリーマンが何を読んできたのかということを書き残しておきたいと思う。
日本の近代の歴史の中では、読書は自己啓発を目的として始まった。自分磨きのための情報収集のために本を読み始めたのである。それを踏まえて時代別の読書の変遷を追ってみたいと思う。

明治時代:立身出世を目指す時代。
日本の近代の歴史の中では、読書は自己啓発を目的として始まった。自分磨きのための情報収集のために本を読み始めたのである。職業の自由を得た労働者は、「修養」を必要とした。「修養」とは、“人格を磨くこと”を意味するが、この言葉を初めて用いたのは、「西国立志編」という雑誌であった。その後、修養を説く雑誌、「実業之日本」「成功」が創刊される。「実業之日本」を創刊した出版社はいまでも存在しているらしい。
この時代は黙読をする習慣が誕生した時代でもあった。それは句読点が導入され、朗読が主体的であった江戸時代から本を個人で読むことができる時代になった時代でもあった。
加えて、活版印刷の技術が導入され、大量の書籍が市場に出回るようになった。図書館も各地で作られ、学生主体であったが好きな本を好きなだけ読むことができる環境が整ってきた時代でもあった。

大正時代:「教養」が隔てたサラリーマンと労働者階級
「中央公論」が創刊された時代。この雑誌はいわゆるエリート層に読まれた雑誌である。生まれながらに「修養」を身に付けていたエリート層はさらにその上をいく「教養」を身につけたいと考えた時代であった。そして、労働者階級では、「修養」が自分の価値を上げるための自己啓発の思想として浸透していった。
一方では、日露戦争が終わり、巨額の外債を抱え、戦後恐慌による不景気が社会を襲い、社会主義、宗教的な書籍がベストセラーとなった。
「出家とその弟子」「地上」「死線を超えて」というような書籍である。
その不景気の中で、サラリーマンは物価高や失業に苦しんだ。そんな疲れたサラリーマンに読まれたのは谷崎潤一郎の「痴人の愛」であった。叶えられない妄想を読書の世界で叶えたいと思う読者に支持された。

昭和戦前、戦中:「円本」の時代
1923年の関東大震災は出版の世界にも打撃を与えた。紙の値段も上がり本の価格も上がり出版界はどん底にあったが、改造社が創刊した「現代日本文学全集」が革命を起こした。1冊1円なので「円本」と呼ばれた(現代の価格にすると2000円くらいになるらしい。当時の単行本はその倍以上の2円~2円50銭というのが一般的であった。)。全集で揃えて応接にインテリアとして飾っておくという文化が生まれた。昭和初期、本を読んでいるということは、教育を受け学歴がある。すなわち、社会的階層が高いことの象徴であった。そして、円本は古書として出回り、農村部にまで読書の習慣を育んでゆく。
教養の象徴としての読書の反動として大衆向けの週刊誌の創刊もこの頃であった。「キング」「平凡」が「中央公論」のアンチテーゼとして存在し、連載されていた小説は「大衆小説」「エンタメ小説」として「純文学」とは一線を画すジャンルに成長してゆく。

昭和戦後1950年~1960年代
1950年代、ブルーカラー層とホワイトカラー層が共通に読んでいたのは雑誌であった。大正時代から戦前、教養はエリートのためのものであったが、この時代、中学卒業の労働者にも教養を身につけたいという需要があった。定時制高校に通いながら読んだのは「葦」、「人生手帳」などの「人生雑誌」と呼ばれるような雑誌であった。
同時に娯楽小説というジャンルも人気を博してきた。いわゆるサラリーマン小説というもので、その筆頭は「源氏鶏太」であった。
1960年代に入ると、新書が相次いで創刊される。書籍が「教養」から「知識」志向に転向してゆく形がはっきりしてくる。その最たるものが「カッパ・ブックス」であった。今でも古本屋に行くとたくさんのタイトルが売られていて、確かにタイトルにはそそられるがあまりにも胡散臭くて読む気にはならないというのが僕のカッパ・ブックスに対する印象である。

1970年代
この時代の人気作家は司馬遼太郎であった。ビジネスマンに偏って読まれていたそうだ。歴史という教養を学ぶことで、ビジネスマンとしても人間としても、優れた存在にのし上がることができる。」という感覚の帰結であったと考えられている。
同時に、テレビがベストセラーを生むという現象も生まれてくる。大河ドラマの原作、欽ドンのコント本。テレビとは違うが、僕の思い出として残っている、「鶴光のオールナイトニッポン」の本をギラギラしながら読んでいたのも1970年代の終わりごろであったと思う。

1980年代
この頃から、「読書離れ」ということが言われ始める。しかし、ミリオンセラーとなる書籍も生まれていた。「サラダ記念日」「窓際のトットちゃん」「TUGUMI」「ノルウェイの森」などだ。
著者の分析によると、当時のベストセラーはすべて1人称、すなわち、自分視点で書かれていたということが特徴であった。この時代、コミュニケーションの問題が最も重要視され、他人とうまくつながることができないという密かなコンプレックスが1人称視点の物語を欲し、それはまた、労働市場において、学歴ではなくコミュニケーション能力が最も重視されるようになったということを意味していたのではないかという。

1990年代
この本でいう、自己啓発は自分でという流れの時代である。同時にバブル崩壊後の不安な時代でもあり、スピリチュアルな一面を持った作品がベストセラーとなる。さくらももこの作品群、「パラサイト・イヴ」「脳内革命」・・。あまり共通点はなさそうだが、いずれも、自分の内側の在り方というものがテーマとなっていた。そこから自己啓発へ仕向けてゆくという流れであった。

2000年代
「自己実現」という言葉がクローズアップされてきた時代である。そういえば僕も会社でそういうことをよく言われていた。ここには僕が自己実現できる場所はないとずっと思っていたが・・。
その象徴が、「13歳のハローワーク」であったという。自己実現はなにも仕事を通してでなくてもよいのだが、やはり仕事の存在抜きにしては語れないというところが大きい。
もうひとつの特徴は、インターネットがベストセラーを生むという現象だ。1970年代はテレビがその主役であったが、「電車男」はインターネットが生んだ小説の代表であった。

2010年代
この時代も、この本でいう「ノイズ」が排除された書籍が人気を博していた。僕はすでにこのころには「ノイズ」がないと読めなかったのか、「人生の勝算」「多動力」「めんどくさがる自分を動かす技術」などというタイトルの本はこの本を読むまで知りもしなかった。

1970年以降のベストセラーを眺めてみると、確かに僕もそれは読んだという本がいくつかある。途中までは僕も時代の流れの中で自己啓発でもやってみようかと思っていたようである。「ノイズ」を払しょくできない僕が自己啓発から脱落したのが2010年代であったというのは、確かにそのとおりである。きっと著者の分析は正しいというのは僕の読書歴からも覗えそうだ。
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