イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「R帝国」読了

2017年12月25日 | 2017読書
中村文則 「R帝国」読了

筆者は「教団X」という小説の作者だ。本書も人気があるらしく、図書館で9月に貸し出し予約をしてやっと順番が回ってきた。僕の後にも4人の貸出待ちの人がいる。

内容は極端な監視社会になり、国民の思想までもコントロールされてしまっている「R帝国」が舞台のデストピア小説である。

あらすじを書いてしまうとこれから読もうとする人に申し訳ないので書かないで置くが、小説ほども極端ではないにしろ、多分、これからほとんどの国が向かっていくかもしれない状況を予測しているかのようである。

現実の世界ではその芽はいたるところで小さく芽吹いているようだ。世界はグローバル化への道を突き進んではいるけれども、その実、ナショナリズム、個人の利益などどんどん反対方向に向かっていっているような気がする。ヘイトスピーチや従軍慰安婦問題なんかもその一端かもしれない。アメリカをはじめとするナショナリズムの台頭。スコットランドやカタルーニャの独立問題。数えてゆくといくらでも出てくる。

小説ではこれらもすべて仕組まれたものであるという設定で進められてゆく。対立する国として「Y宗国」「C帝国」「B国」などが出てきてテロの仕掛け合いをするけれどもそれさえも裏でそれぞれの国が糸を引いている。現実の世界でもそうなのだろうか。実はそうやって世界は均衡を保ち、テロが起こって人が死ぬことで利益を得る人たちがいるのだろうか。

そうではなくとも、この小説のなかにもこんな内容を話す登場人物が出てくる。
すでにこの国でも虐げられたどこかの国の人たちの犠牲があって成り立っている。しかし国民はそれを認めたくない。罪悪感を鎮める情報が欲しいのだ。

今のマスコミもそうではないだろうか。弱いものをとことん叩き潰す。それで人々は溜飲を下す。それが誰かが意図しておこなっているとしたら恐ろしい。

一見、きれいな国に見えてもベリッと一皮剥けばそういうドロドロしたものが渦巻いている。それを飲み込むのが政府というものだ。政治家が汚いのではない。その政治家や社会に癒されている民衆が汚いのだ。
それを否応なしに見せつけ、警鐘を鳴らそうとしているのがこの小説であるような気がする。

ただひとつの希望があるとすれば、著者がそれぞれの国をアルファベットで表しているということではないだろうか。自分が所属している国や組織はアルファベットのような記号でしかない。ただの記号でしかないのだ。人の生き方というのは記号に左右されものではない。されてはいけないのだというメッセージと受け止めたい。
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