イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「仕事と日本人」読了

2019年01月12日 | 2019読書
武田晴人 「仕事と日本人」読了

この本の最後近く、まとめのような部分に、現代の経済学は労働の捉え方というのは、「労働」という奴隷の時間を耐え忍んで、「余暇」という人間的な時間を暮らすことである。というのが定説であると書いている。
多くの人が薄々感じながら、もしくは実感しながらもきっとそれをそう思わないようにしようとしてきたものが露骨に書かれてしまっている。という感じだ。
そしてこの本の前半はどうして日本人が「労働」に対してネガティブな印象を持ってしまったかということが説明されている。

労働という言葉がいつごろか使われ始めたか、それは以外と新しく、1888年頃だそうだ。そして、現在のように、電車なり車に乗って仕事場に行き決まった時間に仕事を始めて決まった時間(いつまでも仕事をして決まった時間に帰らない人も多いが・・)に家に帰るという労働パターンが庶民にまで(城勤めの武士などはすでにそうであったが、)広がったというのもそれほど古いことでないらしい。
労働とは、「骨折り」というイメージから、仕方なくやっているイメージでできれば忌避したいものであると認識される。そしてマルクス経済学では労働者はその労苦の引き換えとして生活の糧を得るとしているから余計にそのイメージが大きくなる。しかし日本人は“勤勉”と言う名の元に余暇とのバランスを省みず長時間労働に励んできたというのが近代日本の歩んできた道だった。

本来、余暇と労働というのは、労働時間が短く余暇の時間が長いほど人間にとっては効用は大きくなるはずなのである。労働に費やして消費が増えることによる効用と余暇で得ることができる効用との均衡点が最善であるけれども、日本人はそれを超えてまで労働してきた。それはまるで余暇をおカネで買い取れるがごとくであった。
明治初期のような労働哀歌のような世界ではなくなったけれども、相変わらず労働者は時間と効率に縛れてがんじがらめになってしまった。

というのが前半の話で、後半では労働に費やす時間の問題に多くの部分を割いている。日本人は諸外国に比べると非常に労働時間が長いと言われているけれども、どうしてそうなったかということを近代の歴史の中で見ている。
ウチの会社もそうであるようだけれども、会社に長く居るひとの方が仕事ができる人というのがなんだか一般的な認識のようである。こうなってしまった大きな原因は、アメリカのように、個人の仕事の範疇が明確にされていないからなのである。確かに、自分はどこまでやっておけばいいのかというのがよくわからない。僕はそれを逆手にとって知らんふりを決め込むのであるけれども・・。
そしてもうひとつの大きな原因が日本特有の終身雇用制度であるという。簡単に社員を解雇できないので残業がその調整弁になったということだ。

時間という資源は限られている。会社から見ると資源だが、個人の側から見てもそれはお金では買えない貴重な資産であるといえる。給料というものは寿命とお金を交換するものであるとも言い換えることができるのではないだろうか。この、“交換”という概念ができあがったのも近代である。それまではひとつの仕事でどれだけのお金をもらうかというプロジェクト的な働き方であったけれども、定時に出社して定時に帰るという制度が出来上がると、働くということが時間とお金を交換するという行為になってしまった。
そしてそこから生まれてくるのが仕事をする意義、もしくはやりがい、そういった精神的な部分と生きるための糧を得るという行為が分離してしまった。
また、「賃金」というとそういうプロジェクトが完成した対価として受け取るものように見えるが、それが「給料」になると文字通り、“料を給わる”という労働者が見下されているような意味合いがさらにネガティブな印象を強くした。
そういう意味では時間が経ったこともわからずに仕事に没頭できる人という、萬平さんのようなひとというのが本来の仕事をしている人であると言えるのだろう。

著者はその「労働」という奴隷の時間を耐え忍ぶのではなく、かつてそうであったであろう、やりがいや他の人の役に立っているという満足感、そして自己実現、そういうものを取り戻さねばならないと説く。それを、“労働の主になる”という言葉で表現している。
現代の労働のすべては労働力とお金の等価交換(等価ではないかもしれないが・・)であって、お金にならない労働は労働と呼べなくなっているけれども、“労働の主”となることによって、等価交換を超えた働き方があるのではないかと結んでいる。
しかし、まあ、それでも、給料をもらわないことにはお米が買えないんじゃないかという問題は残ることになるのではないかとも思うが、それについての言及は最後までなかった。



ネットで読んだコラムに、『若き「ぱぱ社長」の悩み』というものがあった。簡単にまとめると、自分で自分の口を養っている独立自営の父親のもとで育った子供たちは会社のためすべてをささげようという筋金入りのサラリーマンの生活になじめないという。
懇親会や歓送迎会といった非公式の社内行事のいちいちに苛立ちをおぼえ、「どうして給料も出ないのに上司やら部下やらと同席しないとならないのか」、「自腹で説教されるとか信じられない」といい、上司や部下との家族ぐるみの付き合いや、冠婚葬祭にともなうしきたりやタブーといった勤め人の「常識」がわからないというのだ。

これ、なんだか僕にも当てはまるような気がするのだ。僕の父親は社長でもなんでもなく普通のサラリーマンであったけれども、僕の祖父、父親の父親は少なくともサラリーマンではなかった。漁師と箪笥職人の兼業で暮らしていたらしい。らしいというのは僕がものごころついたころにはすでにリタイアをしていたし、どうも漁師と箪笥職人の兼業というのもなんだかピンと来ない。本当にそんな生き方があるのかというのが今でも思うところなのであるが、少なくとも時間と効率に縛られたような生活をしていなかったのは事実だ。そしてそれを見てきたであろう父親も僕が見ていてもまあ、サラリーマン生活にはなじめないような人だった。あまり人付き合いはよくなかったし、釣りが大好きでそれを中心に生活が回っていて、分業というよりもなんでもとりあえず自分でやってしまいたい人であった。
そしてそれを見ていた僕も同じような人生観を持ってしまったようだ。自分でもあきれるくらいよく似ていると思うようになった。
休日でもいそいそと出勤し、いつまでも家に帰らない先輩や同僚に対して、あそこまでよくもやれるものだと尊敬と軽蔑のアンビバレントな感情をずっと抱いていた。

僕はそれに輪をかけてサラリーマン、それも営業職に向かない決定的な弱点がある。地頭が悪いのだ。それは記憶力の無さにつながっている。人の名前と顔を覚えられない。これも人付き合いのよくなかった父親譲りのものなのだろうかとうらめしくなるときがある。

こんなことを書いているのも、今年の春にはもう役職停年になってしまう年齢になってしまった。
おそらくは今年の春には今の職場は別のところに異動になるのだと思う。よくもまあ、30年間もそれを隠して(隠せていたかどうかは疑問だが・・)リストラもされずに乗り切れたものだと思う。僕の芝居が上手かったのか、それともあまりにも会社が能天気でそういうことに目をつむっていてくれたのか、どちらかであったのだと思う。
この本の前半のように、悲しいかな僕も働くということに対しては生きがいではなく、ネガティブな印象を持ち続けることしかできなかった。とくに管理職になってからは一層そういう気持ちが強くなったような気がする。
ただ、そんながん細胞か寄生虫のような人間を生かし続けてくれた会社にはやっぱり感謝をしなければならないんだろうなとは思うのである。(するのは感謝だけなのだか。)
そしてその後の生き方みたいなものも考え始めなければならない頃でもあるのだが、この本の結びのように、今度こそ“労働の主”となって、社会貢献や自己実現につなげたいと思うけれども、結局、地頭の悪さとそれをなんとか努力でカバーしようという勤勉さもないようでは最後まで残り少ない寿命を切り売りして糊口をしのいでいくだけになるのが関の山だと思うと、これから先もなんだか情けない。結局、そんな結論になってしまった。
コメント
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