イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「本日釣り日和―釣行大全 海外篇 」読了

2017年12月05日 | 2017読書
夢枕獏 「本日釣り日和―釣行大全 海外篇 」読了

前回読んだ本の続編だ。単行本出版時は1冊だったものを日本編と海外編に分けて文庫化されたそうで、あとがきもこっちにだけ書かれている。

モンゴルやニュージーランドでマス釣り。そして著者が一番のメインにしているアユ釣りをニュージーランド、中国大陸で試みている。
マスは釣れてもアユというのはそうそう楽ではないようだ。台湾にはいるときいたことがあるけれども、ニュージーランドや中国大陸までいたというのは驚きだ。ただ釣果となると厳しいようで、まあ、作家は釣れても釣れなくても文章は書けるから、どうでもいいじゃないか。

僕も釣りが好きで、今年も釣行回数が50回を超えてしまったほどだが、遠くへ釣りに行きたいとは思わない。最近はとくにそうで、磯釣りも今年はとうとう枯木灘を目指すことなく初島で済ませてしまった。
泊りがけで離島を目指して超大物を狙うというのは豪快で格好がいいが、はなっから行く気さえおこらない。そんな世界を垣間見たことがないから想像できないのか、昔から何をするのも億劫な性格だったからなのかそれさえも自分ではわからない。ただ、お金と時間がないというのも間違いがないことであるが、本当に釣りが好きならそれを職業にして、テレビに出てくる怪魚ハンターみたいな人を目指せばいいじゃないかと言われると何も言い返す言葉がない。
「人は移動した距離で器の大きさがわかる。」という言葉があるけれども、世界を股にかけて釣りをする著者はさすがだ。
ほぼ半径10キロメートルで生活を済ませてしまっている僕はやっぱり器が小さいということだ・・・。

しかし、夢枕獏というと相当なベストセラー作家だが、その文体は椎名誠と野田知佑を足して2で割って開高健をまぶしたような・・・。要するにどこかで読んだことのある感じの文章だ。リスペクトしてわざとそうしているのか、著者の本はこれしか読んだことがないけれどもそこがちょっと残念だ。

されど、はやり人気作家。う~んとうなされる箴言をいくつか・・。
「いや、きみのその顔を、私は見たことがあるよ」
   これは魚をやっと釣り上げたときの感覚はみんな同じであるということ。

「竿を出している限りにおいて、釣り人は風景にかかわっている。」
   30センチのイワナが今まさに自分の鉤にかかって竿をしぼり上げている瞬間というのは、けっして、ささやかな事件ではないのである。

「釣り人は、常に、希望と絶望というふたつの淵の間に立ってキャスティングをする。」

「はっきり書いておけば、人間には二種類しかいない。釣り人と釣り人でない人の二種類である。」

そして、アメリカではボウズのことをスカンクという。
僕もこれからはかっこよく、ボウズのことをスカンクと言うことにしよう。
コメント
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