頭木弘樹 「食べることと出すこと」読了
ある単語をキーワードにアマゾンで本を探していたらこの本を見つけた。探していた単語とはまったく関係がなさそうなタイトルなのだが、本の中に出てくるカフカという単語にキーワードが合致したようだ。
元々、“出すこと”については悩みがあったりなんとも嫌な思い出があったりで興味があったので手に取ってみた。
著者については変わった苗字の人だなとしか思っていなかったが、奥付けを読んでみて、「絶望名言」の著者であるとわかた。だからカフカという単語でヒットしたわけだ。連作で2冊も読んでいたのに著者の名前さえも忘れていたということだ。
本を手に取るまでは、食べる事、出すことについての悲喜こもごもが書かれているのかと思っていたのだが、「絶望・・」の中で、著者はかつて潰瘍性大腸炎に苦しみ、カフカに出会うことで心理的な面で病に対峙することができたというようなことを書いていたので僕の期待とはまったく異なり潰瘍性大腸炎の闘病記やそこから見えてきた人生観というような内容になっている。
ウイキペディアを見てみると、潰瘍性大腸炎について、『大腸粘膜に潰瘍やびらんが多発することで、血便を伴う下痢や激しい腹痛などの症状が現れる炎症性慢性疾患。発症原因が不明であることや、重症化すると大腸摘出手術が必要になったり、最悪の場合は死亡するケースもあることから、厚生労働省から難病(旧 特定疾患)に指定されている。』と書かれている。別名をクローン病というのだと思っていたが、大腸だけが炎症を起こすのがこの病気で、クローン病は消化管のどこでも発症するという違いがあるそうだ。(かなり大雑把な説明だが。)
発病する原因は今でもはっきりわからないそうだが、これも自己免疫疾患のひとつであるようだといわれている。難病に指定されているにしては患者数は結構多くて、日本では2020年で22万人も患者がいるそうで、人口の50人にひとりはこの病気だということになる。コロナ患者よりもはるかに多い感じだ。たしかに僕の周りにも友人がひとり、かつての同僚がひとりいた。アベ元総理もこれだったらしい。
腸がダメになるのだから、食べてはいけないし食べないと栄養を摂ることができない。著者も飢えや味覚の変化に悩んだりうろたえたりする。カフカは菜食で小食で間食もせず、アルコール類や刺激物もなるべくとらないという、極端な食事制限をしていた。そういったところが著者の共感を呼んだところでもあったらしい。
おかげさまで僕は今のところまったく胃腸については大して障害もないのでなかなか共感できる部分がないのだが、文体は堅苦しくなく少し砕けた部分もあったりしてあまり悲壮感を表に出しているということもないので闘病記の割には面白く読めるのだ。
しかし、闘病記ではない部分、それは、食べられない、出せないということを通して見えてきた、人が“食べるということ”に対して栄養補給以上のものを託して生きてきたということを考察する部分はなんとも深く人生を見ているなと生まれ年が同じである著者に尊敬の念を抱くのだ。
“食べるということ”に対しては、こんな書き方をしている。『うまく生きられない人間は、うまく食べることもできないのではないか。』
人が誰かと話をするとき、すなわち、コミュニケーションを取ろうとするとき、人と人の間には必ず食べ物が置かれる。言われてみれば確かにそのとおりだ。たとえお茶の一杯でも置かれている。そしてその意味とは、同じ場所でおなじ食べ物を食べるということがすなわち相手を敵視していない、仲間であるということを表現している。著者の友人のテレビディレクターは、世界の辺境で取材をおこない、評価の高いテレビ番組を作っているが、その秘訣は現地の人が食べている物を食べることで相手の心を開かせるとだと言ったそうだ。これは世界のどこへ行っても同じらしい。そういえば、接待問題で辞職した内閣広報官は、「飲み会に絶対断らない女」だと言われていたそうだ。しかし、それに耐えられない人もいる。著者は病気
が原因で普通の人が食べられるものが食べられないことから会食恐怖症になるのだが、病気でなくても、そういう人もいる。確かに僕もそういう傾向がある。特に会社での飲み会は苦手で、けっこう手持ち無沙汰にしていた。だから、幹事をしてせわしなくみんなの席を動き回っているほうが気が楽だったりした。会社の中はあまり居心地のいいところではないとずっと思ってきたけれども、それは、「うまく食べることもできない」ということに起因していたのかもしれないのだ。
そして、出すということに対しては、『いつ洩れるかわからない恐怖。』『そして漏らしてしまった時の恥ずかしさ。』ということが書かれている。
これも著者が常に下痢を伴う病気であったことから気付くことなのであるがまさにそのとおりだ。そしてそれは、『排泄と恥は強く結びついている。』という結論に達するのである。まさにそのとおりと思うのは、この後で自分の体験談を書くつもりだが、僕もかつてそうであったからなのである。
そして、恥をかくということは、かかされた相手に対しての服従を意味するというところまで論が進んでゆく。
いくつかの例が挙げられていたところでは、著者が学生のころ、とびきり美人で高嶺の花のクラスメートがトイレに駆け込んだ。教室とトイレはすぐそばにあり、水を流す音は教室内にも聞こえてきた。クラスメートが教室に戻ったとき、ある男子生徒が彼女に次の休みに映画に行こうと誘った。普通なら絶対にかなわないことのはずだが、彼女はあっさりそれを承諾した。これも排せつの現場を押さえられたという引け目が引き起こしたことではなかったかと著者は回想する。また、優秀なクラスメートが他の生徒を非難しているとき、「幼稚園のときにウ〇コ漏らしたくせに偉そうなことを言うな。」と言われてシュンとなってしまったというエピソードも紹介されていた。
新入社員に宴会で恥ずかしい芸をさせるのも、この“服従させる”という目的もあるのではないかと考察は進んでゆく。
こういったことが様々な文学作品からの引用を使って述べられているのでなおさら説得力が増してくるのである。
僕も、著者の足元にも及ばないけれども、僕のウ〇コ人生について書いてみたいと思う。
僕のブログの14、5年前の投稿にはダイエットの話題がよく出てくる。
当時、体重90キロを目前にしてこの大台を超えてしまうと僕はヒトではなくなると恐れおののき、一大決心をしてダイエットに挑もうとしていた。ちょうどその時に読んでいたのが、「いつまでもデブと思うなよ」という本で、この本のダイエット法が僕の体に合ったのか、みるみるうちに体重が減っていった。
その時に劇的に変わったのがウ〇コの形状だった。身長170センチで90キロ近い体重を維持しようとすると、さすがに結構な量の食事をしていた。満腹中枢がイカれていたのか、常に胃袋に何か入っていないと不安感があるという感じであった。だから出る量も多い。それも入ってくる分量を消化しきれないのかどうかはわからないがほぼ形をとどめることができないほど柔らかい場合がほとんどであった。ちなみにそのころに受けたバリウム検査では、「あなたの胃袋にはしわがない。」と言われた。僕の勝手な解釈だが、食べ過ぎで胃の壁が伸びきっていたのではないかと思う。僕ももう一息頑張っていればフードファイターとして大成していたかもしれないと思うこともあった。(その前に死んでいたかもしれないが・・)
そして、便意は所かまわず襲ってきて、ここではまずいだろうという場面も数えきれないくらいあった。磯の上や船の上では何回も脱糞したことがある。(これはこれでお尻を撫でてゆく風は心地がいいのであるが・・)
それが、ダイエットを始めたと同時にウ〇コは固くなり、普通の人が想像するような形状に変わった。ダイエットを初めて1週間もしないうちに約8キロも体重が減ったのだが、おそらくはおなかの中に留まっていたウ〇コが全部出てしまった結果ではないのかと今でも思っている。
それ以来、よほどのことがない限り固いウ〇コが出るようになったし、突然の便意を心配することもなくなった。
だから、僕は今でも、ダイエットの要諦は、方法はどうであれウ〇コを出すことであると思っている。ところが、釣りに行く日の朝は大抵それが出ない。あまりにも朝早く起きると直腸は準備不足に陥るようだ。
だからそんな日はどうも体調が悪いような気がしてならない。そして体を動かしているはずなのに体重は増えているというようなジレンマにも陥る。
そう思うと確かに快適にウ〇コをするということは人生のなかでこの上なく大切なことであると思うのだ。僕は地元では有名な進学校に通っていたのだが、高校1年の同級生の中には東大の医学部に行ったやつもいた。多分、NHKの「ためしてガッテン」だったと思うが、そいつが肛門科の先生として出演していた。東大出てまで他人の尻の穴を見んでもよかろうなんて言っていたら、奥さんが、「何言ってんの、出すことほど大事なものはないのよ!」とえらく自信を持っていっていたが、この本を読むと確かに納得できる。
惜しむらくは、老いてのち、家族を含めて他人の誰かに下の世話をしてもらうことなく人生を終えたいものだと思っている。
ここまでは誰かに負い目を負わずにやってきた。(劣等感は相当なものであったが・・)最後に排せつで負い目を負う事は避けたいと思うのである。
ある単語をキーワードにアマゾンで本を探していたらこの本を見つけた。探していた単語とはまったく関係がなさそうなタイトルなのだが、本の中に出てくるカフカという単語にキーワードが合致したようだ。
元々、“出すこと”については悩みがあったりなんとも嫌な思い出があったりで興味があったので手に取ってみた。
著者については変わった苗字の人だなとしか思っていなかったが、奥付けを読んでみて、「絶望名言」の著者であるとわかた。だからカフカという単語でヒットしたわけだ。連作で2冊も読んでいたのに著者の名前さえも忘れていたということだ。
本を手に取るまでは、食べる事、出すことについての悲喜こもごもが書かれているのかと思っていたのだが、「絶望・・」の中で、著者はかつて潰瘍性大腸炎に苦しみ、カフカに出会うことで心理的な面で病に対峙することができたというようなことを書いていたので僕の期待とはまったく異なり潰瘍性大腸炎の闘病記やそこから見えてきた人生観というような内容になっている。
ウイキペディアを見てみると、潰瘍性大腸炎について、『大腸粘膜に潰瘍やびらんが多発することで、血便を伴う下痢や激しい腹痛などの症状が現れる炎症性慢性疾患。発症原因が不明であることや、重症化すると大腸摘出手術が必要になったり、最悪の場合は死亡するケースもあることから、厚生労働省から難病(旧 特定疾患)に指定されている。』と書かれている。別名をクローン病というのだと思っていたが、大腸だけが炎症を起こすのがこの病気で、クローン病は消化管のどこでも発症するという違いがあるそうだ。(かなり大雑把な説明だが。)
発病する原因は今でもはっきりわからないそうだが、これも自己免疫疾患のひとつであるようだといわれている。難病に指定されているにしては患者数は結構多くて、日本では2020年で22万人も患者がいるそうで、人口の50人にひとりはこの病気だということになる。コロナ患者よりもはるかに多い感じだ。たしかに僕の周りにも友人がひとり、かつての同僚がひとりいた。アベ元総理もこれだったらしい。
腸がダメになるのだから、食べてはいけないし食べないと栄養を摂ることができない。著者も飢えや味覚の変化に悩んだりうろたえたりする。カフカは菜食で小食で間食もせず、アルコール類や刺激物もなるべくとらないという、極端な食事制限をしていた。そういったところが著者の共感を呼んだところでもあったらしい。
おかげさまで僕は今のところまったく胃腸については大して障害もないのでなかなか共感できる部分がないのだが、文体は堅苦しくなく少し砕けた部分もあったりしてあまり悲壮感を表に出しているということもないので闘病記の割には面白く読めるのだ。
しかし、闘病記ではない部分、それは、食べられない、出せないということを通して見えてきた、人が“食べるということ”に対して栄養補給以上のものを託して生きてきたということを考察する部分はなんとも深く人生を見ているなと生まれ年が同じである著者に尊敬の念を抱くのだ。
“食べるということ”に対しては、こんな書き方をしている。『うまく生きられない人間は、うまく食べることもできないのではないか。』
人が誰かと話をするとき、すなわち、コミュニケーションを取ろうとするとき、人と人の間には必ず食べ物が置かれる。言われてみれば確かにそのとおりだ。たとえお茶の一杯でも置かれている。そしてその意味とは、同じ場所でおなじ食べ物を食べるということがすなわち相手を敵視していない、仲間であるということを表現している。著者の友人のテレビディレクターは、世界の辺境で取材をおこない、評価の高いテレビ番組を作っているが、その秘訣は現地の人が食べている物を食べることで相手の心を開かせるとだと言ったそうだ。これは世界のどこへ行っても同じらしい。そういえば、接待問題で辞職した内閣広報官は、「飲み会に絶対断らない女」だと言われていたそうだ。しかし、それに耐えられない人もいる。著者は病気
が原因で普通の人が食べられるものが食べられないことから会食恐怖症になるのだが、病気でなくても、そういう人もいる。確かに僕もそういう傾向がある。特に会社での飲み会は苦手で、けっこう手持ち無沙汰にしていた。だから、幹事をしてせわしなくみんなの席を動き回っているほうが気が楽だったりした。会社の中はあまり居心地のいいところではないとずっと思ってきたけれども、それは、「うまく食べることもできない」ということに起因していたのかもしれないのだ。
そして、出すということに対しては、『いつ洩れるかわからない恐怖。』『そして漏らしてしまった時の恥ずかしさ。』ということが書かれている。
これも著者が常に下痢を伴う病気であったことから気付くことなのであるがまさにそのとおりだ。そしてそれは、『排泄と恥は強く結びついている。』という結論に達するのである。まさにそのとおりと思うのは、この後で自分の体験談を書くつもりだが、僕もかつてそうであったからなのである。
そして、恥をかくということは、かかされた相手に対しての服従を意味するというところまで論が進んでゆく。
いくつかの例が挙げられていたところでは、著者が学生のころ、とびきり美人で高嶺の花のクラスメートがトイレに駆け込んだ。教室とトイレはすぐそばにあり、水を流す音は教室内にも聞こえてきた。クラスメートが教室に戻ったとき、ある男子生徒が彼女に次の休みに映画に行こうと誘った。普通なら絶対にかなわないことのはずだが、彼女はあっさりそれを承諾した。これも排せつの現場を押さえられたという引け目が引き起こしたことではなかったかと著者は回想する。また、優秀なクラスメートが他の生徒を非難しているとき、「幼稚園のときにウ〇コ漏らしたくせに偉そうなことを言うな。」と言われてシュンとなってしまったというエピソードも紹介されていた。
新入社員に宴会で恥ずかしい芸をさせるのも、この“服従させる”という目的もあるのではないかと考察は進んでゆく。
こういったことが様々な文学作品からの引用を使って述べられているのでなおさら説得力が増してくるのである。
僕も、著者の足元にも及ばないけれども、僕のウ〇コ人生について書いてみたいと思う。
僕のブログの14、5年前の投稿にはダイエットの話題がよく出てくる。
当時、体重90キロを目前にしてこの大台を超えてしまうと僕はヒトではなくなると恐れおののき、一大決心をしてダイエットに挑もうとしていた。ちょうどその時に読んでいたのが、「いつまでもデブと思うなよ」という本で、この本のダイエット法が僕の体に合ったのか、みるみるうちに体重が減っていった。
その時に劇的に変わったのがウ〇コの形状だった。身長170センチで90キロ近い体重を維持しようとすると、さすがに結構な量の食事をしていた。満腹中枢がイカれていたのか、常に胃袋に何か入っていないと不安感があるという感じであった。だから出る量も多い。それも入ってくる分量を消化しきれないのかどうかはわからないがほぼ形をとどめることができないほど柔らかい場合がほとんどであった。ちなみにそのころに受けたバリウム検査では、「あなたの胃袋にはしわがない。」と言われた。僕の勝手な解釈だが、食べ過ぎで胃の壁が伸びきっていたのではないかと思う。僕ももう一息頑張っていればフードファイターとして大成していたかもしれないと思うこともあった。(その前に死んでいたかもしれないが・・)
そして、便意は所かまわず襲ってきて、ここではまずいだろうという場面も数えきれないくらいあった。磯の上や船の上では何回も脱糞したことがある。(これはこれでお尻を撫でてゆく風は心地がいいのであるが・・)
それが、ダイエットを始めたと同時にウ〇コは固くなり、普通の人が想像するような形状に変わった。ダイエットを初めて1週間もしないうちに約8キロも体重が減ったのだが、おそらくはおなかの中に留まっていたウ〇コが全部出てしまった結果ではないのかと今でも思っている。
それ以来、よほどのことがない限り固いウ〇コが出るようになったし、突然の便意を心配することもなくなった。
だから、僕は今でも、ダイエットの要諦は、方法はどうであれウ〇コを出すことであると思っている。ところが、釣りに行く日の朝は大抵それが出ない。あまりにも朝早く起きると直腸は準備不足に陥るようだ。
だからそんな日はどうも体調が悪いような気がしてならない。そして体を動かしているはずなのに体重は増えているというようなジレンマにも陥る。
そう思うと確かに快適にウ〇コをするということは人生のなかでこの上なく大切なことであると思うのだ。僕は地元では有名な進学校に通っていたのだが、高校1年の同級生の中には東大の医学部に行ったやつもいた。多分、NHKの「ためしてガッテン」だったと思うが、そいつが肛門科の先生として出演していた。東大出てまで他人の尻の穴を見んでもよかろうなんて言っていたら、奥さんが、「何言ってんの、出すことほど大事なものはないのよ!」とえらく自信を持っていっていたが、この本を読むと確かに納得できる。
惜しむらくは、老いてのち、家族を含めて他人の誰かに下の世話をしてもらうことなく人生を終えたいものだと思っている。
ここまでは誰かに負い目を負わずにやってきた。(劣等感は相当なものであったが・・)最後に排せつで負い目を負う事は避けたいと思うのである。