入江麻木 「さあ、熱いうちに食べましょう 料理エッセイ集」読了
図書館で、食に関する本でも探して読んでみようと思いなんとなく手に取った本がこの本であった。
著者がどんな人とか、何歳の人とか、そんなことはまったく知らなかった。パラパラとめくってみると、レシピらしきものが掲載されていたので何か自分の作る料理の参考にでもなればという程度だった。
借りてからプロフィールを見てみると、小澤征爾の姑だということがわかった。ということは、小澤征悦のお祖母さんで、桑子アナの義理のお祖母さんということになる。
1923年の生まれで1988年に亡くなっていて、この本は生前に書かれたエッセイを集めて亡くなってから出版されたものだ。
実家は四谷の割烹旅館、夫はロシア貴族の末裔という超セレブな人である。ということは、小澤征悦はロシア人のクオーターということになるが、そう言われればなんとなく外人っぽい顔をしている。
娘はモデルをしていて、あまりのステージママぶりに夫から離婚を言い渡されたという。収入を得るために始めたのが料理研究家という仕事であったそうだ。小澤征爾と結婚したのは半ば略奪婚のような感じであったようだ。小澤征爾の履歴というのも読んでいると面白いというか、よくこんな面倒くさい人間関係のなかで生きているなと思えるような人である。
純日本風の家風で育った著者は結婚後に貴族としての作法やロシア料理の知識を身に付けたということだが、それが昭和の戦前から戦中にかけてというのだからよほどの意志の強さを持っていたのだろう。あの当時の外国人に抱く日本人の感覚ってほぼ宇宙人を見るような感じだったのではないだろうか。
戦後は何かと頼りにしていた義父とも離れて新たな人生を歩むことになるが、そこから料理研究家としての道を歩むことになる。
特異な料理というのがロシア風のパーティー料理というのだからもう、そこから僕みたいな人間が読む本ではなかったというのがわかる。また交友関係もアメリカ大統領の孫とか、ピカソやモネの絵の実物が部屋に飾られているという金持ちばかりだ。
当然本人も離婚したとはいえ、ロシア貴族の末裔と縁があり、世界的な指揮者の姑というのだからこいうったセレブの方々と対等に付き合えるのは当然なのだろう。
指揮者というのは家族を連れて世界中を巡る演奏旅行に出るらしい。行く先々に家を持っていて同じような人たちと常にパーティーを開いているというのがこういう人たちの生活らしい。
「今日はカクテルかしら・・。」というような言葉で、これがパーティーの種類(ランク?)を意味しているということがわかる人でなければこの本を読む資格がないのではないかと考えてしまう。本も買えないような人間が通う図書館にこんな本を置かんでもよかろうというものだ。
有名作家の子供であるという理由でセレブそうにしている人が書いた本を読んだ時は、ちょっと家系がいいからってそれを鼻にかけやがってとおもったけれども、ここまでの上流階級となるとそういった嫉妬もリミッターを超えて計測不能となってしまう。
結局、ふ~ん、こんな世界もあるのかと、何の想像もできずに読み終わり、レシピも参考にできるのかと思ったけれども、ロシア料理でしかも貴族がお食べになるような手の込んだパーティー料理では何の参考にもならない。そんな本であった。
図書館で、食に関する本でも探して読んでみようと思いなんとなく手に取った本がこの本であった。
著者がどんな人とか、何歳の人とか、そんなことはまったく知らなかった。パラパラとめくってみると、レシピらしきものが掲載されていたので何か自分の作る料理の参考にでもなればという程度だった。
借りてからプロフィールを見てみると、小澤征爾の姑だということがわかった。ということは、小澤征悦のお祖母さんで、桑子アナの義理のお祖母さんということになる。
1923年の生まれで1988年に亡くなっていて、この本は生前に書かれたエッセイを集めて亡くなってから出版されたものだ。
実家は四谷の割烹旅館、夫はロシア貴族の末裔という超セレブな人である。ということは、小澤征悦はロシア人のクオーターということになるが、そう言われればなんとなく外人っぽい顔をしている。
娘はモデルをしていて、あまりのステージママぶりに夫から離婚を言い渡されたという。収入を得るために始めたのが料理研究家という仕事であったそうだ。小澤征爾と結婚したのは半ば略奪婚のような感じであったようだ。小澤征爾の履歴というのも読んでいると面白いというか、よくこんな面倒くさい人間関係のなかで生きているなと思えるような人である。
純日本風の家風で育った著者は結婚後に貴族としての作法やロシア料理の知識を身に付けたということだが、それが昭和の戦前から戦中にかけてというのだからよほどの意志の強さを持っていたのだろう。あの当時の外国人に抱く日本人の感覚ってほぼ宇宙人を見るような感じだったのではないだろうか。
戦後は何かと頼りにしていた義父とも離れて新たな人生を歩むことになるが、そこから料理研究家としての道を歩むことになる。
特異な料理というのがロシア風のパーティー料理というのだからもう、そこから僕みたいな人間が読む本ではなかったというのがわかる。また交友関係もアメリカ大統領の孫とか、ピカソやモネの絵の実物が部屋に飾られているという金持ちばかりだ。
当然本人も離婚したとはいえ、ロシア貴族の末裔と縁があり、世界的な指揮者の姑というのだからこいうったセレブの方々と対等に付き合えるのは当然なのだろう。
指揮者というのは家族を連れて世界中を巡る演奏旅行に出るらしい。行く先々に家を持っていて同じような人たちと常にパーティーを開いているというのがこういう人たちの生活らしい。
「今日はカクテルかしら・・。」というような言葉で、これがパーティーの種類(ランク?)を意味しているということがわかる人でなければこの本を読む資格がないのではないかと考えてしまう。本も買えないような人間が通う図書館にこんな本を置かんでもよかろうというものだ。
有名作家の子供であるという理由でセレブそうにしている人が書いた本を読んだ時は、ちょっと家系がいいからってそれを鼻にかけやがってとおもったけれども、ここまでの上流階級となるとそういった嫉妬もリミッターを超えて計測不能となってしまう。
結局、ふ~ん、こんな世界もあるのかと、何の想像もできずに読み終わり、レシピも参考にできるのかと思ったけれども、ロシア料理でしかも貴族がお食べになるような手の込んだパーティー料理では何の参考にもならない。そんな本であった。