イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「円 劉慈欣短篇集」読了

2023年02月08日 | 2023読書
劉慈欣/著 大森望、泊 功、齊藤 正高/訳 「円 劉慈欣短篇集」読了

「流浪地球」に続いての劉慈欣の短編集だ。こちらの本のほうが日本での出版時期は早く、著者の初期の発表作が集められているらしい。

「流浪地球」は宇宙規模での壮大なストーリーが多かったが、この短編集ではそういう趣を加えながらも身近というか、地球上の現在の現実的な場面を取り扱ったものが多かったような気がする。そして、特徴的なのが、決してハッピーエンドではないということだ。こういう終わり方というのがなんだか東洋的だなと思ったりする。
映画でもそうだが、アメリカ製のものというと主人公の望み通りのハッピーエンドで終わるというのが多いが、日本も含めて東洋的な思想のもとではバッドエンドというか、悲劇的な結末が主流のように思う。この13本の短編はほとんどがバッドエンドだ。

未知の宇宙からやってきたテクノロジーも、奇想天外な地球上のテクノロジーも主人公たちに手を差し伸べない。
ある短編では、文明の存在しない恒星系を破壊して敵の攻撃を防ごうとする超文明が対象の恒星系の文明度をその惑星の生物に問題を出してテストする。貧しい村の小さな子供がたまたまそのサンプルとなり、その村の教師から教えられたニュートンの運動3法則によってテストをクリアする。その結果、太陽系の破壊は免れたが貧しさのために瀕死の状態になった教師は助からない。教師の亡骸の周りで悲しむ子供たちを見ていた超文明は彼を助けることはないのだ。それほどの超文明なら生物の蘇生などいとも簡単にやれてしまうはずなのに。(郷村教師)
また、ある短編では、炭鉱での重労働を助けるため、新たに鉱脈のガス化を開発した科学者がいたのだが、それは失敗し炭鉱自体が炎に包まれる。主人公は自暴自棄となりその炎に巻かれてしまうのだが、そのテクノロジーが安全に運用されるのは数百年の未来のことであった。(地火)
気象におけるバタフライエフェクトを利用し、家族が暮らす都市を敵の空爆から守るため常に雲に覆われるように世界中に現れる敏感点を探し回る科学者がいた。当初はその企てが成功するのだが、敏感点を追いかけきれず、わずかな時間のずれによって家族を守ることができなかった。(カオスの蝶)
クジラの脳に電極を埋め込み、自由に操れる技術を開発した科学者がいた。防衛費の削減でお払い箱になった技術と科学者は麻薬の運び屋の協力者になる。捜査官には悟られることなく密輸を成功させていたが、その結末は捕鯨船に捕獲され、科学者も運び屋も命を落とすという幕切れで終わる。(鯨歌)
「円」という短編は趣が異なり、秦の始皇帝の時代、円周率を求めることが不老不死の手がかりとなると考えた始皇帝は燕王から降伏の意思を示すために使わされた数学者、に5年後に10万桁まで求めるように命じる。
不可能と思われた計算だが、荊軻は秦の国の300万人の兵士にコンピューターの素子のような役割をさせその計算を実現させようとする。計算は実行に移されたが、その途中、燕の国を含む周辺国から襲撃を受ける。
この計算行為は、荊軻が秦の始皇帝を軍隊もろとも葬り去ろうとするための策略であった。
しかし、その才を恐れられた荊軻は始皇帝とともに処刑されてしまう・・。

主な物語はこんな感じだ。表紙のデザインは「円」の物語に登場する、300万人の兵士で構成される計算機の場面である。

著者は1963年、中国生まれなので悲惨な文化大革命の時代を子供の頃に経験している。その時の経験が、何ものも自分たちを助けてくれるものではないという感覚を植え付けたのかもしれない。日本人もそういう意味では何事にも受け身で生きてきたという歴史のなかでは悲観的な結末の物語を生み出し、それに対して共感を生み出すのかもしれない。

僕はたまたま読んだ「三体」が面白かったから中国製のSFが面白いと思って読んでいると思っていたのだが、実はそういった共感を知らず知らずのうちに汲み取っていたのかもしれないとも思うのである。

また、これは翻訳者の実力でもあるのだろうが、文章の運びが静かにおこなわれているというところも気に入っている。
あと1冊、短編集が出版されているらしい。これも近いうちに読んでみたいと思うのである。
コメント
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