イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2017年01月09日 | 2017釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 4:04満潮 9:31干潮
釣果:コウイカ 1匹

年が明けて10日近くになろうというのに海に出られない。昨日の天気予報でも今日は冬型の気圧配置だ。
しかし、今日もとりあえず夜明け前に目を覚まし、空の様子を見る。
??、風がない。ひょっとして行けるのではないか・・・。
風は間違いなく吹いてくるだろうし、小船のエンジンはもう3週間以上も回していないので初釣りはコウイカ狙いだ。

風が出る前に釣りを終えたいと思い暗いうち、午前6時に家を出発。冬至十日過ぎたらアホでも分かるということわざがあるが、確かに夜明けの時間はどんどん早くなってきている。港に到着したころには薄っすらと明るくなっていた。

風はないけれども、一文字の切れ目を越えると大きなうねりが出ている。多分大きいと言えるようなうねりではないのだが、船が小さいので若干の恐怖を感じる。



沖へ向かうのは断念して新々波止と沖の波止の交差点からスタート。
仕掛けを下してわずか5秒ほどだった、多分アタリ?という違和感があって、大きく合わせると本当にイカが乗ってきた。

ひょっとして今日はすごい日に当たってしまったのではないだろうかとものすごく期待したもののその後はまったくアタリがない。
潮は上げの最中なのだがまったく動いていない。仕掛けは流れすぎても困るが真下に下りたままというのはもっと困るのだ。



結局、午前8時半まであちこちウロウロしてみたが気力がなくなり今日は終了。

そうすると、今日の1匹というのは何だったんだろうか?どうして釣れたのだろうか?
今日の時合の最後だけをギリギリ掴むことができたということだろうか?それとも、前回の神社めぐりでお参りするのを忘れていた矢の宮神社にお参りをしてから港に向かったご利益だったのだろうか?
それとも、姿の見えない何者かが、「そうか、そうか、そんなに釣りがしたいのなら3時間だけ時間をやろうじゃないか、1匹だけ釣らせてやろうじゃないか。」と僕にチャンスを恵んでくれたのだろうか・・・?
夜明けから2時間ほど、この時だけ冬型の気圧配置が一瞬だけ緩んだような気がする。日本海にあるはずの等圧線が消えている。



どちらにしても、不安定な天気という中で初釣りをボウズを免れて追われたのは幸先がよいと思っておこう。


帰宅してから、十日えびすのお参り。この時間にはかなりの北風になっていた。早い目に切り上げて今日はよかった。



今年も安全に魚が釣れますように・・・。


記録:
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「「酒」と作家たち 」読了

2017年01月09日 | 2017読書
浦西和彦 編 「「酒」と作家たち 」読了

本書は作家と酒というテーマで小説家、文芸評論家、詩人、歌人をそれぞれにゆかりがあった作家が思い出として書いている。
「酒」という雑誌に連載されていたものだそうで、対象になった作家たちは執筆された時点ではすでに物故している。
文芸評論家や詩人、歌人となるとその人そのものを知らないのでなかなか退屈になるのだが、作家については書かれた人、書いた人とも幾人かはなんとなく知っていたり、著作を読んだこともあったりする。

師のお酒については柳原 良平が書いているが、これは前回読んだ、「大阪で生まれた開高健」に掲載されていたものと同じで、この雑誌から引用されたもののようだ。
中上健次については保高みさ子という作家が書いていて、その酒豪振りと酒乱ぶりが面白く書かれていた。
そして、発見がひとつ、津本陽という作家は和歌山市出身というのは知っていたが和歌浦に生家があるそうだ。そして、師も同人であった「VIKING」に参加をしていたそうだ。エッセイの内容は、その主宰者であった富士正晴の自宅でおこなわれた新年会の模様であった。しこたまお酒を飲んで豊中から地下鉄に乗って南海電車で和歌山市駅からバスに乗って和歌浦へ・・・となっていた。
和歌浦のどこだったのだろうと調べてみたら和歌浦の国道42号線が大きく曲がる三叉路にある古い家だった。今でもよく通る道で、この場所だけ利用価値がないのか、古い家が残ったままで、そこが津本陽の実家だとはまったく知る由もなかった。いつもボ~っとして前を通っているだけで、改めて見に行ってみるとそこはすでにコンビニの駐車場になってしまっていた。




大半のエッセイは昭和40年代から60年代に書かれたものをまとめているようなのであるが、この時代の作家の文章のうまさというのはすばらしいと感じる。対象になっている作家に興味があるからよけいにそう感じるのかもしれないが、文章の硬さというか、言い回し、言葉遣いのうまさというのが素人でも十分わかってしまう。
ある作家の文章に、放歌高吟という言葉が出てくる。この本の文章がすばらしいのはまた、作家の酒の飲みかたがそういう言葉のとおりなのだからとも思う。僕たちがグダグダ会社の悪口や変な噂話を肴にして飲んでいるのとはわけが違う。だから僕は宴会というものがどうも苦手だ。もう少し頭と品がよければおいしいお酒も飲めるのであるが、今日もひとりで電車に揺られながら不味い缶チュウハイを飲むのだ。

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