場所:水軒沖
条件:中潮 8:53満潮
釣果:タチウオ5.5匹
今日も午前中に病院に行かねばならない。だから朝だけの出撃だ。午前11時半が予約時間なのでギリギリまで釣りをするとそれなりの時間を取れるのだが、病院に行くまでに軽油の免税証をもらいに行かねばならない。それに、庭の木の剪定も少しずつ進めねばならないのだ。
となると、やっぱりダメ元でタチウオしかない。今年は釣れ始めが遅く、釣れ出すと数がグッと増えたもののその後はすぐに釣れなくなってしまった。結局それほどたくさん食べた記憶もなくシーズンが終わってしまうのかとなると残念だし、前回の釣行の時にタチウオ名人に聞くと、よい日で10匹くらいは釣れるというのでもうちょっと食べておきたいとも思ったのだ。
しかし、今日も暑い。一応ヤッケを持ってきたのだがそんなことを忘れてしまうほど今朝も秋らしさを感じない。

今日もタチウオ名人は出撃する模様だ。

僕もどんな釣りをするにも出港時刻は早い方だが、名人はもっと早い。大体僕が港に到着すると名人はすでに出港したあとなのだが、今日はちょうどエンジンを温めている時であった。
名人も聞くところによると80歳を超えているらしく、それにしては元気だとは思うが、さすがに足腰がおぼつかないようで、前回の釣行の時、名人も加太に出張っていっていたらしく帰港が同じような時刻になっていた。中潮で満潮時刻だったもので舳先と岸壁はかなりの高低差ができており飛び降りることができず、舳先に腰掛け、ロープをたぐり寄せながら届かない足でなんとか降りようとしている。満潮なものだから錨が張ってしまっていて舳先と岸壁の間にはそれなりの空間が開いてしまっているのでこれは危険じゃないかと慌てて介添えに走ったのだが、大体、船を手放そうと決めるのは船への乗り降りがおぼつかなくなった時であるというのは、お父さんが帝国軍の兵士(といっても幕僚クラスの高級士官だったそうだが)だった先輩に教えてもらったことだ。となると、僕もあと20年も船には乗れないなと悲しくなるのである。もっと高級なマリーナなら浮桟橋が付いていて、乗り降りも楽なのだろうけれども貧乏サラリーマンならそうもいかない。もとより、僕はここで生まれたのだからここで釣り人生を全うするのが当然だと思っているのでそれはそれでいいのである。
名人に少し遅れて出港。今日も海面を漂う電気ウキを見つけることができずにポイントへ到着。陸からも釣れていないのだろうな。
そしてこっちにもまったくアタリがない、東の空が明るくなってきて、今日は完全にボウズかと思った時にやっとアタリ。それもほんのかすかなアタリだ。上がってきたのも小さい。まあ、これが今年のアベレージサイズだ。しかし、その後は若干スイッチが入ったか、連続でアタリがある。今日のポイントは港内だ。アタリがあった場所を行ったり来たりしていると、かなり大きなアタリ。おお、これは指4本はありそうかと思いながら仕掛けをたぐり寄せるとかなり明るくなった海面に相当長い魚体が見えた。これは大きいぞと一気に引き上げたら、体が半分になってしまっている指3本ほどのタチウオが引っ掛かっていた。だから今日の釣果には小数点がついている。釣果が少ないのでこれも数のうち、ひと切れだが煮魚用の身を取ることができる。大きく見えたのはこいつに喰いついたタチウオと2匹分の長さの魚影を見ていたからであった。しかし、こいつをひと噛みで真っ二つにするくらいだから、後ろに喰いついていたやつはそれなりに大きかったのかもしれない。
そして、逃げていったやつは共喰いだけでは飽き足らなかったのか、僕の仕掛けも食いちぎって行きやがった。残った鉤は3本。予備の仕掛けに取り替えるほどの時間も残っていないのでそのまま続行。
魚はまあまあいるらしくその後もアタリは続く。といってもそのアタリもすぐに終わり、じっくり粘ればポツポツと魚を拾えるのかもしれないが禁断の仕掛けに変更。

今日は海面も穏やかなので住金の一文字を目指した。小船の方も船底が汚れてしまっているのでまったく速度が出ないのでかなりの時間をかけてやっと釣り公園の前までやってきた。なんでこんなに遠征をしてきたかというと、土曜日にこの辺りにナブラが現れてハマチやシオが釣れたという情報を耳にしたからだ。
釣り公園から一文字の前を通り、裏側まで行ってみたがまったくアタリはなし。
そのまま来た道を引き返し今日は終了。

港に戻ってハロウィンの飾りをつけてみた。何の意味もないが・・・。

家に帰って魚をさばき、道具を洗って松の剪定。秋は枝を切らずに葉っぱを抜けというのが叔父さんの教えなのでそれに従って4分の1ほどをやってみた。もとの剪定の仕方が下手なのか、ほかの家の松の木みたいに枝の先にひとつの葉っぱの塊があるような感じには全然ならない。そんなのを見ていると嫌になってきてすぐにやめてしまい、風呂の水を浴びて県庁へ。

先週の月曜日に申請をしたときに、来週の月曜日は祝日だから火曜日以降に来てくださいと言われたが、今年はオリンピックがあって、この祝日は7月に移っているそうだ。僕もそうだが、そういうことを知らない人間というのは大体が仕事のできない人間だ、周りのことに気を配らないことが如実に表れている。間違った認識をしているやつもバカだが、そういう間違った情報を聞いて、すぐに指摘をできないのはもっとバカである。
あの人も僕みたいにのらりくらりと生きているのだろうなと親近感は覚えるのであるが・・。
家に帰って一服して病院へ。

今日も11時半の診察予約が午後2時まで待つことになった。毎回思うのだが、そんなに待たせるということ明白なのだから予約時間を最初から調整してくれてもよさそうなものだが、待たせることに何か意味があるのだろうかと考える。これは勘繰りでしかないのだが、待ち疲れて診察を受けると、もうそこでは何も考えられなくなる。まあ、大学病院に行こうかとなると命にかかわるような病気なのだから、あれも聞きたい、これも聞きたい、こいつは信用できるのかとか、こっちが思っていることと違うことを言われると文句のひとつも言いたくなるというところを疲れさせて何も言わせないようにしているのではないかと思うのである。これではもう、宮本武蔵の到着を待ち疲れた佐々木小次郎のようなものだ。
病院ではきっとこれを巌流島作戦と名付けているに違いない。
そんな待ち疲れた状況で先週の検査の結果を聞くとクロが確定したということであった。8日のCTスキャンの結果は出ていないので転移があるかどうかはわからないが、転移がないと手術ということになるらしい。選択は自由らしいが、母親曰く、「全身に転移していてくれたほうが手術をしなくて済むからそれのほうがいい。」とのこと。確かにそれはそれで正しいのかもしれない。あの年まで健康に生きてきて今さら手術と言われても恐れしかないというのもうなずける。
僕もその時は全身に回るまで我慢をし続けて医者に行こうかと思ってしまった。何かに似ていると思ったら、シイタケのホダ木状態だ。僕はこれをシイタケ作戦と名付けようと思った。
今の状態を思うと、シイタケ作戦に移行するまえに脳梗塞か心筋梗塞で逝ってしまうほうが確率は高いと思うけれども・・。
条件:中潮 8:53満潮
釣果:タチウオ5.5匹
今日も午前中に病院に行かねばならない。だから朝だけの出撃だ。午前11時半が予約時間なのでギリギリまで釣りをするとそれなりの時間を取れるのだが、病院に行くまでに軽油の免税証をもらいに行かねばならない。それに、庭の木の剪定も少しずつ進めねばならないのだ。
となると、やっぱりダメ元でタチウオしかない。今年は釣れ始めが遅く、釣れ出すと数がグッと増えたもののその後はすぐに釣れなくなってしまった。結局それほどたくさん食べた記憶もなくシーズンが終わってしまうのかとなると残念だし、前回の釣行の時にタチウオ名人に聞くと、よい日で10匹くらいは釣れるというのでもうちょっと食べておきたいとも思ったのだ。
しかし、今日も暑い。一応ヤッケを持ってきたのだがそんなことを忘れてしまうほど今朝も秋らしさを感じない。

今日もタチウオ名人は出撃する模様だ。

僕もどんな釣りをするにも出港時刻は早い方だが、名人はもっと早い。大体僕が港に到着すると名人はすでに出港したあとなのだが、今日はちょうどエンジンを温めている時であった。
名人も聞くところによると80歳を超えているらしく、それにしては元気だとは思うが、さすがに足腰がおぼつかないようで、前回の釣行の時、名人も加太に出張っていっていたらしく帰港が同じような時刻になっていた。中潮で満潮時刻だったもので舳先と岸壁はかなりの高低差ができており飛び降りることができず、舳先に腰掛け、ロープをたぐり寄せながら届かない足でなんとか降りようとしている。満潮なものだから錨が張ってしまっていて舳先と岸壁の間にはそれなりの空間が開いてしまっているのでこれは危険じゃないかと慌てて介添えに走ったのだが、大体、船を手放そうと決めるのは船への乗り降りがおぼつかなくなった時であるというのは、お父さんが帝国軍の兵士(といっても幕僚クラスの高級士官だったそうだが)だった先輩に教えてもらったことだ。となると、僕もあと20年も船には乗れないなと悲しくなるのである。もっと高級なマリーナなら浮桟橋が付いていて、乗り降りも楽なのだろうけれども貧乏サラリーマンならそうもいかない。もとより、僕はここで生まれたのだからここで釣り人生を全うするのが当然だと思っているのでそれはそれでいいのである。
名人に少し遅れて出港。今日も海面を漂う電気ウキを見つけることができずにポイントへ到着。陸からも釣れていないのだろうな。
そしてこっちにもまったくアタリがない、東の空が明るくなってきて、今日は完全にボウズかと思った時にやっとアタリ。それもほんのかすかなアタリだ。上がってきたのも小さい。まあ、これが今年のアベレージサイズだ。しかし、その後は若干スイッチが入ったか、連続でアタリがある。今日のポイントは港内だ。アタリがあった場所を行ったり来たりしていると、かなり大きなアタリ。おお、これは指4本はありそうかと思いながら仕掛けをたぐり寄せるとかなり明るくなった海面に相当長い魚体が見えた。これは大きいぞと一気に引き上げたら、体が半分になってしまっている指3本ほどのタチウオが引っ掛かっていた。だから今日の釣果には小数点がついている。釣果が少ないのでこれも数のうち、ひと切れだが煮魚用の身を取ることができる。大きく見えたのはこいつに喰いついたタチウオと2匹分の長さの魚影を見ていたからであった。しかし、こいつをひと噛みで真っ二つにするくらいだから、後ろに喰いついていたやつはそれなりに大きかったのかもしれない。
そして、逃げていったやつは共喰いだけでは飽き足らなかったのか、僕の仕掛けも食いちぎって行きやがった。残った鉤は3本。予備の仕掛けに取り替えるほどの時間も残っていないのでそのまま続行。
魚はまあまあいるらしくその後もアタリは続く。といってもそのアタリもすぐに終わり、じっくり粘ればポツポツと魚を拾えるのかもしれないが禁断の仕掛けに変更。

今日は海面も穏やかなので住金の一文字を目指した。小船の方も船底が汚れてしまっているのでまったく速度が出ないのでかなりの時間をかけてやっと釣り公園の前までやってきた。なんでこんなに遠征をしてきたかというと、土曜日にこの辺りにナブラが現れてハマチやシオが釣れたという情報を耳にしたからだ。
釣り公園から一文字の前を通り、裏側まで行ってみたがまったくアタリはなし。
そのまま来た道を引き返し今日は終了。

港に戻ってハロウィンの飾りをつけてみた。何の意味もないが・・・。

家に帰って魚をさばき、道具を洗って松の剪定。秋は枝を切らずに葉っぱを抜けというのが叔父さんの教えなのでそれに従って4分の1ほどをやってみた。もとの剪定の仕方が下手なのか、ほかの家の松の木みたいに枝の先にひとつの葉っぱの塊があるような感じには全然ならない。そんなのを見ていると嫌になってきてすぐにやめてしまい、風呂の水を浴びて県庁へ。

先週の月曜日に申請をしたときに、来週の月曜日は祝日だから火曜日以降に来てくださいと言われたが、今年はオリンピックがあって、この祝日は7月に移っているそうだ。僕もそうだが、そういうことを知らない人間というのは大体が仕事のできない人間だ、周りのことに気を配らないことが如実に表れている。間違った認識をしているやつもバカだが、そういう間違った情報を聞いて、すぐに指摘をできないのはもっとバカである。
あの人も僕みたいにのらりくらりと生きているのだろうなと親近感は覚えるのであるが・・。
家に帰って一服して病院へ。

今日も11時半の診察予約が午後2時まで待つことになった。毎回思うのだが、そんなに待たせるということ明白なのだから予約時間を最初から調整してくれてもよさそうなものだが、待たせることに何か意味があるのだろうかと考える。これは勘繰りでしかないのだが、待ち疲れて診察を受けると、もうそこでは何も考えられなくなる。まあ、大学病院に行こうかとなると命にかかわるような病気なのだから、あれも聞きたい、これも聞きたい、こいつは信用できるのかとか、こっちが思っていることと違うことを言われると文句のひとつも言いたくなるというところを疲れさせて何も言わせないようにしているのではないかと思うのである。これではもう、宮本武蔵の到着を待ち疲れた佐々木小次郎のようなものだ。
病院ではきっとこれを巌流島作戦と名付けているに違いない。
そんな待ち疲れた状況で先週の検査の結果を聞くとクロが確定したということであった。8日のCTスキャンの結果は出ていないので転移があるかどうかはわからないが、転移がないと手術ということになるらしい。選択は自由らしいが、母親曰く、「全身に転移していてくれたほうが手術をしなくて済むからそれのほうがいい。」とのこと。確かにそれはそれで正しいのかもしれない。あの年まで健康に生きてきて今さら手術と言われても恐れしかないというのもうなずける。
僕もその時は全身に回るまで我慢をし続けて医者に行こうかと思ってしまった。何かに似ていると思ったら、シイタケのホダ木状態だ。僕はこれをシイタケ作戦と名付けようと思った。
今の状態を思うと、シイタケ作戦に移行するまえに脳梗塞か心筋梗塞で逝ってしまうほうが確率は高いと思うけれども・・。